105、ボストンボ戦5
慣性の法則。
私の今の命の危機の名前だ。
力を込めていく程に視界に映るバーのカウントダウンは早まっていく。
私の身体がボストンボ墜落の際殻に叩きつけられれば残り……4分の1を下回るHPは消し飛んでしまうだろう。
身体の周りをボストンボの筋肉が取り巻く。
これがどこまでクッションになってくれるだろうか?
筋肉は収縮したら硬くなるだろう。
硬くなればクッションにはなりそうにない。
移動する際に散々に切り裂いてはいるけれど切断しきれているとは思えない。
私の生き残る道はどこだ。
私は周囲の肉を切り刻みながら先へ先へと進む。
甲殻表面の筋肉は平滑筋だろうか。
内臓や内臓付近は横紋筋だろうか?
サイズが大きすぎてもう違いが分からない。
切り裂いても、切り裂いても、1つの組織が切断出来ている気がしない。
このままボストンボが墜落したら、私は衝撃で骨が砕けて?HPがなくなり死ぬのだろうか?
ボストンボが墜落したら、慣性の法則でボストンボ墜落する時に出ていた速度と同じ速度で私は甲殻などに叩きつけられるのだろう。
甲殻にへばりついていたら着地の衝撃をもろに受ける。
そうしたらゲームオーバーだ。
叩きつけられる先が柔らかいものであればクッションになるはず。
力を込められたら硬くなる筋肉はクッションになりえない。
着地の瞬間に硬くなりそうなのは平滑筋。
内臓などを構成する横紋筋は着地の際に力を込められることはないだろう。
横紋筋の場所、内臓の中にでも入ることが出来れば、私は生存することが出来るはずだ。
突いて割けるは平滑筋。
突いて穴が開くのは横紋筋。
穴は開いてもなかなか穴が広がらないのが横紋筋……。
このクローをお肉に突き立てるとどれもこれも穴が開き力を込めたら裂けてしまう気がする……。
何だか今いるところのお肉、何だか一定のリズムでぐにっ!ぐにっ!と動いていて気持ち悪いなぁ……。
鍋料理のモツみたいにクニクニしていて大変なのだ。
歯応えなら楽しくても包丁を入れてもなかなか斬れないモツは料理の時も扱いが難しい。
焼く時は油をこぼしながらでなければ味が濃ゆいというかなんというか。脂臭いとでもいえばいいのか。
炭火に落ちる脂の臭いは食欲をそそるけれど、フライパンに溜まる脂はモツの臭いがこびりつき臭いと思う。
鍋のモツも臭みを吸う食材や臭みを旨味に変える食材を入れなければ臭くて食べるのがつらい。まぁ多少臭いがつらくても食べるけど。
モツ料理は臭いが最大の敵……。
いや、今、問題なのはモツの食感というか生の時の包丁の刃の通りにくさです。
鈍らな包丁だと本当に斬れない。
力任せでは斬れないこの弾力と柔軟性。
触れば斬れるくらい刃が研がれていないと調理は非常に困難極まりない。
脂でにゅるにゅる滑り、つかんでも抑えきれない、刃を引けば鈍らな包丁の場合一緒にずるずるズレて斬れない。
生のモツの調理には鋭い刃物が欠かせないです。
茹でたりしたら多少鈍らでも斬れるといえば斬れるけど、まだ斬りにくいです。
それに胃袋に間違えて穴が開けば胃酸で溶かされるかもしれない。
他の消化液でも、いや、他の消化液だからこそひどい。
胃酸は強酸だけれど、他の消化液は中性か塩基性。
中性は物によるけれど、塩基性の場合、徐々に身体が溶け生き地獄を味わうことになるだろう。
胃酸は一瞬で終わると思うが、徐々に溶かされる他の消化液は地獄だ。
また消化器に入れば最悪溶けかけのゾンビどもとご対面。
巨体な虫、ゴブリン、水生生物、それとプレイヤー含む人間。
予想されるゾンビどもは異臭を漂わせ、その表面をどろどろに、さらにもしHPが高くまだ生きていた場合這いずり回るオプションがついてくる……。
消化器には絶対当たりたくない!
当たった瞬間に死ぬか、SAN値直葬されるかしてしまいそう。
横紋筋の狙いは心臓です。
消化器には入るのはムリ。
……そういえばトンボの心臓ってどこなんでしょう?
