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第2話

 オスカー・フィーデンから離れて無事化粧室に辿り着いた私は、まずメイドにアリスのもとへ向かってもらった。アリスに今回のことを話してドレスを着替えてもらうよう頼んだのだ。私と同じドレスは私の部屋にまだ数着あるからそれを持って行ってもらうことにした。

 私のドレスは既製品の安いシンプルなドレスらしく、同じものが何着かある。というか寧ろそれしかない。体型は私の方が少しだけ細いくらいでそんなに変わらないから着るのも大丈夫だろう。


 オスカー・フィーデンに出会ってしまったことはもう仕方がないので、せめてこれから彼に会うアリスが不審がられないようにしなければ。

 きっと私と同じドレスを着ることをアリスは嫌がるだろう。なんせ彼女のいつも着ているドレスは彼女の為に作られたオーダーメイドの彼女好みのドレスだ。こんな好みでもない地味な既製品のドレスを着るのは屈辱だろう。

 だけどオスカー・フィーデンが大好きなアリスはきっと嫌々ながらこのドレスを着るはず。今回だけはお願いだから耐えて欲しい。


 化粧室に身を隠しながらメイドが来るのを待つ。

 私は今回してはならない失敗をしてしまった。私は家族と使用人、私に色々教えてくれた教師たち以外にバレてはいけない存在だ。だから事情を知っている人たち以外に決して会ってはならないときつく両親に言われていた。教師を通してだけれど。

 このことを知ったら両親はどうするのだろう。私は何か罰を受けるのだろうか。

 まあどうでもいい。どうせこの(世界)から出ることは叶わないのだからこの(世界)のルールに従うだけだ。私には言われた通りにするしか選択肢はないのだから。


 ドアからこっそり外を覗いていたらメイドが慌てた様子で戻ってきた。私も化粧室を出てメイドについていく。あんなハプニングがあったからだろう、いつもより少し急ぎ足で屋根裏部屋に向かう。

 屋根裏部屋に戻るとオスカー・フィーデンが帰るまではあとは絶対に出ないようにと言われ、ドアを閉めて鍵をかけていった。

 まあこうするしかないのだろう。また鉢合わせてしまったら大変だろうし、水分をとるのを控えめにしてこの後の時間を過ごした。





 ◇ ◇ ◇





 あのハプニングからどれくらいが経ったのだろう。読み終えた本をチェストに置いた。私に与えられた15冊の本はどれも既にかなり読み込んでいて、内容をほとんど覚えている。ジャンルに特に決まりはなく、お伽噺であったり恋愛小説であったり歴史書であったり辞書であったりと様々だ。

 この本は誕生日がくると毎年1冊だけもらえる。妹アリスによれば、いらない本を私に寄こしているらしい。それでも私には嬉しかった。

 この屋根裏部屋から出られない私には、知らないことを学べるのが楽しかったのだ。何の変化もない毎日に刺激を与えてくれる本たち。死んだように生きている私の、唯一の娯楽。

 もうすぐ16歳の誕生日が来る。今年は何をくれるのだろうか。


 ドアが乱暴にノックされた。こんな風にノックされたのは初めてだったが、すぐに今日の出来事を思い出して納得する。久しぶりにあまり覚えていない両親の顔を見ることになるなと思いながら返事をした。

 だけどドアを開けて部屋に入ってきたのは、両親ではなく妹のアリスだった。


「お姉様!どうしてオスカー様と会ったのよ!」


 アリスは目を吊り上げ、怒りに震えて叫んでいる。いつもの仮面を剥ぎ、本来の彼女になっているのだろう。今まで私に見せていた優しく私を憂うような表情はどこにもない。分かってはいたが、やはりこちらが本来の妹の姿なのだとほんの少しだけ悲しくなった。


「化粧室に行きたかっただけで…その途中で偶然会ってしまったの。私だとバレないようにアリスのフリはしたわ。もしかしてバレてしまった?」


 冷や汗が背を伝う。こんなに怒っているということはもしやアリスではなかったと気付かれたのか。


「バレてないわ。私がオスカー様に会いに行っても何の疑問も持たずに私の名前を呼んでくれたもの。…でもお姉様、どうしてあんなに親しそうに…仲良さげに話していたの?」


 アリスの私を見る目は燃え滾っている。憎しみに溢れた、冷たい目。

 ここまでの感情を抱かれたことのない私は戸惑った。何が一体彼女をここまで駆り立てているのか。私は何かとてつもない失敗をしてしまったのだろうか。


「…?アリスはいつもあんな風にオスカー様とお話しているのではなかったの?アリスのフリをする為にアリスがいつも話してくれる様子と変わりないように演じたつもりなのだけれど」


 アリスに思ったことをそのまま伝える。アリスを怒らせない返答を考えたくても私には分からなかった。アリスが何故あんな目で私を見ているかも分からないので思いつかなかったのだ。

 アリスはいつも私にオスカー様とは仲良しで相思相愛なのだと言っていた。ああいったやりとりもいつものことではないのだろうか?


