第26話 オスカー(1)
以前ご報告した通り、オスカー視点に変更しました(2019/8/17)
僕はオスカー・フィーデン。
フィーデン王国の第三王子だ。婚約者はオールストン侯爵家の一人娘、アリス・オールストン。
可もなく不可もなくといった、これといって取り立てて特徴のない娘だ。私の婚約者に選ばれるくらいなので賢く、美しい。
だがそれだけで、ごく一般的な淑女だ。なんの面白みもない婚約者殿は、どうやら僕に懸想しているらしい。
全身で僕が好きだと訴えかけている。
だが僕の心は特に動かず、彼女のように婚約者に心奪われるということはなかった。
いずれ彼女と結婚し、侯爵家へと婿入りする。それは僕にとってはただの義務でしかない。
僕は彼女が望む、王子という役をこなして淡々と彼女と逢瀬を重ねていた。
政略的結婚などこんなものだと思っていたので特に何かを思うこともなく、いずれ彼女とそのまま結婚するのだろうと思っていた。
あの時までは。
オールストン侯爵家に来訪したとき、アリスがなかなか出てこないので痺れを切らし、迎えに行くことにした。
こういうことは度々あり、面倒だと思いながらも彼女の我儘に付き合っていた。
アリスを見つけたら少し窘めなくてはと思いながら彼女を探していると、彼女を見つける。
それは、衝撃としか言いようがなかった。
今まで気付かなかったのが不思議なくらい、強烈に惹かれて目が離せない。
いつもとは違う質素なドレスに身を包んでいるのに存在感は際立っており、彼女以外が何も目に入らない。
「アリス…?」
自然と言葉が溢れ落ちた。
彼女は僕の言葉に反応し、一瞬顔を強張らせた後何事もなかったかのように答える。
「何でしょうか、オスカー様」
その声はいつもより凛としていて、だけど何処と無く不安そうな声色をしていた。
だけど何より、ラピスラズリのような瞳が美しかった。
アリスはもう少し薄い青色の瞳だったように思うが、確信が持てない。
何かが、違う。
違和感の正体は分からないが、違うということだけは確信が持てた。
平静を装って彼女に色々と探りを入れてみると、ドレスに反応したのでいつものように褒める。
すると、彼女はいつもと違う反応をした。
アリスはいつも褒めると少し照れて花が綻ぶように笑うが、彼女は違う。
真っ赤な薔薇のようになった顔は羞恥に染まっている。
大輪の花のようだと思っていたが、今の彼女は控えめで小振りな花のようだ。
違和感の正体を探るために彼女に薔薇を見せてくれと頼むと、瞳に焦りが見え始めた。
何を焦る必要があるのだろう。
そう思っていると、彼女は花を摘みに行くという口実で逃げ出そうとした。
何故。僕のことが好きで好きで堪らないはずの君が、何故逃げる?
それとも彼女は、アリスによく似た少女なのだろうか?
「では失礼します…」
こんなに僕が惹かれているのに、どこに行こうというの?
