第9話
目に入ってきた情報を整理している間に、近くにいた蒼い髪の女性が私に駆け寄り、何を思ったのか抱き着いてきた。ぎゅっと柔らかい感触に包まれながらパニックになる。
一体何が起こっているのだ、何故抱きしめられているのだ。この蒼髪の女性は人間なのか?精霊なのか?一見人間にしか見えないが、人間で蒼い髪のものがいるなどと聞いたことがない。そもそも精霊の容姿がどのようなものかを私は知らないのだが、ここが精霊の集落であるのなら、やはりこの女性は精霊なのだろうか。
沢山の疑問を抱え、答えを見つけられないまま大人しく腕の中に収まる。段々抱きしめる力が強くなり、息が苦しくなってきたのだが、この腕を振り払ってもいいのだろうか。
どうしていいか分からずスイリュウ様に目で助けを求めると、小さくため息をついたスイリュウ様は私を抱きしめている蒼髪の女性に話しかけた。
「おい、戸惑っておるではないか。やめてやれ」
「だってだってやっとあなたが言っていた『愛し子』に会えたのよ!あぁ、素敵だわ!なんて愛しいのかしら!」
「その愛し子がお主の腕の力で苦しんでおるぞ」
「まあ、ごめんなさい!」
蒼髪の女性はぎゅうぎゅうと締め付けていたことに気付いたのか、腕から解放してくれた。苦しくてなかなかできなかった呼吸を存分にしていると、蒼髪の女性は私の頭をそっと撫でた。
「いらっしゃい、可愛い可愛い私たちの『愛し子』。ここは水の精霊の集落よ、私たち精霊は貴女を歓迎するわ」
優しく笑い、彼女の口から告げられた言葉は私を歓迎する言葉だった。どうやら彼女は精霊で合っていたらしい。
かつて味わったことのない幸福感に押しつぶされそうになっていると、目頭が熱くなってくる。
本当に、本当にこんなにも優しい言葉をかけてもらえるとは。沢山の食料や家具、日用品などを貰いつつも、私は精霊たちの優しさをどこか信じられずにいたのかもしれない。長い長い優しさとは無縁の日々が、信じることを躊躇わせた。
だけど実際に精霊に会って、彼女の表情や言葉から感じられたのは、間違いなく優しさだった。零れることを躊躇っていた涙が、目に留まることを諦めて素直に頬を伝い落ちる。
私は嬉しいことがあるとすぐに泣いてしまうようだ。情けなくて恥ずかしいけれど、とても喜ばしいように思う。無表情で無感情に暮らしていた頃の私より、好ましい。
静かに涙を流していると、蒼髪の女性は今度は優しく私を労わるように抱きしめた。
「随分と辛い日々を過ごしてきたのね。大丈夫、これからはきっと素敵で幸せな毎日が続くわ。ゆっくりと優しさを受け入れていけばいい」
女性の胸に顔を埋めながらこくこくと頷くと、女性は鈴の転がるような声で嬉しそうに笑った。
しばらく女性の胸を借りた後、ゆっくりと顔を離して女性を見上げた。彼女は背が私よりも頭一つ分高いので自然と見上げるような形になったのだ。
「あの、服を汚してしまってごめんなさい…」
「気にしなくていいわ。寧ろこの涙で濡れた状態のまま丁重に保存しなくては!」
今なんとも信じ難い言葉が聞こえたような気がしたのだが。女性は相変わらずにこにこしている。
うん、聞き間違いかもしれないし、気にしないようにしよう。
今まで泣いていて気付かなかったが、いつの間にか私の周りにわらわらと精霊と思われる美男美女たちが集まっていた。何故か皆うずうずしている。
「あ、あの…?」
困惑しながらも彼らに声を掛けると、待っていましたと言わんばかりに歓声が上がる。
『ようこそ!私たちの集落へ!』
そして私のところに人がなだれ込んできた。精霊たちに男女関係なく抱きしめられ、握手をされる。歓迎されていることは間違いない、間違いないのだが…かなり過剰な歓迎ではないだろうか。それとも歓迎するときは皆こうするものなのか?
家庭教師にそういったことも聞いておけばよかったと少し思いつつ、私はしばらくの間されるがままになっていた。
◇ ◇ ◇
精霊たちにもみくちゃにされた後、スイリュウ様からお叱り?を受けた精霊たちに連れられ、集落の中でも一番大きな家にお邪魔することとなった。
その大きなお家は、家というよりは屋敷といっていいくらいの大きさで、私の住んでいたオールストン家の屋敷より少し小さいくらいだった。外観は白のみで、素材は石だと思われる。シンプルな四角い形をしていて、特に屋根のようなものは見受けられない。石を削って作ったのだろうか。
中に入ると白と青と茶色で統一された上品な家具たちが並び、床には青い絨毯が敷かれている。案内されて座ったソファは、とてもふかふかしていて座り心地が良い。テーブルは色硝子で作られているようで、完全な透明ではなく仄かに青い。何もかもが、上品で美しかった。
私の目の前に座っているのは、この家の持ち主であるというこの集落の長のセイファさんとその妻ラーファさん。右側のソファに座っているのは初めに私に声を掛けてきた(抱きしめてきた)ソーファさん。彼女はどうやらこの集落の長の娘だったようだ。もう一人息子がいるらしいが、彼は今出掛けているそうだ。
…それにしても精霊という生き物は皆見目麗しい。ここに来るまで色んな精霊に声を掛けられたが、美男美女しかいなかった。その中でも目の前の夫妻と女性は特に美しかった。
気が付くと目で追ってしまうような容姿をしている。人間よりも、精霊とはずっと美しい生き物なのだなと思った。
体が大きくて入れない為にこの家の前で待機しているスイリュウ様によると、魔力を所有する者は容姿が美しい傾向があるらしい。だから精霊は皆美しいと感じるのだろうと言っていた。
因みにスイリュウ様は特に容姿に拘りはないらしく、魔力が美しければなんでもいいらしい。私も特に容姿に拘りなどはないが、見目麗しい人は好きだ。目の保養、とでも言うのだろうか?見ていて幸せな気持ちになれる。ずっと眺めていたいくらいだ。
私自身も妹のアリスと同じで美しい容姿をしているらしいが、好きではない。元々自分の容姿に特に興味はなく、好きでも嫌いでもなかったのだが、あの家を思い出す要素となってしまった今現在は寧ろ嫌い寄りになっている。どうしても、好きにはなれない。
さて、何故ここに招かれたのかと言うと『愛し子』について教えてもらうためだ。スイリュウ様にも精霊たちに聞く方が色々知りたいことが知れるだろうと言われ、集落の長の娘であるソーファさんに連れてきてもらったのだ。
話を前に少し緊張する。私は何も知らないから、今は情報が欲しい。今後スイリュウ様と暮らしていくにしても、自分がどういう存在なのかを知っておくことは悪いことではないように思う。
もし、もし仮にオールストン家の人たちに見つかり連れ戻されそうになったとしても、『愛し子』である自分の立ち位置を知っていれば対抗できると思うのだ。
私はスイリュウ様との、今のこの暮らしを絶対に手放したくはない。やっと掴んだ自由と幸せを、いつまでも噛み締めていたいから。
私は背をピンと伸ばし、セイファさんが口を開くのを緊張した面持ちで待った。