96、親ガニ戦その2
上手くいける……そう思っていたのに。
虚しく消えた火を親ガニから離れた場所で確認した。
一撃離脱をしなければ踏み台にした子ガニに襲われてしまうからだ。
私が踏み台にしたことにより正気に戻った子ガニは急な方針転換を行おうとした関係か、別の子ガニとぶつかったりとしてもたついている間に親ガニの鉄槌をもらって消え去った。
親ガニが子ガニに足止めされているから比較的長考の余裕がある。
しかし子ガニがいるため親ガニの鉄槌が降り注ぎ、親ガニの近くで攻撃を加える余裕は少ない。
親ガニのお腹の下辺りは子ガニがたくさんいるため、子ガニの攻撃に巻き込まれてしまう可能性があるので、私が攻撃をしにくい。
時間も気にしないといけない。
この戦闘が終わったら……いや、終わっても寝られそうにないな。興奮し過ぎている。
しょうがない。今回は徹夜かな。
体自体は現実では横たわっている。
肉体的疲れは現実で解消中、精神的疲れは今解消している。
ゲームをしているからといって目が疲れるということはVRである以上なし。
今日だけなら大丈夫だろう。
明日はちゃんと眠ろう。
状況の確認と長期戦の心構えを私はした。
今考えることは最早この障害を乗り越えることだけだ。
カニの嗅覚はどこにあるだろうか?
嗅覚は粘膜に空気中の化学物質が接着することにより感知出来る。
粘膜があるのは口の中くらいだろう。
だとすれば膠で混乱が起きているはず。
嗅覚は封じることが出来ただろうか?
クモと同じでカニもたぶん触覚や聴覚は足にあるだろう。
視覚はあの突き出ている部分か。
上下ともに見えているのだろうか?きっと見えているだろう。
死角は背後にあるのだろうか?
いや、小型のカニと同じで遠近感が悪い代わりに視野は広そうだ。
捕食者としての立ち位置は死骸漁りのままか?
動きの幅からして自分から襲いに行くようなタイプの捕食者ではなく、別の捕食者から死骸を強奪するタイプだと思う。
だとしたらどこを狙えば襲いやすい?
背後は甲羅がある。
私の体重では甲羅の切断には至らないだろう。
足元には子ガニの群れ。
のんびり攻撃している余裕はない。
一撃離脱がせいぜい。
親ガニの重量を使いお腹の殻をえぐれたとしても、そのサイズから生命維持に直結するような臓器に武器が行き着くのは大分先のことになるだろう。
それまでに警戒されてしまわないだろうか?
……いや警戒されたところで問題あるのだろうか?
触覚や聴覚は足周りを子ガニの軍団に囲まれていることにより感覚の飽和が起きて麻痺していることだろう。
視覚も子ガニが黒、私も黒で正常に作動できるとは思えない。
嗅覚は膠で飽和状態の可能性が高い。
瞬時に対応できるほどの判断能力があの親ガニにあるとは思えない。
もちろん長時間いれば話は別だろうが。
ならヒットアンドアウェイを繰り返せば傷口を深くしやがては致命傷にできるだろう。
攻撃する部位は深くすることだけを考えれば同じがいいけれど、狙う場所が丸分かりであれば対策はとりやすい。
さすがに親ガニも狙われたらいけない部分は守りを固めにいくに違いない。
防ぐ方法は?
第3勢力、子ガニ軍団を使えばいい。
子ガニが攻撃しやすい部分に傷口を何個か作ればいい。
そうすれば私が狙いたい位置を守るばかりでは生きることができなくなるだろう。
子ガニをふるい落とし倒すことにより深く集中しなければいけなくなること間違いない。
後で倒す必要が出てくる子ガニを減らすことにもつながり一石二鳥だろう。
方針が大まかに立ったところで私は深層に沈んでいた意識を浮上させた。
状況はあまり変わっていない。
見たところ子ガニの数が初めの数分の1くらいまで減ったくらいだろうか?
まぁ、それでも十分に多いけれど。
この量の子ガニって普通のパーティーはどうやって倒すんだろうか?
範囲魔法でどっかん?よほど広範囲の魔法が使えるパーティーじゃなかったら大変そうだ……。
物理パーティーは泣きながら潰していくんだろうなぁ……。
倒すこと自体には苦労しないだろうけれど。
おっといけない。こんなことを考えて思考を逃避させてはいけない。
私は深めに前傾体勢をとり、子ガニの体高と同じくらいになるまで屈んだ。
あまり体を起こしすぎれば、いくら感覚が麻痺しかけているとはいえ、親ガニが私の存在に気づくことを容易にしてしまうだろう。それは望ましくない。
前傾姿勢をとることのメリットとして、腿を限界まで上げたとき力をこめやすい気がする。
足首の角度がちょうどいいのではないだろうか?
