桜井香里は初めて知った。
「ダメって……具体的にどこがどう?」
初めて書いたとはいえ、面と向かってダメと言われたことは思いの外ショックだった。痛む胸の内をひた隠し、思わず出そうになる涙をこらえる。
「赤のボールペンあるかしら」
冬華の要求に応じ、筆箱から取り出して渡す。
彼女は素早く数ページを捲り、いくつかの行の最後を丸で囲った。いずれも隣り合い、連続した行だ。
「いい? 印をつけた箇所は語尾が同じになっているの」
見ると「~した。」という終わりになっており、それが連続している。
「こうやって同じ終わり方が続くと、多くの人はくどく感じるわ。意図的でないなら変える方が無難ね」
「そうなんだ……言われてみるとそうかも」
創作用に買ってきたノートにメモを取る。それを見た冬華は、丸印の横に「語尾連続注意」と記した。
自身が解るレベルで字を崩してメモしつつ、香里は意外に思っていた。
校正などの作業があることは知っていたが、まずは話の内容を指摘されるものだとばかり思っていたのだ。そして、そこが一番気になる部分でもある。
面白かったのか、そうでなかったのか。
面白かった、よかった、と言ってさえ貰えればそれでいい。それが一番嬉しい。
こんな些細な部分をいきなり言われても、なんだか素直に聞く気にはなれなかった。
「それから、誤字が少し目立つわね。人間なのだからゼロには出来ないけれど、もう少しだけ気を遣った方がいいわ」
「ごじ……っと」
「これは誰か一人でも読む可能性があるなら大事なことよ。クライマックスで誤字が何度もあったら、たとえそれがどんなに素晴らしいシーンでも興ざめでしょう?」
「うん。今夜直してくる」
そわそわ。
いつ頃来るだろう。ストーリーやキャラクターに対する評価は。
「それと、プロットは今持ってる?」
「……プロット?」
「プロット」
冬華は当たり前のように言うが、香里にはあいにくと聞き覚えのない単語だった。首を傾げながらオウム返しするも、やはり出ては来ない。
「えっと、バラエティ番組に出てくる字幕?」
「……それはテロップね。知らないなら知らないでも構わないわ」
一言「ごめんね」と謝罪すると、冬華はかぶりを振る。別にいい、謝るほどではない、という意味だろう。
「プロットっていうのは、そうね……小説の設計図というのが簡単な説明かしら」
「下書きのこと?」
近い形のそれを探し出すも、冬華は芳しい反応を返さなかった。唸るようにして言葉を探す。
「下書き……とも少し違うけれど……まぁ、いいわ。とにかく、プロットを組んで、それから書き出すのが一般的なのよ」
「どうして?」
香里の純粋な疑問が冬華を追い詰める。問われて初めて気がついたが、冬華もそれほど深くプロットというものについて考えたことはなかった。
「そうねぇ……だから、適切に表すのなら設計図なのよ。どうやって話を展開するのか。それを忘れない為。客観的に見る為。作る理由は人によって違うわ。プロでも作らない人はいるし」
「うーん……?」
「あんまり深く考えない方がいいわね。軽く調べて、機会があったら作ってみるといいわ」
「わかった」
プロット、と走り書きしながら、香里はいい加減聞きたくて仕方なかったことを問う。
本質的で、物語の紡ぎ手なら誰しもが欲するであろうそれを。
「その……内容はどうだった?」
ドキドキしたし、頬が熱くなった。羞恥なのか、違うものなのか。初めての感覚でわからなかったが、はっきりしていることもある。
怖い。
でも、昂揚する。
知りたい。
自分の編んだ物語が人にどう思われるのか。それがフィードバックされる瞬間が、目の前で起ころうとしている。
香里のボキャブラリの中からその気持ちを表現するに相応しい単語を掬い上げるなら。
すごく。すっごく、楽しみ……!
「……そんなキラキラした目で見ないで頂戴」
「え、えぇ!? あたしそんな目してた!?」
「まぁ、いいけれど」
今度の気持ちは香里もよく知っていた。恥ずかしい、というのだ。
「テーマや設定はありきたりと言えばありきたりね。むしろ、下手にオリジナリティとか考えなかったのはいいことだと思うわ」
「う、うん。初めてだし、まずはそうした方がいいかなって」
思ってたのとちょっと違うなぁ……。
冬華は顔色一つ変えない。彼女は技術や理論的な面を見がちなきらいがあるらしい。
「保守的と言えば保守的ね。無難と言えばまだマシだけれど……平凡。処女作にしては上出来だと思うけれど」
う、うーん……なんか違う。上出来と言ってもらえるのは嬉しいけど、なんか納得いかない。
「でも」
「……で、でも?」
逆接が怖かった。それでも、止めることをしなかったのはどうしてだろう。
香里の複雑な心境など知る由もない冬華は、無慈悲にも言葉を続けた。
「これを書いている時、貴女楽しかったでしょう?」
「え……」
予想外の言葉に絶句する。
冬華は「気味が悪い」と言っていたはずのコピー用紙に、香里の綴った文字達に、自分の子供を撫でるかのように優しく触れた。
「そういうの、読む側には意外とわかるのよ。これを書いている時の香里ちゃんの楽しそうな姿とか。一生懸命考えたんだろうなってこととか。そういうのが伝わってきてこっちまで楽しい気分になるわ」
「う、うん……?」
「だからね、香里ちゃん」
冬華の表情が、ほんの少し変わった。それは小さな変化で、錯覚かと思いかねないほどだったが、それでも間違いなく変わったのだ。
紛れもない、笑顔に。
「ありがとう。読ませてくれて」
「ぁ……っ、うぁっ……」
「え、あっ、ちょっと」
「うわあああぁぁぁ……っ!」
「ちょっと、どうして泣くのよ!」
冷静沈着を擬人化したような冬華が狼狽えているのが香里にもわかった。だが、後から後から溢れる涙は止められず。
昔からそうだった。嬉しくても、悲しくても。すぐに泣き出してしまう、泣き虫。高校生になった今もそれは変わらない。バカにされることもあったし、悔しいと思うこともあった。だから今日も袖で必死に目を拭い、情けない自分を払拭したかった。
「ごめんなさい。初めての作品なのに、少し言い過ぎたわ」
「ち、ちが、っ……あた、し……うれ、嬉し……かったから……っ!」
「じゃあなんで泣くのよもう」
「ごめ、ごめんなさ……っ」
「……いえ、好きなだけ泣くといいわ」
冬華の口から聞こえたのは、香里を責める言葉でも、からかう言葉でもなかった。
「それが香里ちゃんの素直な気持ちなんだもの。偽る必要なんてどこにもないわ。……感じたこと、思ったことを、貴女らしく表現すればいいのよ」
香里がより一層泣いたことは、言うまでもない。
作中で冬華が指摘している点などはあくまで彼女の意見です。正しいことを言っているというわけではないことをご了承ください。