 そう答えるとアリスは顔を歪め、私をきつく睨みつけた。その目は憎くて憎くて堪らない、そう語っていた。何かまた怒らせるようなことを言ってしまったのだろうか。あまり多く人と触れ合う機会を持つことが出来なかった私には、彼女の気持ちを推し量る術はない。

 何故そんな目で私を見るの、アリス。

 アリスは自身が語る通り誰からも愛されているのだ、私が少しオスカー・フィーデンと話したくらいでここまで憎々しく思う必要があるのっだろうか。


「あんな目で…あんな目で私を見てくれたことなかったわ…」


 掠れそうな小さな声がアリスの口から漏れた。

 あんな目…?

 不思議に思ってアリスを見ると、アリスは益々苛立ちを募らせた。


「お姉様がここにいる限りオスカー様はきっと、私をあんな風には見てくれない…またオスカー様に会ってしまうかもしれない…そしたら私は、私は…。何でなのよ…何よ、何よ『忌み子』のくせに!」


 忌み子。

 そう言われた途端、私は考えることを放棄した。


「もう二度とオスカー様の目の前に現れないで!この家から出ていって!」


 言われたことをただただ頭の中で反芻する。

 この家から出ていって!

 思考を放棄した頭の中にこだまするその音は、言葉となって身に染みていく。


 その言葉の意味を理解したとき、気付いた。

 アリスが出ていけと言っているのだ。私はこの家を出ていってもいいのではないだろうか?

 この家では両親の言うことは絶対。その愛娘が言うことも絶対。私には従うことしか出来ない。


 ここを、出ていってもいいのか。この家から解放してもらえるのか。

 胸の内に溢れるのは喜び。アリスは確かに言ったのだ、この家から出ていけと。

 私の暗く翳っていた心に一縷の光が差し、感じたことのない幸福感に包まれる。


 私のすることは一つだけ。


「…分かりました。アリスの言葉に従い、この家から出てゆきます。今までお世話になりましたと両親にお伝え下さい」

「え?」


 私の言葉に驚いたのか、あんなに怒っていたのにアリスは今は戸惑っている。

 焦ったアリスを見るのは少しだけ胸のすく思いがした。


「貴女にも大変お世話になりました。沢山の知識を授けて下さったこと、ありがたく思っております。今まで本当にありがとうございました。さようなら、アリス」


 戸惑うアリスを通り過ぎ、私は何も持たずに屋根裏部屋を出る。部屋の前に控えていたメイドが顔を真っ青にして私を部屋に戻そうとするが、それを振り切って私は屋敷の中を駆けた。

 あまりどこにどういう部屋があるのかなどは知らない。屋敷の中も決まった場所へしか行けなかったから。だから少し屋敷の中で迷った。その時に屋敷にいた使用人たちに見られたが、皆驚いて固まるばかりで私を捕らえることはしなかった。私がこんなことをするとは思わなかったのだろう、自分たちの仕事も忘れて驚くばかりだった。

 使用人が呆然としているのをいいことになんとか無事玄関ホールへ辿り着き、扉を開いた。私は屋敷から出て更に駆ける。しばらく駆けて、息が切れてきた頃に空を見上げた。


 私はあの狭い世界(屋根裏部屋)しか知らない。だから知らなかった。

 屋敷から出て見上げる空は、こんなにも青くて美しかったのだと。

 屋根裏部屋の窓から見る空とは何もかもが違い、晴れ渡る青い空は私の心に沢山の光を注いだ。


 しばし空を見上げた後すぐにまた走る。きっと自分のするべきことを思い出した使用人たちが慌てて追いかけてくるだろう。私は捕まる訳にはいかない。やっと自由をこの手に掴んだのだ。

 屋根裏部屋で毎日を過ごしていた私には体力がない。それでもなけなしの体力が尽きそうになるまで駆けた。


 何も持たずに出てきてしまったがそれで構わない。どこかで野垂れ死んでしまってもいい。あの家から解放されるなら何でもよかった。

 だってこんなにも、今の私は自由なのだから。


 体力が限界に近づいているようで息が苦しい。でも苦しさは気にはならなかった。あの屋敷を抜け出すことが出来た喜びが、ただの私になれた喜びが、幸福感が私を満たしている。

 もうアリスのスペアとしてのジェシカでも、『忌み子』のジェシカでも、オールストン家のジェシカでもない。

 私はただのジェシカなのだから。



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