名探偵佐々木小太郎 花瓶殺人事件
名探偵佐々木小太郎の朝は一杯のコーヒーで始まる。
「あつっ、にがっ」
癖のある髪の青年の眠そうな目がきつく閉じられる。
「おーい次郎君、砂糖持ってきてー」
小太郎が事務所の奥にむかってそう叫ぶと、助手の次郎少年がスティックの砂糖を手に駆け寄ってきた。
「先生、かっこつけてブラックコーヒーを飲もうとするのは諦めた方がいいんじゃないですか」
「次郎君、今はまだ駄目でも未来までそうなるとは限らないよ。諦めたらそこで終わりだからね」
「そうですね……先生、余計な事言ってすみませんでした」
「いやいや、わかってもらえればそれでいいよ。とりあえず次からもブラックコーヒーでお願い。砂糖とミルクたっぷりね」
助手の次郎君が何か言おうと口を開きかけた時、事務所の電話がけたたましい音を立てて鳴り出した。
次郎君がすばやく駆け寄り電話を取る。小太郎はスティックの砂糖をコーヒーに入れて一口飲んだ。
「あつっ、にがっ、おーい次郎君、砂糖おかわり」
「先生、それどころじゃありません! 殺人事件です!」
緊迫した次郎少年の表情を見た小太郎は、ぼんやりと緩んでいた顔を引き締め、手に持っていたコーヒーを一気に飲んでむせた。
「げほっ、げほっ、それで、げほっ、現場は、げほっ」
「3丁目の斎藤さんの家です、あの豪邸ですよ!」
「よし、げほっ、それじゃさっそく、げほっ、出かけげほっ、ぐええええええええ」
「何吐いてんですかああああああああ!」
事態は風雲急を告げ、事件は混迷の度合いを増していった。
小太郎と助手の次郎少年は、閑静な住宅街の中でひときわ目立つ豪邸の前にきていた。
「ここかい?」
「山田警部からの電話では、この家のご主人が死体で発見されたそうです」
「なるほど、それじゃ中に入ってみよう」
二人は門をくぐり、少し離れた玄関まで小道を歩いた。
「すごいねえ。門から玄関までこんなに距離があるなんて」
小太郎は感心したように呟いた。次郎少年は豪邸を見上げながら小太郎に説明した。
「一代で大会社を興した人だそうですから」
二人は豪華な玄関から中に入り、長い廊下を案内の警官に先導されてしばらく歩き大きな書斎に入った。
「お、佐々木先生、待っていましたよ」
書斎の中には40歳くらいの刑事がいて、小太郎達に気がつくと片手を上げながら近づいてきた。
「お久しぶりです山田警部。さっそくですが事件の説明をお願いします」
「はいはい、えーと、被害者は斎藤権太郎66歳が30人。死因は凶器の包丁30本が胸に刺さった事による失血死。凶器の包丁は一本押収していますが残りの29本は今の所行方不明。それでですね、佐々木先生」
山田警部が手帳をめくる手を止め、小太郎の方を見て意味ありげな笑みを浮かべた。
「現場はこの書斎なんですが、窓は内側から鍵がかかっていて、唯一の出入り口であるそこの扉も内側から鍵がかけてあったそうなんですよ」
「つまり、密室だと」
「まあ、にわかには信じがたいですがね。第一発見者の証言によるとそうなります」
「ふむ……」
小太郎があごに手を当てて考えていると、次郎少年が話し掛けてきた。
「あの、先生」
「うん? どうしたの」
「被害者ですけど、斎藤さんが30人っておかしくないですか」
「おかしいとは?」
「いや、だって常識で考えて……」
「次郎君、我々の常識はこの世界の全てを説明できるわけではないよ。昔の人にとってこの地球は平なのが常識だったけど、それからいろいろと進歩があって常識は変化した。いいかい、常識は大事だけどそれに捕らわれては真実は見えない。大事なのはそこにあることをあるがままに受け入れるだけさ」
「……はい、先生。出すぎた真似をしてすみません」
「いやいや、疑問を持つことも大事だからね。そうそう、山田警部、第一発見者の話を聞きたいけどいいかな」
「分かりました。おい!」
山田警部が合図をすると、近くにいた警官が書斎の外へ出て行った。しばらくすると、先ほどの警官と一緒にひとりの男が入ってきた。
赤ら顔で白い髪は短く、手が細かく震えて足もフラフラ。見事な千鳥足を披露した人物を山田警部が小太郎達に紹介した。
「アル中で強度の乱視のため物がブレまくって見える第一発見者の五島さんです」
「おおお〜人間だらけじゃのおおお。酒くれえええええ」
事件は急展開の様相を見せ、次郎少年は思い切り叫んだ。
「おまえらみんなアホだあああああああああ!!」
登場人物がそろい、舞台の準備は整った。
名探偵佐々木小太郎はこの密室トリックをいかにして解明するか。
「すみません、先生。取り乱してしまって」
「いやいや気にしなくていいよ。誰しもどうしようも無い事はあるし」
頭を下げる次郎少年を小太郎はやさしく慰めた。
現場には小太郎と次郎少年、山田警部と第一発見者の五島さん。
全ての役者が揃い、探偵佐々木小次郎の調査が始まる。
「山田警部、五島さんと話をしてもかまいませんか」
「ええ、どうぞ」
小太郎は山田警部に軽く会釈をした後、床に座り込んで鉄道唱歌を歌いだした五島さんに話し掛けた。
「五島さん、ちょっといいですか。私は探偵の佐々木小太郎と言います。あなたが目撃した事について二、三お伺いしたいのですが」
「よし! 今わしは原因になっている。面舵一杯いいいい、右に傾けえええ」
「あなたがこの部屋に入ろうとした時、この扉に鍵がかかっていたのですか?」
「もちろんだ。固い壁はわしを拒絶してそこにあるバズーカは淫らな砲弾を」
「それであなたはどうしたんですか?」
「台所にいって酒とつまみをスカポンタス。ところでわしが誰だ?」
「なるほど、それからどうしたんです?」
「ドアという名の障害物をわしが乗り越えたら、奴がたくさんいたから片っ端からつまみで刺してみた。あれ? 酒はどこいった」
「ありがとうございます、よく分かりました。山田警部、お願いします」
「はい。おーい、五島さんを署まで連行して」
五島さんは花瓶の水を浴びるように飲みながら警官に付き添われて部屋を出て行った。
山田警部が懐から煙草を取り出して咥え、マッチで火をつけながら小太郎に話し掛けた。
「いつから奴に目をつけていたんです?」
「このような一見不可能な犯罪の場合、第一発見者をまず疑うのが常道ですから」
「なるほど……さすがですな」
山田警部は煙草をもみ消すと、小太郎達に会釈して部屋を出て行った。
小太郎は現場となった書斎で少し黙祷したあと部屋の出口に向かって歩き出した。
うつむいたままブルブル震えていた次郎少年は顔を上げると思い切り叫んだ。
「おまえらやっぱアホだああああああ!!!」
事件は解決した。
だがこの世に人がいる限り、人の欲がある限り、犯罪はなくならない。
がんばれ小太郎。知恵と勇気の続く限り。
『名探偵佐々木小太郎 花瓶殺人事件』 終