69、勧誘
ボスに手を引かれ建物を後にするとギルドを出た。
町に出ると人の賑わう方へとボスは進んでいく。
私は手を引かれるままにボスについていく。
人ごみは苦手だ。
気配が煩雑で認識できる範囲が極端に狭まる。
普段なら事前に察知できる距離の物音を察知できないので事故に遭いやすい。
何をされるかわかったもんじゃない。
知り合い(男性)が電車の中で痴漢(男性)に遭っただとか、こちらが避けているのにわざと肩ぶつけてくる人だとか、普通の人に見えるのに異様な行動をしてくる人。
母数が多いから出会うのだろうけど人ごみは変な人に出会いやすい。
日本は治安がいいからあまり身近では聞かないのだけどスリだとか出会ったら嫌です。
置き引きやひったくりなどは注意の呼びかけがあるくらいなのでまだまだ存在するのでしょう。
荷物はしっかり持たないと怖いです。
外国の人から見たら日本人はすごく無防備みたいです。
警戒が緩いのはそれだけ治安がいいからなんでしょう。
人ごみは怖くないです。
えぇ、人ごみは怖くないです。
怖くないったら怖くないのです。
結局1人の方が落ち着くなんて考えてないです。
私は数少ない装備アイテムの類をインベントリにしまい込み、他の人から手の届かないようにします。
……スマホ以外何も装備してないオチでした。
未だ全部初期装備!
すごくむなしい……。
武器のおかげで素材はすぐ入手できるようになったから、近いうちに装備の更新をしてやる。
私は余波を受け流すことを主題に迷彩装備を作ろう。
攻撃には当たるつもりない。当たればHPからして一撃でぷっつんします。
余波に巻き込まれるだけで死にかねません。
隠れてデバフをかけ続けるのが私の役目です。
PTの被弾確率を下げたり、攻撃機会を増やしたり、敵の攻撃を空振りさせたり、嫌がらせをするのです。
手を引かれ着いた場所は1つの区画でした。
「ここが調理部門の主な活動場所、けもけもぱーくだよ!」
あまりの光景に私は言葉を打ち込む余裕もなかった。
歩いて区画を巡ると視界には様々な人たちが目に入った。
語尾に『にゃ。』をつける、虎柄の猫耳とにょろっとした尻尾がついたメイド。
ピシッとした格好で、黒く尖った犬耳と黒いもふもふした尻尾の目の鋭い執事。
マイペースそうな牛の短い角と耳が特徴的なコック。
可愛いらしいネズミ顔の小さいメイド。
燕尾服を着たヤギの執事。
野性的なオオカミのコック。
給仕する人
給仕される人。
可愛い子ぶる人。
愛でる人。
もてはやす人。
罵り嗜虐心を満たす人。
罵られ被虐心を満たしている人……。
気が付けば1つの館に入ってボスがソファーに転がっていた。
ここは高層階のようで窓から今まで歩いていた区画を一望することができた。
この区画に入るための入り口は1つしかない。
縦の並び順がメイド、コック、執事。それぞれケモミミ、ケモ顔の順で組み合わされている。
横の並び順が入り口に近い方から普通の給仕、アイドル的な給仕、Sによる給仕、Mによる給仕。
奥に行くほど業が深いと思うのは私だけだろうか……。
ここはこの区画の最奥の館のようだ。
この区画は食事する場所というより歓楽街だ。
目立った騒ぎがなかったので治安はとてもいいことがわかる。
入り口にあった検問が効果を出しているのだろう。
確か、中で悪質な騒ぎを起こした人はブラックリストにのり入れなくなる、だったか。
再び入れるようになるためには、ギルドメンバー10人とギルドマスターのサインが必要、だったっけ。
ボスのサインをもらうのは中々難しそう。
脅したり、賄賂を贈ったりじゃまず動かせないだろう。
ボスは十分な資産を持っているだろうし。
業務に悪影響を与えるのも難しいかな?
