四撃目 お嬢様と変態
ナナイ達が貨物車で作業を始めた頃。
一人の少女が、お盆に乗せた暖かい紅茶の入ったティーカップを、豪華な装飾のされた机に置いた。
「おっ嬢様っ! 紅茶が入りましたよ」
「ありがとう、アエネア」
そう言って、もう一人の少女がティーカップを手に取る。
その光景を、アエネアと呼ばれた少女が、ニコリと言うよりもニタリとした笑みを浮かべて眺めている。
ここは装甲汽車の数多ある席の中でも最上級の席。
もはや席ではなく、車両の一つの階を丸ごと自由にすることが出来る。
他の客車と違って、通路をわざわざ端に寄せて作られた、金などの貴金属で多彩な装飾の施された大部屋には、二人の少女しか居なかった。
一人は変質的な笑みを浮かべた、ロングスカートのメイド服に腰まで届く黒髪をサイドにまとめたアエネアと呼ばれた少女。
年は十代後半くらいで、黒い双眸が舐め回すようにもう一人の少女へ向けられている。
半袖から覗いた両腕が、黒光りした機械の腕になっているのが特徴的だ。
アエネアは銀色のお盆を持ち、もう一人の側に立っている。
そして、もう一人がこの席というか部屋をとった、ローゼベル・モニー・クラッスラである。
ローゼベル——ローゼは、とある商会の一人娘である。
ウェーブの掛かった金髪をしていて、つり目がちの赤い瞳をした十代中盤くらいの少女。
目鼻立ちの整った顔に、無駄な肉の無いほっそりした手足、肌も白くて人形の様だ。
着ているのは黒いフリルがあしらわれたワンピース型のドレスだが、装飾は少なく、豪華に装飾された部屋の中では少々地味で浮いている。
装飾の施されたソファーに腰掛けながら、ローゼは、薔薇の様な赤色の瞳で虚空を見つめて紅茶を啜り、ぼんやりとした表情で言った。
「暇ね……」
それを聞いたアエネアは、顔に不満げに膨らませると、
「そもそも、お嬢様が、「ただでさえ高いチケットを買ったのだからこれ以上贅沢はしないわ」って言って、暇つぶしになりそうな物を何にも持ってきてないからでしょう」
はあ、とため息を一つ吐いてから、罰が悪そうにローゼは言う。
「だってここまで退屈だとは思わなかったのよ。本の一冊くらい持って来ればよかったわ」
「だったらお嬢様。この私とあんなことや、こんなことで、しばらく時間を潰しましょう」
アエネアは、ニタリとした笑みを深くする。
口から涎を垂らしてローゼに抱きつきにかかったアエネアは、ローゼの放ったボディブローを受けて部屋の壁まで吹っ飛んだ。
「いつも元気ね、アエネアは」
「今は、死に、そうです……。お嬢様の脱ぎたてパンツをいただけるなら、例え死んでも復活しますけど」
死にそうな顔は一瞬、すぐにケロリとした顔でローゼの元まで戻ってくる。
「そういえば、さっき虫が襲ってきた筈ですよ。汽車もスピードを上げたので、結構面倒なことになってるみたいですが」
「横から乗客が手を出してきたら、守護兵達の面目丸潰れでしょう……まあ」
すると部屋が、轟音とともに大きく揺れる。
二人がいる部屋があるのは3階。
虫が武装車の上にいるのなら、客車で最初に襲われるのは隣にある、この車両の一番上だろう。
「向こうから来たのなら、別に好きにしていいわよね」
「アエネア、私の剣を。アエネアは別に準備しなくていいわね」
アエネアは、少し離れた所に置いてある荷物の中から剣を取ってくる。
「勿論です。戦闘も夜の戦闘も何時でも準備万端です、ウヘヘヘ」
アエネアの頭にチョップをしてから、ローゼは剣を片手に扉に近づく。
扉を軽く開けて外の様子を伺う。
外にいたのは、長い触角に短くとも強靭なニッパーの様な顎を持つ、全長が小柄なローゼと同じくらいある甲虫達だ。
銅色に輝く甲殻もった虫達が通路を埋め尽くし、今も部屋に押し入ろうと体を隙間にねじ込んできている。