だけど今問い詰めても僕の方が怪しまれるだけだ。
だから彼女に伝えてみる。
「アリス」
「はい?」
振り返った彼女の瞳は、やはり美しい。
僕の心を捕えて離さない。
「君は…とても綺麗だ」
君が、僕は欲しい。
「早く戻ってきてね」
そう言うと、彼女は少し怯えたようにか細く返事をした。
あの後に戻ってきたアリスは、いつものアリスで彼女ではなかった。
愛しいラピスラズリではない、サファイアの目。僕の胸中は激しく荒れ狂っていた。
早く戻ってきてねと言ったのに。はい、と返事をしてくれたのに。
彼女は戻ってきてはくれなかった。
落胆と苛立ちを隠し、アリスと庭で淡々と薔薇を見た。何の感情も込み上げてこず、ひたすらに義務的な逢瀬を終わらせることだけしかその時の僕にはできなかった。
◇
城に戻り、僕は両親にアリスの様子が可笑しかったことを伝えた。
「父上、母上。本日アリス嬢に会ってきたのですが、どこか様子がおかしかったのです。アリス嬢なのに、まるで別人のような…」
「そうか」
彼女は姿こそ似ているが、どう考えてもアリスではない。そして僕は彼女が『忌み子』なのではという考えに思い至ったのだ。
両親には何を言っているのかと言われるかと思っていたが、すんなりと僕の言葉は受け入れられ、驚いた。
「陛下、オスカーにも教えるときがきたのではなくて?」
「ああ、そうだな」
何をでしょうか、と動こうとした口は父が片手を挙げたことで止まる。
父が片手を挙げるときは黙って話を聞けという合図だ。
「まず、これから話す話は王国上層部でも一部のものしか知らない話だ。他言したら息子といえど病死してもらう。よいな?」
有無を言わせぬ視線で僕を貫き、鋭い声で切りつけられる。
だが『教えるときがきた』ということは、兄たちもこのことは知っていて口を噤んでいたのだろう。
大きく頷き、話の続きを目で促した。
「この国には一部、法律違反であり、条例違反をしておる貴族がまず前提としておる。意図的に違反させた貴族もいれば、何故かの理由で勝手に違反している貴族もおり、オールストン家はそのうちの家の一つよ。何を違反しているかといえば、察しの良いお前ならもう分かるだろう。『忌み子』を神殿に差し出さないことだ」
やはりアリスによく似た彼女は『忌み子』だったのかと、腑に落ちる。
だが忌み子を何故神殿に差し出さないのか。そこは疑問だった。
そんな僕の疑問を見透かすように、父は薄く笑った。
「何故条約違反をさせている、または見逃しているのか。それは全て、ひいては王家の為だ」
忌み子を精霊たちに差し出さないことが、何故王家のために繋がるのだろうか。
僕にはそれを推測するだけの知識がなく、黙って父の言葉を待った。
「人間には基本的に魔力が備わっていないとされている。唯一の例外を除いて。その唯一の例外が、忌み子なのだ」
僕たち人間には魔力がない。それを覆す存在が、忌み子。
ラピスラズリの瞳を持つ彼女の身体には、人の持たざる力が流れていると思うと背筋がぞくりと震えた。恐怖からなのか、歓喜からなのかは分からないが、その事実は僕を震撼させた。
「王家は代々、双子を両方娶ってきた。下の子は表に立たせ、上の子には子を産ませる。そうすることで意図的に魔力を待つ人間を生み出そうとしたのだよ」
父は詳しい内容をこう語った。
魔力は人間にはない、求めてやまない強い力だ。精霊たちに力を借りなければその力を使うことは出来ない。だが忌み子は例外で、魔法を使うことができる。
王家は代々、意図的に条例違反をさせ、または条例違反をしている貴族を見逃し、忌み子を育てている貴族の双子の下の方の娘や息子との婚約をさせた。そして王家に嫁がせるとき、魔力のある忌み子と表に立たせるための下の子の両方を差し出させた。
あとは忌み子を人目につかぬように隠蔽し、王城に軟禁して子を産ませた。そうすることにより、少しずつ魔力を保有しやすい体を持つ王家の人間を生み出す為に。古いお伽噺の『悪魔の使いと神様の使い』の兄王子のような力を持てるようにする為に。
「本当にそんなことが可能なのかと私は思っていたのだがな…どうやら王家の目論見は成功していたようだな」
僕を見て、父上はニヤリと口角を上げた。
「魔力のある者は魔力のある者に惹かれやすい性質があるらしい。オスカー、お前には心当たりがあるのではないか?」
ああ…ああ!
愛しい彼女に惹かれたのは、運命だったのか!
その後自室に戻り、僕は興奮を抑えられなかった。
彼女は、いずれ僕の元にやってくる。僕と彼女は結婚するんだ。
そう思うと笑いがこみ上げてきた。彼女は焦らなくとも僕のものになるのだ。
どうあがいても、僕からは逃れられない。
嬉しくて嬉しくて、その日は眠ることもできなかった。