75、エレベーターとボスの噂
私がそのビラを受け取るとその白猫の女の人は笑った。
「白猫料理人のカフェ『ミルフィーユ』をよろしくね」
そう私に声をかけるとビラ配りに戻った。
『屋敷の厨房にて紳士的なご主人様達をお待ちしてます』
そう書かれたビラには、お店の人と思しきメイド服やコック服を纏った、5人の白猫の獣人たちがプリントされていた。
ビラに映っているお店はレトロな落ち着いた雰囲気のお店。
のんびりと過ごすのにちょうどいい感じ。
下の方に注釈があった。
『当店はレクリエーションなどのサービスを行っていません。当店はゆっくりと過ごすための空間を提供するだけです。本などをお持ちになってご来店することをおススメします』
お客さんを選ぶお店だ。
別に儲けを気にしなくてもいいからこそ出来るシステムだ。
宣伝をしている女の人を見ても騒ぐようなタイプではなさそう。
でも冷たい対応をするタイプにも見えない。
居心地の良い空間を提供するために尽力するお店なのかもしれない。
少し気になるお店ですね。
……お金まだないので入店して体験はしませんが。
儲けをある程度気にしないで経営出来る。
この部分はけっこうメリットとして大きいだろう。
お客さんを選んだところでそこまで経営を困難にするわけじゃない。
インベントリにしまえば時間が経過しないので料理を無駄にすることで悩むこともない。
お店の場所は買い上げにしているので維持費もかからない。
賃貸じゃないところも大きいなぁ。
従業員じゃなくて営業場所のシェアだったら本格的に維持の支出がない。
ゲーム上にあるのもけっこうメリットかもしれない。
出張などしたら通えない現実の行きつけの喫茶店も、仮想空間にある行きつけの喫茶店なら機体さえある場所にいけばいつでも行ける。
現実だとお金が1万円近くないと頼めない物も、ゲームでは端金で頼める。
食べたら、むしろお腹が減るとはいえ、味を楽しめるのは大きい。
食べてもカロリーの摂取にならないからどれだけ食べてもいいのも大きいかも。
食事を我慢しなくてもいいから。
仮想空間にあるメリットは割と多いかもしれない。
会談や集会も場所を選ばない。
文面で判断できない人柄を知ることもたやすい。
現実だったら人相に左右されて人柄の判断を誤ることがあっても、仮想空間ならアバターには本人の趣味が出てくるのでその段階でも人柄について判断情報が増え関わりやすくなる。
もしかしたら既に利用している企業もあるのではないだろうか?
ゲームの中で仕事をする企業……。
あったら面白そう。
「……のご主人様、大丈夫?」
その声とともに肩に手が置かれた。
目をあげるとビラを配ってくれた白猫のメイドさんが心配そうな顔で見ていた。
わざわざ膝を曲げて目線を合わせようとしてくれて。
「はい、大丈夫です」
私は後ろ手にコメントを入力して吹き出しを出したものの、白猫さんが目を見てるせいかたぶん吹き出しに気づいてない。
目が横にずれない。
文章を読むような目の動きをしていない。
「小さなご主人様だね。何か用があるのかな?」
じっと目を見つめられている。
反らすのはなんだか怖い。
つい見つめ返してしまう。
私は吹き出しを恐々指さすものの、白猫さんの視界には見えていないのかもしれない。
肩に置かれた手の力が強く、後ずさることも出来ない。
表情が強張っていく。
体が動かない。
動かせない。
どうすればいいかが思いつかない。
私が何を求められているのか。
どう行動すれば正しいか。
「固まられても困るんだけど……」
「シャル。隣見てみなよ?」
「隣?」
不意に別の白猫の人が出てきた。
この人は髪が短めだ。
目の前にいる白猫の人と同じで赤目。
ただし黒縁の四角いフレームのメガネ付き。
かっこかわいい、ボーイッシュな女の子だ。
