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Labyrinth : デイビアの地下迷宮  作者: 奈鹿村
第2章 罪を得て…
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4 師匠は、気に掛けるのもほどほどにと



 ヘルナスが言い終わって場には少しの沈黙が訪れた。ミバモスは話の余韻を一切躊躇せずに断ち切った。


「話は分かったよ。けど、それだけじゃあね。わたしも何やったらいいかわからないな。症状を教えてよ」


 ヘルナスは話の途中でネルから着座を促されて、今はカウンターの前で椅子に腰を降ろしている。彼女は上体をミバモスの方へ傾ける。


「身体が全く動きません。二か月ほど前からは意識が朦朧とするのが常になりました。話しかけても呆然として……といいますか、何かを弱弱しく言葉にするのですがそれも要領を得ず……という次第です。体には紫色の大きな痣が至る所にできています」


 痣、とミバモスが聞き返した。ヘルナスは神妙な顔で、はいと言った。


「それがもう本当に……」


 ヘルナスは言葉の途中で口籠る。その様子を見て、ネルもミバモスも黙ったまま様子を伺った。ヘルナスはぽつぽつと言葉を紡ぐ。


「気味が、悪いと思います。ただ転んだり、打たれたりしてできる痣とは全く違うものです」


「医者がそう言ったのか?」


 ヘルナスは顔をはっと上げた。


「見ればわかります。色鮮やかで、ぞっとするような色合いなんです。――それが全身に」


 言いながら、彼女は再び顔を俯けた。


 ミバモスは肩眉を上げて、ネルを見た。師匠の様子はネルの意見を窺うふうだったから、ネルは首を傾げて見せた。すると、ミバモスは息を吐いてから顔を前に戻した。


「……さあてねえ」


「……店主さんにも、わかりませんか?」


「わたしはさあ、魔法使いの中でも、そこまで魔物なんかに博識ってわけじゃないんだよ。その代わり魔法道具の扱いと製造に長けてるってわけだ。正直なところ、症状にも魔物にも、全く見当がつかないな……」


 言って、ミバモスは立ち上がる。背後の戸棚を適当に上から下に開けて見ていく。彼女は唸る。その様子を、ヘルナスは心配そうな顔で見ていた。


 彼女の鎧は立派で、長い金髪は光ながら垂れていた。その居住まいは立派な騎士そのものだったが、表情だけが不釣り合いに暗い。


「ちょっとそこで待っててくれ」


 ミバモス入って、カウンターの裏側から出ようとする。その際に、カウンターの長台の端にいたネルの肩を叩いて一緒に来るように促す。


 ネルはミバモスにくっついて、店の奥の方へ行く。店の奥は棚が幾列も並んでいた。ネルが出入り口の方をそれとなく伺うと、棚の端から、ヘルナスが心配そうにこちらを窺っているのが見えた。


 ミバモスはヘルナスの方から顔を戻し、ネルを見る。


「おい――ネル、あれどう思った?」


「あの話の事ですよね」


「うん」


 ネルは率直に言う。


「大変なんだあとは……思いました。けど、わたしたちの方でどうにかできるかと言われると、難しいんじゃないのかなって」


 ネルの言葉に、ミバモスは頷く。


「正直わたしは、何を売ってやればいいのかさっぱりわからなかった。わたしは魔物とか、そういうものには疎いんだよ」


 久しぶりに見る師匠の情けない姿に、ネルは溜息を吐く。師匠は魔法使いとして名高い。この店は、魔法道具に関して言えば王国随一と言っていいだろう。その店主、ネルの師匠は厳しく、態度は凛々しい。だけども、時たまこういう情けない姿を見せることがある。


「だから何日か前に、魔物の図鑑を差し上げたじゃないですか」


 ネルは小声で言う。ミバモスは呆れた風に息を吐いて、


「あのなあ。あんな図鑑をちょろって見てたって、あの話をうまく理解できたわけがないだろうが」


 第一、とミバモスは口を軽く尖らせる。


「あれ駆け出し魔法使いのための本だろ? 薄っぺらいし、じゃあ駄目だよ」


「それは師匠が苦手だっていうから、わざわざ薄いのを選んで差し上げたんですよ! あれ自腹なんですからね。プレゼントですよ!」


「それはそうなんだけどさあ――恥ずかしいだろ。わたしが駆け出しのやつ見てたらさ」


 あのっ、とネルが声を上げそうになった時、向こうから遠慮がちな、それでいてはっきりとした声が聞こえた。


「あのう――」


 ネルとミバモスははっとして顔を見回せる。ネルは、ミバモスとの内緒話で声を張り上げすぎてたかもしれない、と思った。声の位置は近い。二人が戸棚から顔を出すと、ヘルナスが上目遣いでこちらを窺いながら近くに居た。


