第四話
案内された部屋は、リリアーヌの部屋の軽く倍はあった。
だが家具には華美な装飾はなく、重厚で落ち着いた雰囲気の部屋だった。
室内の中央に置かれた天蓋付きのベッドには、リリアーヌによく似た面立ちの美しい少女が眠っていた。
真っ白なシーツに波紋を描く、光り輝く銀の髪。
長い睫毛が透明な白い肌に、濃い影を落としていた。
肉厚の薄い唇は艶やかで、可憐な桜貝を思い起こさせた。
閉ざされた目蓋の向こうには、どのような色の瞳が眠っているのだろうか。
リリアーヌと同じ、コバルトブルーの瞳か。
あるいは、エメラルドグリーンか。
一目惚れなどありえないと思っていたタケルだったが、この時ばかりは胸の高鳴りを止めることが出来なかった。
「この人が呪いをかけられた?」
「兄です」
「兄!?」
見た目の美しさから少女だと思い込んでいたタケルは、思わず頓狂な声を上げた。
その声に、リリアーヌは軽く眉根を寄せた。
「何か?」
「いや、呪いをかけられて眠っているって言うから、てっきりお姫様かと……」
「私、姫などと言いまして?」
「……言っていません」
確かに姫などとは、一言も言っていない。
だが、眠れる森の美女然り。
白雪姫然り。
古今東西、魔女の呪いを受けて眠るのは、美しいお姫様と相場が決まっている。
落胆するタケルの目の前に、白い封筒が差し出された。
反射的にタケルは受け取った。
「これは?」
「魔女が残していったものです」
ジッと見つめる青い眼差しに、手紙を取り出す。
真っ白な紙面には見たこともない文字が、真っ赤なインクで書き綴られていた。
「私との婚姻を認めるまで……王子は目覚めぬ」
文面よりも、見知らぬ文字を読めた自分に驚いた。
なぜ文字が読めるのか。
思えば異国情緒たっぷりのこの国で、言語が通じること自体不思議だった。
やはり、夢に違いない。
発作を起こした後の疲労感も、胸の痛みも今は感じない。
まるで健常者にでもなったかのように身体は軽く、力がみなぎっている。
「この私っていうのが、魔女なの?」
どうせ夢なら楽しんだ方がいい。
そう判断したタケルは、手紙を返しながらリリアーヌに尋ねた。
「はい。ジュリアス・アニール・パトリッシオ。二月ほど前まで、薬師として城に仕えておりました。善良な魔女で、このような愚行を犯すとは思えませんわ。やはり、恋は人を盲目にさせるのですわね」
「力ずくで手に入れて、幸せになんかなれるのかな。本当に好きだったら、相手の幸せを願うものだろう」
「大賢者様は、恋をしたことがありませんのね」
同じ十五歳とは思えない、大人びた笑みをリリアーヌは浮かべた。
リリアーヌの言うとおり。
タケルには、真剣に人を好きになったことがなかった。
病気のせいで、ほとんどを病室で過ごしたせいもある。
だが、それ以上に気持ちが逃げていた。
心臓に重度の疾患のある身体では、人を好きになっても仕方がない。
一緒に遊ぶことも出来なければ、将来を夢見ることも出来ない。
何より自分のような人間を、好きになってくれるはずがない。
暗澹とした思いは、タケルを恋から遠ざけた。
そんなタケルに、魔女の気持ちが理解出来るはずがなかった。
「恋なんて、物語のように清らかで美しいものではありませんわ。相手の気持ちを思いやる余裕なんて、なくなってしまうもの。だからこそ、恋は楽しいのですわ」
「そうゆうものなんですかね」
「そうゆうものですわ」
悠然と微笑む姿は、一国の王女にふさわしい貫禄と威厳に満ちたものだった。
「とりあえず、今はお兄様を目覚めさせることが先決ですわ」
グイグイと背中を押され、枕元に立たされた。
「さあ、大賢者様」
「さあと言われても……」
出来ませんなどとはとても口に出せない雰囲気に、タケルは懸命に考えた。
魔女の呪いを解く方法。
眠った者を目覚めさせる方法。
思い浮かんだのは、ただ一つ。
「……キス?」
男の場合でも有効なのだろうか。
でも呪いをかけた相手が女の場合、ありなのかもしれない。
だが、男相手にキスはありえない。
しかもタケルにとっては、ファースト・キスだ。
初めてのキスの相手が、気性も知れない男とは悲しすぎる。
知っていたら、尚更嫌だ。
救いを求めるように振り返る。
睨むリリアーヌの姿に、急ぎ王子へと向き直った。
現し世のことなど何も知らず、のん気に眠る王子が恨めしかった。
頭の一つも、ひっぱたいてやりたいところだ。
そうすれば、起きるかもしれない。
だがそんなことをしたら、確実に罵声と共に背後から殴られるに違いない。
殴られるだけならまだましだ。
一国の王子の頭を叩いたとなれば、良くて投獄、悪ければ斬首だろう。
夢の中とはいえ、それだけは避けたかった。
そこで、タケル気付いた。
そうだ。
これは夢なのだ。
夢ならば男とキスをしたところで、カウントされることはないだろう。
気軽にチュッと済ませてしまえばいいのだ。
わけの分からない理論を纏め上げると、深く息を吸い込んだ。
気持ちを落ち着かせるため、ゆっくりと息を吐き出す。
意を決し、彫刻のように美しい寝顔へと顔を近づけた。
銀色に透ける睫毛は、作り物ではないかと思うほど長い。
ビスクドールのような木目細かな肌は、とても同性とは思えない美しさだ。
肉厚の薄い薄桃色の唇は上品で、何も言葉を発しなくても気高さを感じさせた。
見惚れるほどの美しさに、あと少しで唇が触れようとした瞬間、突然、閉ざされていた瞳がカッと見開かれた。
同時に左頬に衝撃が走り、後方へと身体が飛ばされた。
「何をする!」
「ああ、お兄様!」
歓喜の声が響く中、痛む頬を押さえながら身を起こす。
ベッドの上、怒りの形相で金色の瞳を振るわせるエヴァンス・リスターク・ソレイユ・ダイヤモンドの姿に、タケルは自分がぶたれたのだとういことにようやく気付いた。