リアルよりここでの生活に重きを置いているだろうし、リアルアタックを行う危ない人もボスのリアルを見つけられないだろう。
「この区画、ギルド系列しかないんですね」
「この区画は我がギルドで買ったからね」
「買った?」
「街から新しい区画を作る権利を買ったんだよー」
「おー……」
「ギルドだけの特別な権限だよー」
「すごくお高そうです……」
「区画の購入に結構お金使ったけどすぐに元はとれたよ。
現実よりも簡単にお金を集められるからみんなお金をたくさん使ってくれるんだよね」
「バイト戦士が本当の戦士に変わりました……」
「そうだね!みんなたくさん働いてくれるから素材の買取りも楽だよ!」
「すごい……」
「ここだけで日に数億の売上げかなー」
「……」
私が3桁で喜んでる間にここの人たちは9桁のお金を動かすんですか。
私が6桁いないと……いえ、6桁いても場所がない。稼げないです。
1品4桁だと5桁近く売らないとだから……。
4桁だから1品数千台で、5桁だから数万品……。
格が違う……。
ギルドの生産職が蓄えているお金は9桁なんて当たり前になりそう……。
「お金があっても手に入らないものが欲しくてみんな行動しているんだよね。
テン子ちゃんも少しここで働いてみる?」
「!?」
「テン子ちゃんだと2段目の真ん中かなー?」
「!!?」
「今なら時給1万です」
「!?!!?」
「テン子ちゃん、働かないの?」
「……か、考えさせてください……」
おいしい話には裏がある……と思う。
ここで私が働くことでボスに何のメリットがあるのか。
人手不足?
ここは十分に繁盛していると思います。
働きたい人は多いはず。
ゲームだから見目が整っている人、可愛いがられたい人なんて多いでしょう。
リアルではどうであれ、ゲームだから見た目はいい。
人手不足にはなりにくいはず。
サモンモンスター目当て?
……大いにあり得ます。
私のほぼ唯一の取り柄ってそこじゃないですか。
高い時給も技能給と考えれば不自然ではない?
この話に裏はなさそう?
何か考え不足は?
……レベル不足で調理できない素材が多いんじゃないかな……。
包丁を支給してもらわないとATK不足に。
は……。包丁がかなり高価な品で買い取りさせられたら、私は借金コックですか!
強制無賃労働フラグ……?
いや、ないか。
そんなことをしても得をする人がいない。
とりあえずここで得られるメリット、デメリットを考えよう。
メリット。
今の私では稼げない金額の給料。
コックとしての経験値。
人付き合いの発生による対人経験。
デメリット。
人に雇われることで自由の利かない時間の発生。
他は……
「ねぇねぇ、決まったぁ~?」
ボスはソファーでうつ伏せになって、大きく欠伸をしていた。
余程暇させていたのかもしれない。
眠たげな目が私を見つめている。
ボスの赤い尻尾はゆっくりとくねっていた。
もしかしてこの従業員確保のためのお誘いだったのだろうか?
だとしたらまたとない機会だったと思おう。
「時間帯を決められるならやってみたいです」
「ほんと!ありがとー!
テン子ちゃんならきっと売れっ子になれるよ!」
「頑張ります」
「うふふー。これでテン子ちゃんのメイド姿が……」
ソファーの上ではボスは枕を抱えて転げまわっていた。
落ちないよね?
メイド姿になるのかー。
スカートをはくことになるのか。
想像していたらリアルの私がスカートをはく姿を思い浮かべて吐きたくなった。
「そんなの見たかったんですか?」
「見たいに決まってるじゃない!」
上体を起こして拳を胸元に掲げたボスが何か力説し始めていたが、大惨事を一瞬思い浮かべた頭には不安しかなかった。
たぶんこのアバターには合うだろうけど、中身の人が根本的にアウトだと思います。