追放
玲司に胸を貫かれた医者が倒れるのを、ゴブリンと人間が支えていた。
ゆっくりと寝かせて、傷口に何枚ものタオルを押し当てて止血を試みていた。
おそらく無駄だろう。
彼は今、溺れている。
気道が血で満たされる前に、どうにかしなくてはダメだ。
「花蓮、あのテントを狙え。乃愛は火がついたら風を起こして火災旋風を。弁慶と俺は、出て来た連中を斬る」
玲司の的確な指示は、ひとりの生存も許さない意思表示だった。
そんな中で俺は、何故だろう。
死にゆく医者に駆け寄っていた。
リュックから取り出したポーションを傷口に流した。
経口薬だが深い傷口には即効性がある。
あとはこれが人間に使えるかどうかだけれど——
動物用の気管支ブロッカーをリュックから取り出した。
気道に挿管して出血箇所からの血液流入を止める。
呼吸さえ出来れば。
医者の気道を確保して口を開いた。
そして挿管......
口の中に器具を入れようとしたところで、横から殴り飛ばされた。
まだ子供のゴブリンだが、さすがはモンスターだ。
ひ弱な俺くらいならブチのめせそうだ。
医者を守ろうと必死に庇っていた。
説明している暇もない上に、そもそも言葉が通じない。
——どうしたらいい?
早く血を抜かなければ助からない。
戸惑う俺の前にゴブリンがもうひとり現れた。
もうダメか。
そう諦めかけた時だ。
「オマエ、先生、スクエル?」
俺は頷いて、身振り手振りで説明した。
彼は自分をエドと名乗った。
エドは小さなゴブリン頭を撫でると、その場所を空けさせた。
再度挿管する。
動物用だが理屈は同じはずだ。
ゆっくりと気管支に傷をつけないように挿管した。
これで溺れることはないはずだ。
あとは自発呼吸が戻ればいい。
「花蓮さん、国王軍の兵士もあのテントに居る!!」
俺は叫んだ。
ほっとしている場合では無かった。
あの医者はここを赤十字だと言った。
ならば絶対に守らなくてはいけない。
獣医師の卵とはいえ、俺も医者の端くれだ。
「乃愛さん、このままじゃ人殺しだ」
「弁慶さんも、国王軍の兵士を殺してしまったらどうなるか分からないですよ」
詠唱と風が止んだ。
ただ、玲司さんと弁慶さんは構えを解かなかった。
「じゃぁ、魔物だけぶち殺せばいいじゃん」
玲司さんの言葉に弁慶さんも頷いた。
「豊本、お前もだって散々見てきただろ。腹を裂かれて胎児を食われた妊婦や、肝だけ抜かれた死体の山......コイツらのおぞましい所業を」
弁慶さんの奥歯がギリギリと鳴った。
弁慶さんの義憤も理解出来るが、それは彼らの罪ではない。
そしてこの期に及んで彼らは無抵抗だ。
なんとか説得を——
そう思案した時だった。
小さなゴブリンが俺の袖を引いた。
指さす方を見ると医者の顔色がおかしい。
チアノーゼだ。
気道は確保してある。
自発呼吸がなかった。
肺気胸だ。
肺に穴が空いている。
「エド!!瓶に水を入れて持ってきてくれ。あと、管と布とロウソクだ」
俺の言葉にエドが駆け出した。
「乃愛さん、あなたの精霊でこのお医者さんの肺に空気を送ってくれませんか?このままでは死んでしまいます」
逡巡しながら彼女は玲司さんを見た。
苦々しく険しい表情だ。
「救える人が救わなければ、それは殺してしまうことと同じだ!」
俺の言葉に反応があった。
——玲司さんの。
「役たたずが仲間を侮辱して足を引っ張るな!」
剣が振るいおろされた。
刹那、血しぶきが上がり顔を染めた。
血は、俺の上に覆いかぶさった小さいゴブリンのものだった。
俺を殴ったゴブリンの。
「あ、あ、あぁあぁ」
俺は彼を抱きかかえると、失語症にかかったようにそれだけを言い続けていた。
そして何かが弾けると、素手で殴りかかっていた。
「バカ、死ぬぞ」
弁慶さんがタンクのスキルを発動していた。
俺は子供のように弁慶さんの胸を泣きながら叩いていた。
そしてその背中では玲司さん...玲司の剣を一身に受けていた。
俺と玲司は、お互いの敵意をタンクのスキルを発動した弁慶さんに向けていた。
そして斧を置くと、その拳を玲司に叩きつけた。
「頭を冷やせ、お前たち!」
激しく吹き飛ばされた玲司は気を失っていた。
「豊本。リーダーの意思に従えないばかりか、仲間を脅したお前は——追放だ」
弁慶さんはそう言って玲司を肩に担いだ。
そして「救ってやってくれ」と言って去って行った。
医者は精霊の働きで今は呼吸をしていた。
けれど乃愛さんが皆と行ってしまったので、その効果もあと数分だろう。
俺はエドが持ってきた瓶の水を適量まで減らすと、布で蓋をした。
そこに切り込みを入れて管を二本通す。
長い管は水の中へ。
短い管は水面より上に。
そして蓋を蝋で固めた。
医者の肋骨に手を当てる。
ゆっくり肋間を探ると、アルコールを十分に噴霧した。
俺の手も、ナイフも器具も。
皮膚を裂き脂肪層を分け、筋組織を通過した。
血液が流れ落ちた。
もう血は十分だ。
獣医師になるには失格だろうか。
そんな思いが過ぎった。
そこに自作した器具の管を挿管した。
水が泡立ち始めた。
これで安心だ。
胸に溢れた空気を抜いて、風船のように萎んでしまった肺を膨らませる。
これで自発呼吸が始まるはずだ。
ようやくほっとした俺は、その場に仰向けに倒れ込んだ。
青い空が徐々に暗くなっていった。
周囲のざわめきも遠く遠く——