 咄嗟にさっきの話を聞かれたかもしれないと思う。ミバモスが咄嗟に棚の影からでる。


「なに、今二人で相談してたんだ」


「それで、その――」


 言いかけたへルネスを、ミバモスが遮る。


「まっ出来ることはするさ」


 へルネスの顔がぱっと明るくなった。


「本当ですか! ああ、なんてお礼を言ったら――」


 ミバモスはそう声を上げる彼女の肩に手を添えて、店の入り口の方へ促す。ネルは内心、心配だ。


(出来ることはする、ねえ……。大丈夫かな)


 三人とも初めの位置へ戻った。ネルは座った二人を、立ちながら見ている。ヘルナスは安堵した様子だ。けれど、出来ることはすると約束しただけで、間違いなく治すとは言っていないのだ。


 ネルは師匠の請け合いが心配だが、なんだかんだと言ってもどうにかなりそうな気も確かにしている。


――ヘルナスの悩み事も、多分解決できるはず。


 ミバモスは顔を上げて、今自分が書きつけた紙きれをヘルナスに渡した。


「これは?」


「知り合いの魔法使いだ。こいつに一度、父上を見てもらってくれ」


 ヘルナスをミバモスを見る。


「で、こいつに具体的に呪いの種別を判断させて、こいつがわたしにそれを報告する。そうしてから、ポーションを見繕うか配合してやる。

 あんたの話を聞いた限りだと、正直言って、わたしには何をどうすればいいのかさっぱりわからない。わたしは魔法道具の扱いに長けてるんだが、魔物なんかの知識には疎いんだ。だからどんな魔物がどんな呪いをかけているのかがわからない。症状だけ聞いても、同じだよ」


「わかりました。この人を訪ねて見ます」


 言いながら、ヘルナスは手にとった紙を見つめていた。


「ただし、金はかかるよ。そいつはあんたが雇うんだ」


「はい、わかっています」


 ヘルナスはどこかほっとしたような顔をした。一呼吸おいて立ち上がり、毅然とした顔でミバモスを見る。その姿は先ほどまでとは違って、騎士らしい凛々しい顔つきだ。


「本当にありがとうございました。解決への道筋が立っただけでも、本当に幸いです」


 言って、ヘルナスはどこか安堵したような表情をした。ミバモスは指を立てて、厳しい視線をヘルナスへ向ける。


「――言っておくけど、必ず治せるとは言ってないからね。治せなくても、あんたはその手紙の人間に診察を依頼したのなら、金を払わなくちゃいけないし、わたしが作ったものがあんたの父上に効かなかったとしても、料金はいただくからね」


「構いません」


 ヘルナスははっきりと言った。



 ネルは退店するヘルナスを見送った。彼女は店を出てから、一度肩越しにこちらを振り向いた。その表情に浮かんだ色を、ネルは上手く言い当てることができなかった。


 だけれど、少しの期待はさせているだろうと思った。そう思ってほしいという気持ちと、しかしどうにかなるとも限らないという気持ちが混じっている。


 ネルは顔を上げて、ミバモスを見る。


「セイシャックの名前を書いて渡したんだ」


 セイシャックはミバモスの知り合いで、確かどこにも仕えずにいる、風来坊のような魔法使いだった。ネルも何度か、店に来たセイシャックを見かけたことがある。いつも深いフードを被っていて、みすぼらしい身なりをしていた。まだ歳はそれほど食っていない。その身なりとは裏腹に、どこか注目してしまうような雰囲気のある人間だった。腕は立つのだろうと、見てわかる。


 思い出しながら、ネルは宙を見る。


「ああ、あの人ですか……。確かにあの人なら魔物には詳しそうですね。山に川にと、どこへでも行ってそうな雰囲気があります」


「うん、実際そんな感じの奴だ。変わった奴なんだよ」


「師匠は変わった知り合いが多いですものね」


「出来るやつは、即ち飛び出たやつなのさ」


 机から顔を上げずに、ミバモスは言う。ネルは彼女の背後に回って、彼女がヘルナスの為に開けた戸棚を整理する。


 一つの小瓶を奥へ戻し、横と面をそろえると、ぽつりとつぶやく。


「本当にお気の毒そうでした。全部上手くいくといいんですけど」


 ミバモスは顔を上げた。ネルは振り向いて彼女を見る。ミバモスは前を向いて、ネルと顔を合わせることなく言う。


「感情移入したか? でも、ほどほどにしときなよ。そうじゃないと、こっちまで疲れてきちまうよ」


 ネルはただ頷いた。

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