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桜井香里は傷ついた。

 

 夜闇にインターホンの音が鳴り響く。

 方向感覚には自信がある冬華とうかでも、さすがに初見ですんなり誰かの自宅に辿り着くというわけにはいかなかった。息は切れ、太陽はとうの昔にその役割を月と交代している。

『はい?』

 気だるそうな女性の声。香里かおりのものではないことはすぐにわかった。ハッキリ聞こえるように、と思ったところで近所迷惑にならないかという懸念が浮かび、結局普段よりも声を潜める形になる。

「私、香里さんの友人で桐島きりしま 冬華とうかといいます。香里さんの体調がすぐれないと聞いて、お見舞いをと」

『あー、香里の友達? ちょっと待っててー』

 ブツリと接続は途切れ、何秒もしない内に玄関が開かれる。ラフな部屋着姿の若い女性が顔を覗かせ、ちょいちょいと手招き。香里の姉だろうか。

 逆らう理由のない冬華は一言添えて素直に門扉をくぐった。

「香里、部屋にいるから。二階上がって突きあたり」

 それだけ伝えてさっさと行こうとする香里姉(仮)だが、よそ者としてはそれで勝手に上がるのも申し訳ない。

「あの……」

「んー? 別に気ぃ遣わなくていいよ。飲み物だけ持ってくから、好きにしてくれれば。てか今日泊まる?」

「そういうわけには……。突然押しかけてますし」

 遠慮するのが普通で、ごく自然なやり取りのはずだが、姉らしき人物はケラケラと笑った。

「いいのいいの。ウチはそういうの歓迎するから。向こうじゃもうアンタの分のご飯作り始めてるし」

 それはまた……。

 自身の都合を鑑みても、不都合があるわけではない。向こうが構わないと言っているのだから、あとは自分が遠慮をなくせばそれで済む話なのだ。

「じゃあ、お言葉に甘えて」

「おっけ。言っとく」

 妙に上機嫌になりながら、彼女は去っていった。

 さて。

 言われた通り、階段を上がって突きあたりの部屋を目指す。ドアには「かおりのへや」と、幼い頃から使っているのであろうプレートがかけられており、迷うことも間違えることもなかった。

 ノック二つ。

「……お姉ちゃん? 入っていいよ?」

「失礼するわ」

 香里の勘違いはスルーして、冬華は戸を開けた。

「えっ、と、冬華ちゃん!?」

「こんばんは。具合はどう?」

 彼女はパジャマ姿でベッドに横たわっていたが、あまり辛そうには見えない。声もおかしくないし、体調そのものは既に回復してきているようだった。

 が、驚いた反応を見せた後は再び布団にもぐってしまう。

「うん……大丈夫、だよ」

 今にも消えてなくなってしまいそうな声。

「大丈夫じゃないでしょう。二日も休んで、連絡も出来なかったじゃない? それとも、わざと私には言わなかったの? 何か理由があって」

 妙に長ったらしい言い方になったのは、もはや半分癖のようなもの。ここまで言うことで「気にしてないけれど」とアピールしておかないと、香里は気に病む。

 まだ数日の付き合いだが、悪い子ではないが同年代の友達は少なそうなタイプだと冬華は知っていた。

「ううん……本当はね、熱があるとか、そういうんじゃないんだ」

 告白。

 なんとなく、そんな気はしていた。悪い予感が的中していたことを悟り、冬華はおもむろにスマホを取り出した。

 そして、予想通りのものを予想通りの場所に見つけ、やりきれない想いを小さなため息に乗せた。

 冬華が開いたのは、香里が投稿を続けている作品の感想ページ。ここに感想が書かれれば通知が作者にも行き、だからこそ香里でも気づけたのだろう。

『テンポが悪いし、行動原理もよくわからない。明らかに雑なくせに投稿して恥ずかしくないのかと思う。これにお気に入り登録してる奴は全員頭おかしい』

 そんな、言われた側の気持ちを何一つ考えないような冷たい感想だけが、一つ、書き込まれていた。

「……本当、世の中には嫌な人種がいるものね」

「…………」

 返答はない。

 続ける。

「気にすることないわ。……と言っても香里ちゃんは気にするんでしょうけど」

「……あたしの、せいだから」

「違うわよ。本当に意地悪だけでこういう事を言う人って存在するわ。残念ながら、世界は香里ちゃんみたいに優しい人ばかりじゃないのよ」

「……ちが、違う……あたしが、上手く出来ないから……だか、ら……っ、関係ない人、も、悪く言われ、ちゃって……冬華ちゃん、も……っ」

 冬華の悪い予感は的中していた。

 悪意に晒されて、この子はひどくショックを受け、深く傷ついた。このような悪意だけの感想は、作品をもっとよくしようと考えてくれている人のものじゃない。無視してよいものだと冬華は知っているが、まだ初めての彼女にはそれがわからない。