とりあえず胸部の中央辺りにあるとは思いますが詳しくはわかりません。
もうカウントダウンが残り少な
不意に衝撃が走り、身体は下へと落とされる。
周りでぐちゃぐちゃのお肉が私に引きずられ引き留めていく。
遮二無二になり、クローを周囲の肉に食い込ませる。
進む困難は戻る困難となり、私は甲殻に叩きつけられることがなかった。
慣性の法則で私が移動するエネルギーは周囲の肉の引き留めで消費されつくし、私は結果的に生き残ることが出来たようだ。
いつの間にか横紋筋のある場所に到達していたのだろうか?
組織の1つ1つが大きすぎて分からない。
着地をしたのだろうか。
なら私はここから出ないと。
そろそろカウントダウンのリミットが……ヤバい!
けっこう高いところまで登ってきていたはずだ。
ならこのまま真っ直ぐ突っ切った方が早く脱出出来るはず!
視界のカウントダウンは何故か早まっている。
残り時間は短い。
急げ急げ。
出来ることは焦ってやれば早く出来る。
けれど出来ないことは焦っても空回りするだけでむしろ遅くなる。
これは私に出来ること。
焦れば焦るほど早く脱出出来るはず!
クローを突き上げ行く手に突き刺し切り裂く。
もう片手を伸ばし手で肉の断片をつかみ爪を立て引き上げる。
クローを使って行く手を切り裂く。
手で肉をつかみ爪を立て引き上げる。
あたかもクロールをするかのように交互に手を伸ばし先へ先へ。
不意に突き立てたクローが硬いものにぶつかった。
手首を動かしクローで搔きむしると、クローを装備している手から微かに空気を感じた。
今まで身体が取り巻いていた臭い液体ではなく、何らかの気体だ。
私は歓喜した。
この先には外が待ち受けているはずだ。
残り時間もギリギリ。
先を急ごう!
空気を求め私はもがき先へ先へ先へ。
もう片手が空気を感じた。
不思議なことにつかんだ縁が柔らかい。
カウントダウンの猶予はもうない。
意を決して這い出すとそこは赤い空間だった。
試しに息を吸ってみると臭い。
臭いがカウントダウンの表記はなくなった。
ここは臭いさえ我慢すれば呼吸が出来るようだ。
「あろー、あろー。こちらテン子。よければ応答どうぞ。
こちら現在、ボストンボの胸部の中、具体的な位置は不明。
ここには空気あり。謎の赤い空間です。
着地と思われる衝撃は確認した。
戦闘完了のお知らせはない。
ボストンボ内部より内臓を破壊に取り掛かる」
「なんで軍隊風なの?」
「潜入破壊工作中だからです」
「テン子さん……。余裕だね……」
「今いる場所は見える危険性もないですし、もうここまできたら消化試合かと思いますね」
「そっか」
現状報告も終えたし、さぁ、最後の一仕事。
ここから先は誰でも出来る簡単なお仕事です。
……。
すみません、具体的な現在地も分からないし、心臓の位置もわかりませんでした。
あ、検索すれば大丈夫ですね。
たぶん私の位置は後ろ足から登ってきてそれから中央部に登っていったのでこの辺り?
……あれ、あ、そうか。
巨大化したことで気管という酸素の供給システムでは細胞が呼吸困難を起こしてしまうのか。
だから体内の構造も分業が進み変化してるのかな。
それにしても昆虫には心臓ないんだ。
あるのは背脈管という機関で体液を回し、肺の機能は身体中に空いた穴をつなぐ気管で済んでしまう。
身体が小さいから血管を必要とはしない。
体液は……何の意味があるんだろう?
あ、ヘモシアニンという銅の1種が含まれていて、酸素を潤滑に循環させているのか。
このボストンボのサイズだと、赤血球みたいに細胞になっていそうな予感。
……体液は銅か。
このボストンボの身体からどれだけ集められるかな?
加熱したりして構造を壊して、タンパク質を取り除いていけば、銅を集められるかも。
体液を利用して電気を作ることも出来ると……。
この量があれば出来ることはたくさんある。
いや、まぁ、それはおいておこう。
まず考えられる心臓の位置。
胸部の中央部くらいです。
現在地はどこ?
気管ではないかなぁ……。
身体を軽くするためにと、酸素を溜め込む場所として、こういう空間が各所にありそうな気がします。
この空間の先にはたぶん外との入り口があるんだろうとは思う。
しかし1度出たらもう戻ることは出来ないだろう。
地上で暴れ回るボストンボに挑むには私の実力が足りない。
ついでに足が動かない。
どうするか。
再び内部に潜入して
ふと音が聞こえた気がした。
何かが這いずるような音。
ボストンボの呼吸音や移動する音ではない。
私は身の危険を感じ先程まで私が通ってきた穴に向かったが、穴は肉で塞がっていた。