ローゼは虫が苦手な訳ではない。今も、虫達をバラバラにしようと剣を持ったのだ。
しかし、通路が見えないレベルで虫だらけだとは思わなかったのだ。
ローゼは無言で扉を閉める。凄まじい腕力で締めたため、何匹か潰れたが、許容範囲だろう。
無言のまま振り返り一言。
「アエネア、バトンタッチ」
待ってましたとばかりに、アエネアはスカートの下に手を入れ、銃を取り出していく。
取り出した銃は、常人であれば両手で持つことを前提にしたサイズで、小型のボンベが取り付けられているのを二丁。
「いっきまーす!」
躊躇なく足で扉を開け、虫が侵入するよりも早く弾丸の雨を降らしていく。スカートから伸ばされたアエネアの脚は、腕のように黒光りした機械で出来ていた。
通路に飛び出してアエネアは、踊るように休むことなく撃ち続ける。
銃口から、蒸気が抜けていく音を放ちながら放たれる銃弾で、虫達が死体に変えられていく。
前後ろ、横に上に下から虫は何も出来ずに死骸に変えられ、死骸の山を乗り越えて接近する虫は、機械の脚で踏み潰されていく。
弾を撃ち切る頃には、苦手な人が見たら叫び声をあげそうな最悪なカーペットを作り上げていた。
通路に残った虫も掃除しようとアエネアが向けた銃口を前にして、虫達は動くことが出来ない。このまま動かなければ殺され、動いたらもっと早く殺されることが分かったのかもしれない。
「はーい、そこまで」
引き金を引こうとした指はローゼのそんな言葉で止められでしまう。
「何ですか〜お嬢様。良いところで」
いいところで止められたアエネアの声は、少し残念そうだ。
「あれくらいの数に銃を使うのは勿体無いもの」
「えー。幾ら何でもケチケチしすぎですよ」
通路に出てくるローゼ。その足運びには、何の躊躇もない。
虫達の体液で汚れないよう、器用に通路を歩いて行く。
何ら警戒した様子のないローゼに、緊張を解いた虫達が飛びかかり——そのまま無数のパーツに分かれた。
僅かに付着した体液を払ってから、サーベルを鞘に収める。
「無駄を省くのはケチとは言わないの」
わざとらしい笑みを浮かべて答えるローゼ。この地獄絵図の中にあっても、それは見るものの心を捉える笑顔だった。
「はあ〜、お嬢様はやっぱり可愛いです」
心を捉えられたアエネアが、黒い瞳を情欲に染めてローゼににじり寄り、抱きつきにかかる。
「虫の体液塗れの手足で抱きつかないの」
ローゼはデコピンを放ち、もろに受けたアエネアの上半身が大きく仰け反った。
「いっつも抱きつかせてくれないのに〜」
アエネアに特にダメージを受けた様子はなかった。
「それはアエネアがいつも、涎をボタボタ垂らしながらするからでしょう」
「そんな! お嬢様に近づくのに涎を垂らさないなんて……というか!」
ハッとアエネアは衝撃の事実に気づいた。
「涎を垂らさなかったら抱きついていいんですか!」
「減るものもないし、たまにだったら許してあげなくもないけど」
変態の顔になりながら、アエネアは様々な思いを巡らせる。
「涎を垂らさなければ許してあげる!? 涎を止める、止める」
一人でブツブツと呟いていくアエネア。
すると、さっきまで垂れていた涎が止まる。
「涎を止めれば、お嬢様に抱きついて色々して良い!? あっ、想像したら鼻血が」
涎の代わりに鼻血を垂らしていくアエネアを見たローゼは、
「抱きついて色々するのは許さないし……鼻血も駄目だから」
「そんなっー!?」
アエネアの悲痛な叫びが通路に木霊する。
「さてっと、次はいよいよ親玉かしらね」
ローゼは、未だにしくしくと泣いているアエネアを一瞥してから、通路の天井に空いた大穴から軽々跳び出ていく。
「待ってください! お嬢様ー」
アエネアもローゼがいなくなった気配を素早く察知し、置いて行かれないよう出て行った。