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第十三話

 城下を抜けると人家は疎らになり、丘陵地帯を緑の畑が埋め尽くす。


 育てる作物の違いから濃淡が生まれ、パッチーワーク・キルトを広げたような模様が目にも鮮やかだ。


 だが流麗な手綱捌きで馬を駆るジュリアスの後を追いかけるのに精一杯で、タケルには風景を楽しむ余裕などまるでなかった。


 雪を頂く山の裾野に広がる森に向かって、ひたすら馬を走らせる。


 東の空にあった太陽が頂点を超え西の空に傾き、大分過ぎた頃、ようやく遠かった森の入口に達した。


 高木が生い茂る森を、自分の庭のように馬を走らせるジュリアスの後を必死に追う。


 迷路のような森の中を走ること半時。


 突然、目の前が開けた。

 

 視界一杯に広がる白い大地。


 よく見ると薔薇の花によく似た八重の花が、地表を這うように咲いていた。


 馬が歩を進める度に、花びらが雪のように舞う。


 天国を思わせるような花園の中央に、枝葉を大きく茂らせた大木があった。


 背丈はさほど高くはない。


 ただ直径2mは下らないであろう幹の太さと、大きく広がる枝の伸びやかさは圧巻だった。


 若草色の葉に囲まれて、金色に輝く実があちこちに下がっていた。


 林檎ほどの大きさがあり、定規で書いたように丸く、表面は磨き上げたようにつるりとしていた。


 大木の下には緋色の鞍を載せた白馬がいた。


 傍らに、銀色の髪を靡かせるエヴァンスの姿があった。


 その正面に、菫色の豪華な巻き髪を風に遊ばせる女性の姿がある。

 

 二十代半ばといったところのその女性は、タイトな紫色のドレスを颯爽と着こなしていた。


 大きく開いた胸元からは、溢れ出しそうな大きく豊かな胸が覗いていた。


 両脇に大きく入ったスリットからは白く滑らかな足が見え、思わず頬が赤らむほどのセクシーな姿だった。

 

 紫色の切れ長の瞳が、射抜くような強さを持ってエヴァンスを見つめていた。


 すっきりとした鼻梁に艶やかな紅色に染まる唇が、華やいだ容貌を更に引き立てる。


 遠めに見てもかなりの美人だということは分かった。


 だがその立ち姿から相貌に至るまで、なぜか酷薄な印象を否めなかった。


 風にのった二人の会話が耳に届く。




「この果実を口にすれば、あなたの願いは叶うわ」




 そう言ってライラは、金色に輝く果実をエヴァンスの前に差し出した。




「けれども、対価が必要よ」




「何を渡せばよい」




「一番大切なもの」




 ライラの言葉に、エヴァンスの表情に緊張が走ったのが分かった。


 濡れたように艶やかな唇に浮かんだ意地悪そうな笑みが、更にライラの印象を冷たくする。




「嘘を吐いてもむだよ。私にはわかるの」




 紫色の瞳が、エヴァンスの心を映すように怪しく光った。


 返答に詰まったエヴァンスの視線が、迷いを表すように落ちた。


 揺れる金色の瞳が酷く傷ついているように見えて、思わず抱きしめたくなる。


 逡巡は長くはなかった。




「それでは……無理だ」




 覚悟と潔さを兼ね備えた金色の瞳が、ゆっくりと上がった。




「民と国を失うわけにはいかない」




 人それぞれに、大切なものは違う。


 お金であったり、愛する誰かであったり。


 人の数だけ、大切に思うものは存在する。


 エヴァンスにとって一番大切なものは、民であり国だったのだ。


 意外とも思える言葉。


 けれど、湖水に張る氷のような凛とした横顔に得心した。


 エヴァンスは王子なのだ。


 その身も心も、国のために存在している。




「交渉決裂ね。残念だわ」




 ため息交じりの言葉と共に、ライラは肩を竦めた。


 わざとらしい動作や言葉ほど残念に思っていないのは、傍から見てもはっきりと分かった。


 ゆっくりとエヴァンスの踵が返る。


 真剣な話し合いに、タケルとジュリアスの存在に気付いていなかったのだろう。


 二人の姿を認めた途端、驚愕したように金色の瞳が見開かれた。


 次の瞬間、泣きそうな笑みが端整な顔に浮かんだ。


 馬を引きゆっくりとジュリアスに近づいてくる。




「すまない、ジュリアス」




 噛みしめるように紡がれた謝罪の意味が、タケルには分からなかった。


 だがジュリアスは戸惑うことなく全てを承知しているといった深い眼差しで、まっすぐにエヴァンスの言葉を受け止めていた。




「そなたを……選べなかった」




「王子として当然です」




 一番が他にあることをジュリアスは責めなかった。


 仮にエヴァンスが民や国を捨て、ジュリアスを選んだら。


 その時こそ、激しくエヴァンスを責めただろう。


 自分を選ばなかったことに対しどこか誇らしげな表情をするジュリアスとは対照的に、エヴァンスはどこまでも寂しそうだった。




「それでも、そなたを愛している」

 