白いコックの服装をしていて、そのズボンがボーイッシュさをより強調している。
白猫の2人にあまり身長差がないので姉妹に見える。
ショートヘアの白猫の人はロングヘアの白猫の人の脇を突き、注意を横に反らした。
シャルと呼ばれた白猫の人は吹き出しにようやく気付いたようだ。
「……あ、もしかして君がテン子ちゃん?」
ポンッと手をたたくとシャルさんが「どうりでデジャブが」と呟いた。
「はい。そうです。テン子です」
「君がここに来るかもってフォロさんから聞いてるよ」
「なるほど」
「黒い獣人の幼女で吹き出し使い……」
「ニコ。なんか厨二病くさいよ」
「いや、シャル、事実を言っただけじゃないか」
「そういえばテン子ちゃん、君は今日どうしたんだい?」
「少し見学にです」
「ふむ、じゃあ、僕が案内を担当しよう。
シャルはビラ配りを続けてくれないか?」
「うん、いいよ」
シャルさんはすっと立ち上がり、横を通り過ぎる時私の耳元でつぶやいた。
「ニコは小さな子が好きだもんね」
「誤解を招くようなことは言わないでくれ」
シャルさんはニコさんの方にちらっと振り向くと、軽く舌を出して笑っていた。
ニコさんはしょうがないな。と呟きながら頭をかいていた。
なんだ、この2人はカップルか。今のはのろけだな。
「何か、勘違いしていそうだからいうけどね。
シャルは僕のリアルの姉だからね」
「ふーん?」
「信じてないな?まぁ、いいか。
フォロさんから聞いている話だと、新しくサモナーによるモンスターカフェを作るらしいね。
プレイヤーの店員は君1人しかまだ決まってないらしいけどね?」
「……初耳です」
「そう?まぁ、いいや。とりあえずエレベーター見せようか」
「エレベーターあるんですか?」
「なかったら上り下りが大変すぎるよ」
「電気とかどうしているんですか?」
「鍛冶屋集団が科学知識を基に電力施設を作った。
雷を作るスキルとか火を出すスキルとかがあるから完成にまで漕ぎつけるのは意外と早かったらしいよ。
火山ステージで石炭のゴーレムがいるからそれを燃料にしているみたい。
火力発電の燃料集めはすごい楽らしいよ」
「うわぁ……」
「たまたま技術者もいたり、いろいろノウハウ自体もあったりしたみたいだよ」
「すごい偶然ですねぇ……」
「掲示板で募集したとか、フォロさんが現金払って雇ったとか、いろいろ噂があるけどね」
「……。そこまでしますか」
「まぁ、噂ではね。ゲームの中じゃいろいろ勝手が違うだろうし、そう簡単な話じゃないだろうけど。
フォロさんの本気具合はすごいからそういう噂が立ったんだろうね。
フォロさんのゲームで稼いでいる現実の収入、月100万超えてるなんて噂もあるよ」
「月100万……」
「動画での広告での収入、ブログでの広告収入、仲介での収入、グッズ売買……
あとはまぁ、いろいろかな。僕が知らない事業にも手を出しているなんて噂もあるし」
「すごい……」
「フォロさんにとってこのゲームは文字通り飯の種だって噂だよ。
だから何をやっても僕は驚かないかな」
「現実の私よりも稼いでいる気がします」
「現実の僕よりも確実に稼いでるね」
「はぁ……」
ニコさんは「羨ましい……」と呟いた。
私とニコさんはとっくの昔にエレベーターの前まで歩きついている。
でもそれを指摘するタイミングが困る。
急にニコさんが私に顔を近づけるとニシシと笑った。
そして口元に右手の人差指を翳し、声を潜めてニコさんは囁いた。
「でもフォロさんには謎があるんだ」
「何ですか?」
「フォロさんの活動には現実の要素がある。
けれどフォロさんがいない時間は限りなく短い」
「そういえばそうですね」
「つまりフォロさんは誰かが現実でサポートしてる。
2人で1人のプレイヤーを演じているんだよ」