第三話
規則正しく軽快な音を刻むヒールの音とは対照的に、タケルの足取りはおぼつかなかった。
少女の長いドレスが足に絡みつき、とにかく歩きにくい。
「腕、はなしてもらえないかな」
「お逃げになりません?」
「なりません」
きっぱりと断言する。
最初は腕を振り解き、逃げようかとも考えた。
だが逃げようにもどこへ行けばよいのか分からない。
だから、諦めた。
「名前、聞いてもいい?」
とにかく、状況を把握するのが先決だ。
「リリアーヌですわ。リリアーヌ・ロアーズ・シャディイ・ダイヤモンド。ダイヤモンド王国の王女です」
「ということは、ここはダイヤモンド王国?」
「そうですわ」
ダイヤモンド王国などいう国の名前は聞いたことがない。
例えあったとしても、なぜ自分がそんな所にいるのか全く分からなかった。
「以前いらした時と変わりまして?」
「以前?」
「父を助けた時です」
「……話、見えないんですけど」
呟きにリリアーヌは絡めていた腕を解き、足を止めた。
ゆっくりと振り返った青い眼差しは、酷く驚いているように見えた。
「父と母の仲を取り持って下さったのではありませんか!」
「それって、いつの話?」
「二十年程前ですわ」
リリアーヌの言葉に、タケルは深く長いため息を吐いた。
「俺って、そんな年寄りに見えます?」
「大賢者様ですもの。時間など凌駕しておいででしょう」
「残念ながら、俺は無知で不健康な十五歳です」
おどけたような否定の言葉に、美しい金の眉がひそめられた。
「あなた、タケル様でしょう?」
「何で俺の名前!?」
決してありふれた名ではない自分の名が薄紅を塗ったリリアーヌの口から流れるように零れて、引っくり返りそうになった。
大きく目を瞬かせるタケルに、形の良い唇がニッコリと笑みを作る。
「タンスの中から現れた薄茶の瞳を持つ黒髪の大賢者、タケル様の助言があったからこそ結婚出来たのだと、幼い頃から両親に聞かされて育ちました」
夢見るように煌く青い瞳が、まっすぐにタケルをとらえる。
「ですから今度は、魔女の呪いを解いて下さいまし」
「無理です」
即効でタケルは断った。
自分のことですら満足に出来ないタケルに、魔女の呪いなど解けるはずがない。
大体、魔女なんて存在信じていない。
状況も分からない。
期待に満ちたリリアーヌの視線が痛くて、逃れるように視線を窓の外へと逃した。
蒼穹に丸くて白い物体が、おぼろげに二つ並んで見えた。
おそらく月だろう。
だが、クレーターらしきものは一つも見当たらない。
研磨したように表面はつるつるだ。
大体、月が二つあるはずがない。
絶対に夢だ。
夢に違いない。
泣き疲れて眠ってしまったのだ。
思い切り頬をつねる。
「いたーっ!」
「大丈夫ですか、大賢者様!」
慌てた様子で覗き込むリリアーヌの顔が目の前にあった。
ほくろ一つない透き通るような白い肌。
青いインクを落としたような、深く濃い青い瞳。
金色の髪は窓から差し込む光を反射し、髪自体が発光しているようだった。
こんなに美しい人間が、この世に存在するはずがない。
しかしツキツキと痛む頬が、この世界が現実であると告げる。
だが容易く現実として受け入れられるほど、タケルの心は柔軟ではなかった。
「絶対に夢だ。夢に違いない」
心配するリリアーヌをよそに、切望をこめた言葉をタケルは呪文のように繰り返した。