 今まで聞いたジュリアスを思う愛の言葉の中で一番深く優しく、渇いた大地に浸透する水のようにタケルの心の奥底まで響いた。




「愛しているんだ、ジュリアス」




 赦しを請うような憂いた響きを残し、エヴァンスの身体がジュリアスの脇を過ぎる。


 振り返ったジュリアスの漆黒の瞳に、白馬に跨り遠ざかるエヴァンスの姿がはっきりと映っていた。




「あーあ。かわいそうに」

 



 背後から哀れむ言葉とは対照的な、小馬鹿にしたようなライラの声が聞こえてきた。


 エヴァンスを見つめていた漆黒の瞳が、きつい矢となってライラを睨む。




「そう思うのだったら、こんな馬鹿な真似はよすことね」




 ジュリアスの言葉に、ライラは紫色の瞳を眇めた。




「馬鹿な真似? あんたに言われたくないわよ、ジュリアス」




 態度も言葉もふてぶてしいライラに、ジュリアスは更にきつい視線を向けた。


 そんなジュリアスを見下すように、顎先を上げた長身のライラの紫色の瞳が見下ろす。


 挑むように睨んでいたジュリアスの視線が、根負けしたように不意に逸らされた。


 そのまま踵が返される。




「また逃げるの」




 非難の言葉に一瞬、ジュリアスの足が止まった。


 酷く悔しそうな表情が、優しいジュリアスの横顔に浮かぶ。


 けれども、ジュリアスは何も言わなかった。


 視線を向けることも、言葉を発することもないまま馬に跨る。


 タケルにも言葉をかけることなく、ジュリアスは馬の腹を蹴った。


 一つ大きく馬がいなないた。


 その勢いのままに駆け出す。




「臆病者!」




 苛立ちを含んだライラの声が、遠ざかる蹄の音に重なった。




「あの……ライラさんとジュリアスは、お知り合いなんですか」




 炎が立つような眼差しで見つめるライラに、タケルは恐る恐る声をかけた。


 勢いある紫色の眼差しが、刺すようにタケルを見た。




「お知り合いも何も、同じ時期に同じ魔女の下で修行していたのよ」




 胸を張り答える姿は、どこか誇らしげだった。




「ジュリアスはね、次の聖魔女として期待されていたの」




「聖魔女?」




「全ての魔女を統べる存在よ」




 ライラの言葉に、タケルは大きく瞳を見開いた。


 この世界での魔女の地位も人数も、タケルには分からない。


 けれども、国王の信任を受けるほどの存在だ。


 決して悪しき存在ではないのだろう。


 少なくともジュリアスの存在は、ダイヤモンド王国にとって必要不可欠なものだ。

 

 ダイヤモンド王国だけでなく魔女の世界でも、ジュリアスは重要なポジションを占めていたのだ。




「そんなに凄い人だったんですか……」




 聡明な人だと思っていた。


 けれどタケルが思う以上にジュリアスの存在は偉大なのだと、目の前で得意げに語るライラの姿に改めて認識した。




「そうよ、凄かったのよ。半端なく凄かった。同じに修行したけれど、私なんて足元にも及ばなかった。けれども、ジュリアスは逃げたのよ」




「逃げた?」




「そう。折角、次期聖魔女に選ばれたというのに、荷が重過ぎると言って出て行ってしまった。何もしないうちに逃げ出すなんて、信じられない」




 ライラの批判は突き刺すような痛みを伴って、タケルの胸に落ちた。




「きっと、怖かったんだよ」




 タケルも手術から逃げている。


 だから、重すぎる責任に逃げ出したジュリアスの気持ちがよく分かった。


 ジュリアスがダイヤモンド王国に現れたのは、十五歳の時だと聞いた。


 今のタケルと同じ年だ。


 まだ幼いともいえる年齢でいきなりトップ候補に選ばれて、すんなりと受け入れられるほうがどうかしている。




「怖くて逃げてしまったんだよ」




「だったら、残された人間はどうなるの」




 曖昧なタケルを追い詰めるようにライラが問う。


 飾らないストレートな物言いが、激しく勝気な気性を表しているようだった。




「逃げるのは勝手よ。けれど、残される人間は必ずいる。今回のことだってそう。身分が違うとか何とか言って逃げてるんでしょう。でも、そんなんじゃこの先ずっと、全てのことから逃げるようになるわ」




 非難するライラの表情は、とても悔しそうだった。


 苛立たしげなライラの姿に、タケルは不意に表情を和ませた。




「ライラさんは、ジュリアスのことが好きなんだね」




 どうでもいい相手に、こんなに怒ったりはしない。


 好きだからこそ、逃げ出したことが許せないのだろう。


 タケルの言葉に、ライラは烈火の如き眼差しを向けた。




「嫌いよ! 私より有能なくせに、それを生かそうとしないジュリアスなんて、大嫌い!」




 酷薄な印象をもったライラの悪態を吐く姿が、とても可愛く思えた。


 タケルの口元に、無意識のうちに笑みが零れる。


 穏やかな気持ちに、両親の姿が脳裏に浮かんだ。


 延命出来る手術を受けない自分を、きっと父と母も残念に思っているに違いない。


 その気持ちは痛いほど分かる。


 出来れば手術を受けて、元気に走る姿を見せたい。


 けれども成功率の低さが、どうしてもタケルを臆病にさせる。


 ジュリアスの去った方向に視線を向ける。


 無数の白い花弁が、ただ静かに風にそよいでいるだけだった。





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