一章 二撃目 踏んだり蹴ったり
アエネアが案内してくれたのは3階。そこにローゼの部屋がある。
「おっ、調度品が増えてきたぞ。と思ったらローゼさんの部屋前で、完全に無くなった」
「さっき通った所は、来客用の部屋に繋がる通路何です」
二人はローゼの部屋に入る。
「地味な部屋だな」
入っていきなりそんなことを言ってしまう程、ローゼの部屋は質素だった。
部屋に置かれた家具は、木の質感と金属の味わいを楽しんでくださいとばかりに、装飾が施されていない。
ナナイが内心期待していた、都市連合のお金持ちが使うという天蓋付きベッドではなく、普通のベッドが置かれている。
家具の全てが一般家庭でも買えそうな代物で、部屋の広さと家具のサイズがマッチしていない。
無駄にスペースが有り余っている部屋が、ローゼの部屋だった。
アエネアがお茶を用意してくれるというのでナナイは、一人寂しく部屋の中央に置かれたソファー、に座った。
部屋の広さの有効利用に失敗して置かれたソファーは、座った者をモヤモヤした気分にさせる。
アエネアが用意してくれた紅茶を、ナナイは飲んだ。
紅茶は、お茶とは思えないほど美味しく、アエネアはやはり一流のメイドだとナナイは見直したが、
「さーて、そろそろ始めましょうか」
(掃除でもするのかな)
アエネアがタンスから取り出したローゼの下着を、自分のポケットに詰め込み始めたのを見て、紅茶を吹き出してしまった。
「ゲホッゲホッ。アエネア! お前何やってんだよ!」
変態はここまでするのか、という驚愕を込めたツッコミだった。
しかし、アエネアはどう受け取ったのか、
「大丈夫です! 私はお嬢様の下着なら、洗濯済みでも全然平気です!」
(そう言う意味じゃねーよっ!)
アエネアの白昼堂々の犯行は、ポケットがパンパンになるまで続けられた。
「ふう、どうしましょうか。これ以上は持てないですし」
(普通に諦めろよ、あ……)
もっと沢山の下着を持つにはどうするかと、頭を捻るアエネアに近づく影が一つ。
その影は物音一つ立てずに、一切気配を悟らせず、アエネアの背後に立った。
「だったら今すぐ戻しなさい!!」
「あっ、お嬢様っあたたたたた!」
振り向きざまのアイアンクロー。
顔からミシミシと音を立てながら、片手で持ち上げられると言う、女の子がしちゃいけないことをする、する側とされる側の二人。
ローゼは片手で持ち上げたアエネアのポケットから、下着を取り出し、
(ヤバすぎるって、なんかアエネアが動かなくなってるよ! 大丈夫なの?!)
全力の投擲。
完璧な投球フォームから投げられたアエネアは、床、石の柱、壁と、ぶつかっても壊れない軌道でバウンドしていく。
最後にバウンドしたアエネアは、壁隅に避難していたナナイと激突し停止した。
(グフゥッ。何だこれ、削がれた筈なのに直撃の威力が、十分俺を殺せる威力なんだが)
ナナイが気絶しそうになる中、ローゼが恐る恐ると近づいてきた。
「ごめんなさい。大丈夫だった、ナナイ?」
「心配するなら、アエネアのことも、ぜはっ、してやれよ」
それを聞いたローゼは、白魚のような指で風呂に入って湿っている髪をかき上げて、
「アエネアは大丈夫。あの程度で怪我をするほど柔い体はしてないわ」
気にする必要は無いわ、と言った。
「あれで怪我してようやく柔い体って言われるのなら、俺の体は豆腐だよ。グフッ」
そのままナナイは意識を失った。
☆☆☆
ナナイが目を覚ました時、昼頃だった時刻が夕方近くになっていた。
「やっと起きたわね」
ローゼは、部屋に置かれた机で何やら書類と向き合っている。
ナナイは寝かされていたソファーから、体を起こす。
部屋には、ローゼとナナイしかいなかった。
「アエネアは?」
「アエネアなら、夕食を作りに行ってるわね。それに他の雑務もあるし」
「アエネアが食事を作ってるのか。一応聞くけど、料理人は?」
「雇ってないわね。一応来客が来た時はお願いしてるけど」
「でしょうね」
そこまで言ってナナイは気づいた。
ローゼは見てのとおりケチだ、貧乏性とも言える。