 そして、こういう事が原因で筆を折ってしまう作者もまた、数多くいる。

 冬華は、香里のにおいがするベッドに腰かける。

「私はね、好みの問題だと思うのよ。どんなに人気のある作品だって、それを知りもしないで叩きたがる人はたくさんいる。嫌いなもの、興味がないものは貶めていい……そう考えてしまうのが普通なのよ」

「でも……でもぉ……っ」

「香里ちゃんは優しいから、きっとこう考えるのでしょう? 『自分が至らないから。それに、こんなことで学校を休むほどダメになって、家族にも友達にも迷惑をかけて……』って」

 少しだけ、冬華にも覚えがある。自分が信じている何かを全否定された時のショックというのは本当に大きい。反発して怒りをぶつけあえるならまだいい。そこから新しい何かを見つけられるかもしれないし、そうでなくとも相手がバカなだけだと思えれば傷つきはしない。

 だが、香里のようなタイプはそうではない。

 自分が悪いのだと真っ先に考え、傷つき、辛いのは自分であるはずなのに、そのことで迷惑をかけてしまうことを恐れ、そんな自分にまた傷ついて……そして何も知らない人々は、それを「弱い」と蹴落とすのだ。

 本当に優しい人ほど割を食う。辛い思いをする。ここは、そういう世界なのだと冬華は考えている。

 だから、今の香里に対する言葉も自然、決まってくる。

「貴女がそう考えるなら……いつでもやめてもいいのよ」

「やめる……?」

「ええ。貴女が辛いなら、小説も、私と関わることも、全部やめていい。辛い思いをしてまで続けることないのよ」

 世界は冷たい。だからと言って、「私がいるから」なんてその場しのぎのような軽薄な口約束は出来ない。自分は所詮一人の女子高生でしかなくて、英雄でも何でもないのだから。本当に辛くて、苦しくて、死んでしまいそうで、助けを求めている時に、自分は駆けつけてあげられないかもしれない。彼女のことをわかってあげられないかもしれない。

 そして、もしそうなってしまったら、彼女に与える絶望は測り知れない。それこそ、自ら命を絶ってしまう可能性だってある。

 弱くて何も持たない私に出来るのは、優しい貴女をほんの少し甘やかしてあげることだけ。

 それが嫌だったら、私のことは嫌ってくれて構わないわ。貴女みたいな人は、きっと本当に大嫌いな人じゃないと関係を切れないもの。

「今すぐ決めなくていいわ。でも、貴女の思ったようにしたらいいのよ」

「……冬華ちゃんは、あたしのこと、どう思ってる?」

 心臓が大きく跳ねた。

 ただそれも一瞬で、諭すような声で繕う。

「心配になるくらい、優しい子だと思うわ」

「……あのね。あたし、もう少し書いてみる」

「そう」

 少し、沈黙が降りた。そういえば、飲み物を持っていくと言っていたのになかなか来ないのは、実は扉の前で聞き耳を立てているからなのでは。

 不要な心配に駆られて出入口が気になり始めた冬華の耳に、遠慮がちなくぐもった声がかけられる。

「冬華ちゃん、今日は帰っちゃうの? ……その、もし、出来れば、なんだけど」

「今日は泊まっていくわ。貴女が望むなら、明日学校を休んでもいいけれど」

「そんな……悪いよ」

「弱ってるのは香里ちゃんでしょう。私は何も気にしないから、今だけは言えるだけわがまま言いなさい」

「……ありがと」

 布団にこもっていた香里は、ようやく顔を出した。

 目元は赤く腫れ、瞳はまだ潤んでいる。だが、悲壮な色はない。

「晩ご飯食べよ! お風呂も一緒がいい! それでね、今夜はたくさんおしゃべりして、明日からまたたくさん書く!」

「……ふふっ」

「えっ、何で笑うの!?」

「いえ、なんでも。ふふ……ごめんなさい」

 ひどいひどいと騒ぐ香里を宥めながら、冬華はようやく安心していた。

 香里は感動すると語彙が弱くなる。

 つまり、少なくとも今は。

 深く傷ついて沈んではいないとわかったから。


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