第29話
私とスイファさんの間を、ただただ爽やかな風が通り過ぎていく。葉の擦れる音と、水のせせらぎだけがただ森の中で響いていた。
先に沈黙を破ったのは、スイファさんだった。
「…そうではないかと思っていました」
そう、スイファさんは困ったように笑っていた。
私はスイファさんになんと答えたら良いのか分からない。戸惑う私に、彼は優しく笑いかけてくれた。
「貴女の心が、彼の方のところにあるのは分かっていました。それでも僕は、貴女に気持ちを伝えずにはいられなかった」
彼の方…?
…まさか。スイファさんは私のスイリュウ様への気持ちに、気付いているのだろうか。
動揺が露骨に顔に出ていたのか、スイファさんは口元を押さえて笑っている。
「貴女をみていれば、誰を想っているかはすぐ分かりますよ」
「そそそ、そんなに私は分かりやすいのでしょうか…」
「いえ、そんなことはないと思いますよ。ただ僕は貴女が、ジェシカさんが好きだから。つい貴女を見てしまう。だから、貴女が誰を思っているか、すぐに分かってしまった」
寂しそうに、困ったように笑うスイファさんに対して、私の胸中には罪悪感が込み上げるばかりで。
こういうとき、どう言った言葉を彼にかけたらいいのかが分からない。
考えている間に、スイファさんは私の隠している想いを言葉にしてしまった。
「ジェシカさんは、スイリュウ様が好きなんだね」
途端に顔がかっと熱くなった。
知られたくなかったし、上手に隠せていると思っていた自分の気持ち。それを言葉にされて自分の耳に入ってきてしまった時、情けないやら恥ずかしいやらでどうしていいか分からなくなってしまった。
相手は自分とは全然違う種族で、尊い方。そんな相手に一方的に好意を抱いて慕ってしまったことへの罪悪感。本当はきっと許されないことだ。
だから、隠していたのに。
私を好きだと言ってくれるスイファさんは、それに気付いて暴いてしまった。
誰にも知られたくなかった。言葉にされたくなかった。言葉にしてしまったら、その想いは幻から真実になってしまう気がして。
事実、そうなってしまった。
泣きそうになるのを堪えていると、慌てたようなスイファさんの声がした。
「す、すみません!別に貴女を責めている訳では…!」
責められたなんて思ってはいない。これは、自分を許せないだけなのだから。
スイファさんに誤解される前に、私のこの許されざる気持ちに対する思いを彼に伝えなければ。
「…別に責められていると思った訳じゃないんです。ただ、スイリュウ様を想っていることは秘密で…」
言葉にするのが苦しくて、上手く続きを紡げない。
なかなか次の言葉を発しない私に、スイファさんは優しく語り掛けてくる。
「…どうして秘密なんですか?」
「……スイリュウ様はとても尊いお方です。私みたいな人間が想って良い方じゃない。…私は自分のこの想いを、許せないだけなんです」
はっきりと言葉にすると、私の罪深さがまざまざと露見する。こんな想い、絶対許されない。
なのにスイファさんは、きょとんとした顔をするばかりで。また困った顔をして小さく笑った。
「どうして許されないと思うんですか?」
「え?だから、さっき言ったように私みたいな人間が…想うのは許されないから」
「どうして?」
「しゅ、種別が違うし、人間は弱いけど、スイリュウ様はとても強くて尊い。だから、駄目なんです…」
なんども問いかけられて、自分の回答に自信を無くしていく。
スイファさんの目を真っ直ぐ見れなくて、視線を地面に落とした。
「種族が違うと許されないの?なら僕のジェシカさんへの想いは許されない?」
「そういうわけでは…!」
「僕も人間よりは種族的に強いけど、駄目なのかな?」
「いえ、あの…」
次々と問いかけられる内容の答えに窮している間に、スイファさんは次の問いを投げかけてくる。
「…わ、私は弱いから!弱い者が強い者を想うのは…いけないことだと、思うから…」
「どうして?」
「どうして、ですか…?えっと…」
答えられずに思案していると、苦笑するスイファさんの声がする。思わず顔を上げれば、彼は少しだけ辛そうな顔をしていた。
「…ジェシカさん。別に、弱者が強者を想っては駄目なことなんてないんだよ」
そう言葉を掛けてくれるスイファさんの声はとても優しくて。気付いたら涙が頬を伝っていた。
私は、スイリュウ様を想っていても、許されるのだろうか。
スイファさんは、駄目なことなんてないという。だったら、好きでいてもいいのだろうか。
そう思ったら、涙が溢れて止まらなくなってしまった。恥ずかしくて、隠したくて必死に指で拭うけれど、とめどなく涙は溢れてくる。どうしよう、本当に止まらない。
声も出せずに泣いていると、優しい雫がぽとりと頭に落ちてきた。空を見上げると、晴れているはずなのに雨が降り注いでいる。それは次第に量を増したが、ずぶ濡れにはならないような、ぽつぽつとした優しい雨だった。
顔に落ちた雨粒は、私の涙のあとを隠すように流れ落ちてゆく。
ふとスイファさんの方を見ると、彼は困ったような顔をしていて。
「僕には、これくらいしか貴女にしてあげられないから」
そう、寂しそうに笑った。