4 師匠は、気に掛けるのもほどほどにと
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ヘルナスが言い終わって場には少しの沈黙が訪れた。ミバモスは話の余韻を一切躊躇せずに断ち切った。
「話は分かったよ。けど、それだけじゃあね。わたしも何やったらいいかわからないな。症状を教えてよ」
ヘルナスは話の途中でネルから着座を促されて、今はカウンターの前で椅子に腰を降ろしている。彼女は上体をミバモスの方へ傾ける。
「身体が全く動きません。二か月ほど前からは意識が朦朧とするのが常になりました。話しかけても呆然として……といいますか、何かを弱弱しく言葉にするのですがそれも要領を得ず……という次第です。体には紫色の大きな痣が至る所にできています」
痣、とミバモスが聞き返した。ヘルナスは神妙な顔で、はいと言った。
「それがもう本当に……」
ヘルナスは言葉の途中で口籠る。その様子を見て、ネルもミバモスも黙ったまま様子を伺った。ヘルナスはぽつぽつと言葉を紡ぐ。
「気味が、悪いと思います。ただ転んだり、打たれたりしてできる痣とは全く違うものです」
「医者がそう言ったのか?」
ヘルナスは顔をはっと上げた。
「見ればわかります。色鮮やかで、ぞっとするような色合いなんです。――それが全身に」
言いながら、彼女は再び顔を俯けた。
ミバモスは肩眉を上げて、ネルを見た。師匠の様子はネルの意見を窺うふうだったから、ネルは首を傾げて見せた。すると、ミバモスは息を吐いてから顔を前に戻した。
「……さあてねえ」
「……店主さんにも、わかりませんか?」
「わたしはさあ、魔法使いの中でも、そこまで魔物なんかに博識ってわけじゃないんだよ。その代わり魔法道具の扱いと製造に長けてるってわけだ。正直なところ、症状にも魔物にも、全く見当がつかないな……」
言って、ミバモスは立ち上がる。背後の戸棚を適当に上から下に開けて見ていく。彼女は唸る。その様子を、ヘルナスは心配そうな顔で見ていた。
彼女の鎧は立派で、長い金髪は光ながら垂れていた。その居住まいは立派な騎士そのものだったが、表情だけが不釣り合いに暗い。
「ちょっとそこで待っててくれ」
ミバモス入って、カウンターの裏側から出ようとする。その際に、カウンターの長台の端にいたネルの肩を叩いて一緒に来るように促す。
ネルはミバモスにくっついて、店の奥の方へ行く。店の奥は棚が幾列も並んでいた。ネルが出入り口の方をそれとなく伺うと、棚の端から、ヘルナスが心配そうにこちらを窺っているのが見えた。
ミバモスはヘルナスの方から顔を戻し、ネルを見る。
「おい――ネル、あれどう思った?」
「あの話の事ですよね」
「うん」
ネルは率直に言う。
「大変なんだあとは……思いました。けど、わたしたちの方でどうにかできるかと言われると、難しいんじゃないのかなって」
ネルの言葉に、ミバモスは頷く。
「正直わたしは、何を売ってやればいいのかさっぱりわからなかった。わたしは魔物とか、そういうものには疎いんだよ」
久しぶりに見る師匠の情けない姿に、ネルは溜息を吐く。師匠は魔法使いとして名高い。この店は、魔法道具に関して言えば王国随一と言っていいだろう。その店主、ネルの師匠は厳しく、態度は凛々しい。だけども、時たまこういう情けない姿を見せることがある。
「だから何日か前に、魔物の図鑑を差し上げたじゃないですか」
ネルは小声で言う。ミバモスは呆れた風に息を吐いて、
「あのなあ。あんな図鑑をちょろって見てたって、あの話をうまく理解できたわけがないだろうが」
第一、とミバモスは口を軽く尖らせる。
「あれ駆け出し魔法使いのための本だろ? 薄っぺらいし、じゃあ駄目だよ」
「それは師匠が苦手だっていうから、わざわざ薄いのを選んで差し上げたんですよ! あれ自腹なんですからね。プレゼントですよ!」
「それはそうなんだけどさあ――恥ずかしいだろ。わたしが駆け出しのやつ見てたらさ」
あのっ、とネルが声を上げそうになった時、向こうから遠慮がちな、それでいてはっきりとした声が聞こえた。
「あのう――」
ネルとミバモスははっとして顔を見回せる。ネルは、ミバモスとの内緒話で声を張り上げすぎてたかもしれない、と思った。声の位置は近い。二人が戸棚から顔を出すと、ヘルナスが上目遣いでこちらを窺いながら近くに居た。