髪をなびかせ、尻尾を風に乗せ、体の上下動に合わせて手を上下に揺らす。
前傾姿勢で腕を振ると簡単にバランスが崩れてしまうので勢いをつけるための弾みは腕を小刻みに揺らす程度で十分。
前を見据え、足の置場を把握し、道筋を立てる。
障害物は親ガニのハサミ。
親ガニの下を跳ね抜ける勢いのまま、クローを親ガニのお腹の下に押し付け殻を切り裂けばいい。
私は子ガニの甲羅を踏み、一瞬凹ませるものの砕くことはなくその甲羅はすぐに元に戻った。カニの甲羅は川原の石と違い弾力性があり、つま先だけとはいえ面で踏んでいるため砕くには威力が足りない、親ガニの元へ急進した。
子ガニは同士討ちとはいえこの甲羅を砕くことができるのだ。
私の防御力では新しい装備があるとはいえ少なからず大きなダメージを受けることは間違いがないだろう。
さっきと同じように親ガニがハサミを振り始めた直後に移動を開始し、猛烈な勢いで動くハサミの後ろを通り抜け、さっきとは違い高く跳ねることはなく、スピードを上げた。
肩の所で逆手にクローを構え背中をぶつけるような気持ちで、親ガニのお腹の下ギリギリをすり抜ける。
クローが親ガニの殻に引っ掛かり、体が進む勢いやその速度に物を言わせ、大きく私のスピードを落としながらも殻は切り裂かれた。
傷口は小さい。
しかしその傷口から少しずつ零れ落ちていく透明なしずく。
親ガニの体液だ。
その体液は非常に強い川のにおいがした。
親ガニの体液のにおいに惹かれてか、子ガニは一斉に傷口の方向へと集まっていく。
親ガニは傷口を創った狼藉者を追うつもりで体を動かしていたが、そんな余裕はどこにもなかった。
私はそれをしり目に安全地帯まで跳ね抜けた。
背後から親ガニを襲う場合、親ガニのハサミがどこにあるのかが把握できないため、基本的に正面からしか攻めることはできない。
後ろから行って後ろから出るというUターンは難しい。
曲がる途中は非常にスピードが落ちて子ガニに攻撃される危険性が非常に高いからだ。
三角跳びの要領で曲がることが出来ればスピードをあまり落とさずに曲がることが簡単にできるだろうが、そんな曲芸を大きな補正が入って間がない今出来るとは思えない。
普通にまっすぐ跳ね跳んで進むことさえ難しいのだ。
子ガニが傷口に群れていき、親ガニがハサミで払い倒す。
そんな応酬が眼前で繰り広げられている。
いくら子ガニの上を走るからと行って、子ガニの上に子ガニが乗るような状況では到底隙間がない。
さすがにある程度疎らにならなければ、私が通り抜けるられる程の隙間が親ガニのお腹の下にはない。
しかし子ガニがいなくなりすぎれば親ガニの守りが固くなる。
それは少々望ましくない。
私は急いで親ガニの正面のほうへ移動し適度な状態になるまで息を殺して待った。
小さな傷口を子ガニがそのハサミを突っ込み抉り、親ガニはすぐさままとめてハサミで打ち払う。
打ち払うことで出来た隙間を子ガニ軍団はすぐに埋めていく。
まるで潮の満ち引きの如きありさまだ。
しばらく観察していたが中々ちょうどいいと思えるタイミングが見当たらない。
しかし攻撃するタイミングとしてベストだと思えるポイントは見つけられた。
子ガニが親ガニに押し寄せるタイミングだ。
そのタイミングなら親ガニはハサミを振り上げることに、子ガニは親ガニのほうに向けて移動していて、私に対して攻撃する余裕がなさそうだ。
ほかのタイミングでは子ガニが重なりすぎて通れる隙間がない。
なら私はこのタイミングに行くしかない。
私は子ガニを踏み一気に加速、親ガニがハサミを振り上げている間にすり抜け傷口を増やした。
子ガニは傷口が増えたことにより今まで1つの傷口に集まろうとしていたのが分散された。
子ガニの集団の分散により攻撃機会が先ほどよりも増えた。
もう少し。もう少し。
しかし親ガニに致命傷を与えられる程の深い傷を作り上げるのは至難を極めていた。
何度も斬りつけはした。
しかし武器のリーチが足りず、十分な深さの傷が作れない。
子ガニは傷口を抉り追い打ちをかけているが、重要な器官にハサミが届かない影響でほとんど無意味にその数を減らしていく。
今では幾万と居そうだと思っていた子ガニの数も50を下回る程度しかいない。
後何回攻撃を仕掛けられるだろうか?
できることは後何があるだろう……。
目の前には傷を負いながらも決定的な傷を負うことのない親ガニがいた。
残りの囮役の子ガニの数も少ない。
出来ることは……。
ふと見るとぬこにゃんとからすみの担当している集団は残すところ3匹になり、硬直状態に陥っていた。