プロローグ
「少年犯罪法第1条の適用により、被告人の母を死刑とする」
この判決に世間が驚かなくなってからもう20年は経過している。2015年に少年犯罪法という法律が制定されたからだ。少年犯罪の増加、凶悪化は立法以前から何度も取り立たされていた。少年法の改正で未成年者でも大人と同じ様に罰せられる制度も形式上は出来、インターネットの普及でマスコミが報道しない未成年加害者の実名や顔写真、学校、時にはその親までも公に晒される事もあったが、所詮それは凶悪な少年犯罪の抑制に目に見えた効果はもたらすことは出来なかった。
そんな日本が、ある事件をきっかけに国内外の一部から史上最悪の法律とも呼ばれる「少年犯罪法」を制定したのだ。その少年犯罪法で最も問題視されているのが冒頭で述べた第1条の条文だ。
第1条
未成年者である被告人が求刑を受けた場合、被告人の保護責任者がその刑を負うものとする。
つまり、未成年者が犯した犯罪により、罰を受ける際は、その保護責任者が代わりに罰を受ける、という法律だ。端的に言えば、子供が死刑判決を受けたらその親が死刑になる、という事だ。
法律を制定した政府側は、このあまりに極端な罰則を設けた事により凶悪な少年犯罪を未然に防ぐ、いわゆる抑止力の効果を期待した。しかし、これは少年犯罪の本質を理解していない浅はかな判断だ、と専門家の意見がある。
それらの専門家の意見をまとめると、少年犯罪を起こす未成年者は、その犯罪を犯す事によってどうなるのか、その思考はまだ未熟だ、と述べる。つまりは、ここで殺人を犯せば、自分の大切な両親が亡くなってしまう、という考えが出来ないという理論だ。勿論、それは未成年者に限った事ではないという意見や、未成年者といえど中学生くらいになればその程度の判断能力は出来るだろうという意見もあり、大きな論争を呼んだ。
その論争を鎮めたのは、やはり同じ少年犯罪だった。
少年犯罪法が制定されて約1年が経過した頃、15歳の少年による無差別通り魔事件が発生したのだ。朝の通勤ラッシュの時間帯の電車に乗車した犯人の少年は体が押し潰される程の満員の中で密かに出刃包丁を取り出し、自分の周りにいる人間から順に次々と刺したのだ。スシ詰め状態の満員電車の為、周りの乗客は犯行にはすぐに気付いたが、逃げるに逃げられず、結果的に五名の死者、八名の重軽傷者が出る大惨事となった。
逮捕された少年の動機は、事件の前日、同じ時間帯ので電車に乗車した際、中年のサラリーマンにイヤホンが漏れる音楽を注意された事に腹を立てたというおよそ理解しがたいものであった。
少年犯罪法の制定以降、その適用があったのは少年同士の暴力事件、万引き等の窃盗等が殆どで、その保護責任者が罰金を支払う実刑が下された事はあったものの、懲役刑が下された事は無かった。そういう意味では、今回の事件は世間の注目を大いに集めた。
結果は、上述したように少年犯罪法の存在意義を問う論争に終止符を打つ事となった。
「判決。少年犯罪法第1条の適用により、被告人の保護責任者である父、母を共に死刑に処する」
裁判の経緯で、犯人の少年が少年犯罪法の存在を軽視し、結局制定前とどうせ何も変わらないという考えから凶行に及んだという発言があった。但し、これはこの少年だけの考えではない。世間が少年と同じ考えであった。
その上で、裁判所は保護責任者である両親を共に死刑とし、後日、少年本人にも重い罪が下された。
この判決をきっかけに、議論はまた方向性を変え、様々な論争が各所で発生したが、結果的にこの事件、そしてこの判決は凶悪な少年犯罪を減少させる事になったのは、いかにも皮肉であろう。