咄嗟にさっきの話を聞かれたかもしれないと思う。ミバモスが咄嗟に棚の影からでる。
「なに、今二人で相談してたんだ」
「それで、その――」
言いかけたへルネスを、ミバモスが遮る。
「まっ出来ることはするさ」
へルネスの顔がぱっと明るくなった。
「本当ですか! ああ、なんてお礼を言ったら――」
ミバモスはそう声を上げる彼女の肩に手を添えて、店の入り口の方へ促す。ネルは内心、心配だ。
(出来ることはする、ねえ……。大丈夫かな)
三人とも初めの位置へ戻った。ネルは座った二人を、立ちながら見ている。ヘルナスは安堵した様子だ。けれど、出来ることはすると約束しただけで、間違いなく治すとは言っていないのだ。
ネルは師匠の請け合いが心配だが、なんだかんだと言ってもどうにかなりそうな気も確かにしている。――ヘルナスの悩み事も、多分解決できるはず。
ミバモスは顔を上げて、今自分が書きつけた紙きれをヘルナスに渡した。
「これは?」
「知り合いの魔法使いだ。こいつに一度、父上を見てもらってくれ」
ヘルナスをミバモスを見る。
「で、こいつに具体的に呪いの種別を判断させて、こいつがわたしにそれを報告する。そうしてから、ポーションを見繕うか配合してやる。
あんたの話を聞いた限りだと、正直言って、わたしには何をどうすればいいのかさっぱりわからない。わたしは魔法道具の扱いに長けてるんだが、魔物なんかの知識には疎いんだ。だからどんな魔物がどんな呪いをかけているのかがわからない。症状だけ聞いても、同じだよ」
「わかりました。この人を訪ねて見ます」
言いながら、ヘルナスは手にとった紙を見つめていた。
「ただし、金はかかるよ。そいつはあんたが雇うんだ」
「はい、わかっています」
ヘルナスはどこかほっとしたような顔をした。一呼吸おいて立ち上がり、毅然とした顔でミバモスを見る。その姿は先ほどまでとは違って、騎士らしい凛々しい顔つきだ。
「本当にありがとうございました。解決への道筋が立っただけでも、本当に幸いです」
言って、ヘルナスはどこか安堵したような表情をした。ミバモスは指を立てて、厳しい視線をヘルナスへ向ける。
「――言っておくけど、必ず治せるとは言ってないからね。治せなくても、あんたはその手紙の人間に診察を依頼したのなら、金を払わなくちゃいけないし、わたしが作ったものがあんたの父上に効かなかったとしても、料金はいただくからね」
「構いません」
ヘルナスははっきりと言った。
ネルは退店するヘルナスを見送った。彼女は店を出てから、一度肩越しにこちらを振り向いた。その表情に浮かんだ色を、ネルは上手く言い当てることができなかった。
だけれど、少しの期待はさせているだろうと思った。そう思ってほしいという気持ちと、しかしどうにかなるとも限らないという気持ちが混じっている。
ネルは顔を上げて、ミバモスを見る。
「セイシャックの名前を書いて渡したんだ」
セイシャックはミバモスの知り合いで、確かどこにも仕えずにいる、風来坊のような魔法使いだった。ネルも何度か、店に来たセイシャックを見かけたことがある。いつも深いフードを被っていて、みすぼらしい身なりをしていた。まだ歳はそれほど食っていない。その身なりとは裏腹に、どこか注目してしまうような雰囲気のある人間だった。腕は立つのだろうと、見てわかる。
思い出しながら、ネルは宙を見る。
「ああ、あの人ですか……。確かにあの人なら魔物には詳しそうですね。山に川にと、どこへでも行ってそうな雰囲気があります」
「うん、実際そんな感じの奴だ。変わった奴なんだよ」
「師匠は変わった知り合いが多いですものね」
「出来るやつは、即ち飛び出たやつなのさ」
机から顔を上げずに、ミバモスは言う。ネルは彼女の背後に回って、彼女がヘルナスの為に開けた戸棚を整理する。
一つの小瓶を奥へ戻し、横と面をそろえると、ぽつりとつぶやく。
「本当にお気の毒そうでした。全部上手くいくといいんですけど」
ミバモスは顔を上げた。ネルは振り向いて彼女を見る。ミバモスは前を向いて、ネルと顔を合わせることなく言う。
「感情移入したか? でも、ほどほどにしときなよ。そうじゃないと、こっちまで疲れてきちまうよ」
ネルはただ頷いた。