そんなローゼは料理人すら雇っていない、そこでナナイはある恐ろしい事実に気づいてしまったのだ。
使用人を一人も見かけなかったことに。
「な、なあローゼさん。まさか使用人って、アエネアだけだったりしないよな」
「使用人ならアエネアの他に三人いるわね」
ほっと一安心したナナイ。
ローゼの住む屋敷には、アエネアを含め四人の使用人がいる。
アエネアは基本、ローゼに付きっきりなので実質的に三人で家の清掃などを行っている使用人達。
屋敷のサイズを考えれば少ないが、住んでいる人がローゼとナナイ、アエネアと使用人三名、プラス一名しかいないので、なんとかなっている。
ローゼが書類の山を抱えてナナイの隣に座った。
「これ、専属機士になるために必要な書類」
「まさか、それ全部にサインしろとか言わないよな」
書類はかなりの枚数がある。
名前だけ書いて行っても、余裕で夜中までかかるだろう。
そんなナナイの心配は杞憂で、
「まさか、何かを書いたりするのは一部だけね」
ほっと一息ついたナナイは、
「だけど、全部に目は通してね。守らなきゃいけない法律とか、色々かいてあるから」
絶望を突きつけられた。
アエネアがカートに乗せて食事を運んで来る。
そして、手早く部屋にある大きめの机に配膳していく
カートなどに載せてはいるが夕食は簡単な物で、食材費はとても安い。
「ナナイ君はどうしますか? ご飯」
「お、い、ど、い、で」
ナナイの作業はアエネアが夕食を持ってくるまでに、だいぶ進んでいた。
最初、ナナイは大量の書類なんて捌いたことが無かったので、遅々としてまるで捗らなかった。
たが、それを見たローゼが業を煮やして、手伝ってくれたのだ。
そのおかげで、作業スピードがかなり向上し、半分に届く、くらいまで進んでいる。
アエネアとローゼが夕食を食べ始めたあたりで、ナナイは気がついた。
「そもそもこの作業、今日中に終わらせる必要ってあるのか!」
数時間の作業の末に辿り着いた心理。
「明日には役所に提出してもらうから、今日中にお願いね」
それは現状と何も変わらない、事実だった。
ナナイはペンを机に置き、仲良く二人で食べて食卓に仲間入りする。
「いいの? ここで食事を取ったら夜中までかかるわよ」
「食事を取らなくても夜中まで掛かりそうだろうが。飯食って元気になって作業すれば、結果的に早く終われる筈だ。多分、きっと、そう願ってる」
開き直った様子で、夕食を眺めるナナイ。
「虫か……」
少し残念がった表情を見せたナナイに、ローゼが不思議そうに問いかける。
「虫、嫌いだったの?」
「別に嫌いなわけじゃないよ。期待はしてなかったけど、大きな都市のお金持ちの夕食で、虫を出したりしないだろ」
ナナイの意見にアエネアも同意するように、
「お嬢様レベルのお金持ちで、虫を食べる人は少ないですからね。最近は虫食も減ってるて言いますし」
「美味しいし、栄養豊富なのよ虫は」
ローゼは言って、揚げた虫を食べる。
今、ローゼが食べたのは、味と栄養の割に値段が安いと評判で、主婦の強い味方の虫だ。
虫食は一般的ではある。
しかし、ヘルムビルのように幾つもの農村から、農作物の流通体制が確立されている都市では減少傾向にある。
富裕層では虫を庶民の食べ物とし、値段の高い農作物を食べることが多いが、庶民の間では大事な食料だ。
食事も早々に終わらせ、ナナイは再び作業に戻る。
そして、どうにかこうにか作業を終わらせると、時刻は真夜中になっていた。
今日から自室になった部屋の明かりを点け、ベッドにナナイは身を投げる。
体を優しく包んでくれる柔らかさは無い。固い。
軽くベッドで一休みしてから、ナナイは荷物から一冊の手帳を取り出す。
窓際に置かれた机に手帳を広げる。
そこに書き込むのは今日1日あったこと、つまりは日記だ。
毎日書き続けている日記。早くしないと、今日の出来事が昨日の出来事になってしまう。
急ぎ目で書こうとペンを持ち、
「消灯時間に成りました〜〜」
軽快なアエネアの掛け声と共に、部屋の明かりが全て消えた。
「ちくしょーーーー!」
ナナイの叫びが木霊する部屋は、黄と白の二つの月が薄く照らしていた。