第17話 スイリュウ(5)
我の勘が、会わせてはならぬと言っている。
何故なのかは分からぬが、会わせてはいけないような気がするのだ。脳内で警鐘を鳴らし、駄目だ駄目だと必死に訴えてくる危機感。
勘というものは侮れぬ為、我は己の勘に従いジェシカと奴を会せぬようにしていた。
奴はセイファたちの二人いる子供の下の子で、綺麗な水の魔力を持った精霊だ。その魔力量と魔力の濃厚さは集落の中でも随一だろう。だからか奴に惹かれる集落の娘は多いようだった。
そんな若い娘たちの注目の的であるスイファに、何故ジェシカを会わせてはならぬと思ったのだろうか。別に会わせても構わぬとは思うのだが。だが我の勘はよく当たるので我は自分でも分からぬままに水の精霊たちの集落に、丁度スイファがいないときを狙って訪れていた。
だけど流石にスイファは『愛し子』に自分だけが会えぬ状態が可笑しいと思ったのだろう。前回訪れたときに我らの帰り際に姿を現した。
スイファは、ジェシカを見て固まっていた。
我が惹かれるくらいの美しい魔力だ。スイファもジェシカの魔力に魅了されたのかもしれぬ。姉のように溺愛でもするのだろうかと思っていたのだが、どうも姉の時とは様子が違う。
顔を真っ赤にして、目はジェシカに釘付けだった。
まるで生涯の伴侶を見つけたときのような、番を見つけたときのようなその顔。これはこの集落で何度か見たときがある。セイファがラーファを好いた時もそうだった。
熱のある視線でジェシカを見ているが、ジェシカ自身はまったく気付いていない。精霊たちがジェシカを見送るために集まっているのと、まあ我がスイファの魔力をジェシカが感知できぬように魔法をかけたからなのだが。
何故そんなことをしてしまったのだろうか。自分でも不思議でならぬ。
スイファの様子が気に入らないので早々に集落を後にした。
住処に戻ってから、我はあの光景を何度も思い出してこの不可解な自分の心の名前を知るために尽力してみたが、結局分からなかった。
最近ジェシカは我が昼寝をしているときに我を観察するのがブームらしく、今回も昼寝をするふりをして考え耽っていた我を観察していた。我を観察して何が楽しいのか分からぬが、ジェシカが嬉しそうなのでまあ良い。
それよりも我は今は知りたいことがあるのだ。早くこの心の有様の名を知らねば。
考えている間にうんうんと唸っていたらしく、ジェシカが近づいてきた。
「寝言…でしょうか?ふふ、珍しい」
そう言って我に寄り添ってきた。優しく柔い手で我の鱗を撫でるのが、酷く心地良い。
「魘されていますね。大丈夫です、スイリュウ様。私が近くにいますから」
我の顔にジェシカの額をピタリと当て、顔を一撫でした。
ざわり、と心が粟立った。
心地良くてもっと撫でて欲しいという欲求が生まれる。ジェシカが触れると、心が粟立つ。
しばらく撫でていたら満足したのか我の身体に自身の身体を預け、ジェシカは寝てしまった。ジェシカが寝息を立てているのを確認し、そっと目を開いてジェシカを見た。
あどけない寝顔を晒す姿は、まるで生まれたばかりの赤子のようだ。なんと愛しい寝顔だろうか。
赤子といえば、そうなのかもしれぬな。
ジェシカは元の住処で世界を知らぬまま身体ばかり育っていった。我や精霊たちと出逢い、今は沢山の知識を吸収して感情を知って、すくすくと心も育っている。
ジェシカはまだまだ幼い赤子なのだ。これから先成長し、立派な大人となるのだと思うと今から誇らしい。勿論我がジェシカを育てているのだから立派になるに決まっている。元々この子はとても聡明で、知識欲がある。そこに我の教育を受けるのだから当然素晴らしい大人となるだろう。
こういうのを、人間は子育てというのだろうか?
