第13話 スイリュウ(2)
娘に我らの愛しい証である呼び名を告げると、娘ははらはらと涙を零した。涙はどんどん溢れ、娘は次第に声を上げて泣き始めた。
その泣き声は、今まで聞いたことがないような悲痛なものだった。泣いたことがないのか、泣き慣れていない泣き方。我はそれがとても悲しかった。
娘の今までの人生に、一体何があったのか。何があればあのような泣き方ができるのか。
娘の魔力が少し翳っているのも、その影響なのだろう。また怒りが湧いてきたが、娘があてられては困るので必死に抑えた。
愛しい子、どうかこれ以上泣かないで。
娘が泣く姿を見るのは、辛い。
次第に泣き止んだ娘が、掠れてしまった声で話しかけてきた。
「私はやはり『愛し子』と呼んでいただけるような人間ではありません。だってこんなにも醜い人間なのです。どうか、どうか私を呼ぶならば『愛し子』ではなく『忌み子』と呼んで下さいませ」
泣き叫びながら何かをずっと考えていたのだろう。
娘は難しい顔をして、嫌な提案をしてきた。愛しい子を何故『忌み子』などという忌々しい呼び方をせねばならぬのか。
娘なりに考えた結果なのだろうが、我はこの娘が愛しい。だからそんな名で呼んでやるわけにはいかぬ。
「強情な娘よの…しかし『忌み子』というのは気に入らぬ」
「ですが」
「我に逆らうのか」
少しだけ怒気を声に纏わせれば、娘は慌てた様子で「いえ!」と叫んだ。
ふん、それで良い。『愛し子』には『忌み子』などという呼び名は似合わぬからな。
「それでよい。して、愛し子は何故あのようなところに寝ておったのだ?」
「家から…出てきたのです。妹が出ていけと言ったので、それに従いました。私はあの家では家族の言葉に逆らうことが出来ません。なので今回も妹の言葉に従い家を出ました」
「なるほどのう。それにしては随分衰弱していたようだが…何か理由でもあるのか」
聞いてみれば、やはり娘は人間の領土で暮らしていたようだ。精霊に引き渡さねばならぬはずなのに、妹のスペアとして生きることを強要するとは。娘の両親に怒りを覚えずにはいられなかった。
だが、娘の妹が短慮を起こしてくれて良かった。そのおかげで娘は両親から逃れることができたのだ。恐らく娘の妹も両親に似て碌な人間ではないであろう。娘がその家から逃げ出せたことは非常に幸運だった。
娘が泣き叫んでいたのも、家族からの扱いが良くなかったからだろう。自己肯定が上手くできない子に育ったように思える。
妹のいつかの身代わりとして育ってきたのだから娘がこうなるのは仕方がないことなのだが、それでも悲しいことだ。
娘の境遇を思うと、怒りと悲しみで我は魔力が溢れそうだった。このようなこと、許されてはならない。
娘はもっと、幸せにならねばならない。
そして我は、いつの間にか娘にとんでもないことを口走っていた。
「お主、帰る所がないのならばここで我と暮らしてみる気はないか?」
娘は大層驚いていた。そして我も内心驚いていた。
我は何を口走った?
確かに愛しい子ではあるが、我は基本的に人間とは関わるつもりはない。娘を拾った時も、回復したら精霊たちに引き渡すつもりだった。
今までになく動揺しているが、娘はもっと動揺しているようでそんな我の様子に気づいてはいないようだった。我の不甲斐ない姿に気付かれずに済んだことに安心した。
安心して少し余裕を取り戻したので娘に問いかけてみる。
「呆けておるの。我の言っていることが分からぬか?」
「い、いえ!ですが良いのですか?私はあなた様の住処に勝手に入り込んでしまうような不届き者です…」
「ああ、緑竜のあの話のことを思い出して言っておるのか?ならば問題はない。最初は確かにお主が我の住む領域にいたことに苛立ちはしたが、お主は『愛し子』だった。お主が我の魔力に惹かれたように、我もお主の美しい魔力に惹かれた。故に衰弱して死にかけておったお主を死なぬよう、ある程度回復させてここに運んだのも我よ。だからそのようなことは気にすることはない」
「え!?」
「そそっかしいだけでなく、随分と騒がしい愉快な娘よの。まあよい、返事は急がぬから今一度休め。お主はまだ混乱しているようだし、何より衰弱しておる。話はそれからだ」
娘は色々と理解が追い付いていないようだったが、とりあえずまだ衰弱しているのもあって娘を眠らせた。睡眠魔法をかければ娘はすぐに眠りについた。治癒魔法も忘れずにかける。
我も、今までにない事態に混乱していたのやもしれぬ。
何故あんなことを口走ったのか。『愛し子』の魔力に惹かれたせいで冷静さを失ったのか?
娘を精霊に引き渡そうという思いと、そばに置きたいという思いがせめぎ合い、どうしたらいいか分からぬ。
考えても考えても埒が空かず、娘が目を覚ますのを待った。
悶々としたまま眠れずにいたら、いつの間にか娘が目を覚ましていた。身体の調子を聞けば、どうやら良いらしい。治癒魔法の効果と洞窟内で魔力の流れが良くなったことが要因だろう。
娘が不思議そうな顔をしていたので治癒魔法を使ったことを教えてやると、目を見開いて驚いていた。なので得意になって色々と話してやると、娘は目を輝かせて聞き入っていた。
だが、娘は可笑しなことを言った。魔法を使ってみたかった、と言う。普通の人間には無理だが、『愛し子』は魔力を持っているので魔法を使える。なので娘にも魔法が使えるだろうと言うと、娘は大層驚いていた。
娘はどうやら自分が魔法を使えることを知らなかったらしい。この様子だと、そもそも魔力を持っていること自体気付いていないかもしれない。一応娘の魔力に惹かれたと言ったのだが、頭が追い付いていない様子だったのでそのこと自体忘れているかもしれぬ。
娘がこのようなことすら知らぬ現状から、碌な知識を与えられていないと判断し、我の知っているいくつかの情報を直接娘の頭に流し込んだ。
知識を娘の頭に流し込む間、娘の感情が少しだけ我に流れ込んできた。不安や困惑、驚愕。そういった感情と、少しの悲しみ。
我は、この娘が哀れでならない。
何も知らぬ、愛しい愛しい子。
何故だかこの娘を手放してはいけぬ気がして、我はいつの間にかまた娘に問うていた。
「ここで暮らせば自ずと疑問は解消されよう。愛し子よ、どうするのだ?我はそろそろ答えが欲しい」
「は、はい…」
娘が困惑しているのがよく分かる。
返事は急がぬなどと言いながら、急かしてしまっているのだ。困ってしまうのも無理はない。
だが、我は何故だかこの娘を手放したくはない。娘に時間を与えれば、色々と考えて我の元を去ってゆくやも知れぬ。だから、思わず急かしてしまったのだ。
娘は悩んだ様子だったが、覚悟を決めたように返事をした。
「私を、ここに住まわせていただけますか?」
その言葉で歓喜に心が躍ったが、平静を装い娘に答えた。
「よいぞ、歓迎しよう。我一人では飽いていたところだ、丁度良い」
「これから宜しくお願い致します」
「うむ。よろしく頼むぞ愛し子よ」
我はこれからの暮らしにこの娘が加わることが、単純に嬉しかった。
それを悟られぬよう平静を装う様は自分でも酷く滑稽に思えたが、それでも良いくらい、嬉しかったのだ。