なんにせよ、我はジェシカの成長をこれからも見守っていくだけだ。
しかし、あの心が粟立つ感覚はなんだったのだろうか。
別に不快なものではなく、寧ろ快楽と呼べるほどの心地良さと気持ち良さがあった。人の親とは子に触れられるとこんなにも幸福を感じるものなのだろうか。
我はあの感覚が忘れられず、それからはジェシカに触れる機会を増やした。
ジェシカは最初戸惑っていたが、ジェシカ自身も嬉しそうではあったし慣れてくると喜々として触ってくるようになったので結果的に良いことをした。
ジェシカは触れ合うこの行為をスキンシップと呼んでいた。我は今後もスキンシップを増やしていくつもりである。あのような多幸感を味わえる体験はそうそうあるものではないからな。
だからこの時我は忘れていたのだ。
あの不可解な心になった原因と、その理由を。
ジェシカを我が堪能するために精霊の集落に行くことを渋っていたのだが、あまりにも精霊たちが五月蝿いので仕方なくジェシカを連れてゆくことにした。
今回は昼食をジェシカと一緒に取らせてほしいと要求してきた。主にソーファが。
突然どうしたのかと少し驚いたが、あまりの必死さと昼食を共にする機会を切望する姿に絆され、結局その要求を飲んだ。何が目的なのかと思ったが、ソーファならばただ単にジェシカを愛でたいだけであろう。
我はそう思っていた。恐らく油断していたのだ。
ソーファが弟想いであることを忘れていたから。
集落へ行く為にいつもの場所に移動魔法を使い転移した。ジェシカに少しでも触れる機会を増やすためにジェシカに我に乗るように言った。
戸惑っていたが、有無を言わさずもう一度乗るよう言うと大人しく従った。風魔法を使い乗せてやると、恐る恐る我に掴まる。ジェシカが触れている事実が嬉しく、いつもよりゆっくり歩き集落へ向かった。まあゆっくりといっても我の大きさで歩けばあっという間に着いてしまうのだが。
集落に着くと、いつものようにジェシカは精霊たちに囲まれている。こやつらは我が移動魔法を使いいつもの場所に転移するとジェシカの魔力を感知し集団出待ちを行っているのだ。
薄々ジェシカも気付いているようだが、今は見て見ぬふりをしているのだろう。鬱陶しくないのだろうか。
まあジェシカが嬉しそうではあるので我も見て見ぬふりをしている。精霊とは皆『愛し子』が可愛くて仕方がないのだからこれも仕方がないだろう。我は少し気に入らぬが『愛し子』が可愛いのは我も同じ。大目に見てやろう。
今回もスイファは食料を集める為に出掛けていると聞いている。なのでいない、はずだったのだ。
だが今目の前にいるのは、紛れもないスイファだった。
スイファが、ジェシカを見ている。
ジェシカが、スイファを見ている。
この嫌な予感はなんなのだろうか。胸がざわつき、不快感が溢れ出てきた。
スイファは恐らく、ジェシカを好いている。
ジェシカは…?
ジェシカの顔を見てみるが、スイファをどう思っているのかは我には分からない。だがまだスイファを映す瞳にスイファのような熱がないことだけは確かだった。
まだ?ではいつかジェシカはスイファを己の目に映す時、顔を綻ばせて熱のある視線を送るのだろうか。
それはとても、気に入らぬ。
ジェシカは我だけを見ていればよい。我がこれからもジェシカの親として見守ってゆくのだから。
では我はジェシカの親離れを恐れているのだろうか?
なんだか少し腑に落ちた。
そうか、我はジェシカが我から離れていくのではないかと不安だったのだ。
正体さえ分かってしまえばなんてことはない。
我はジェシカの親として、これからも一緒に暮らしてゆくのだ。ジェシカと離れることはない。
燻った想いがあることに気付かぬまま、我はジェシカの親としてスイファに接することに決めたのだった。