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デイビアの地下迷宮  作者: 奈鹿村
第2章 罪を得て…
8/12

3 客の話




 少女は自らをヘルナスと名乗った。

 彼女の父親は神聖王国の名のある騎士だったという。一年ほど前、それはまだ同盟軍と魔王軍の戦いに終わりが見通せなかった頃だった。

 ヘルナスは悔しそうな、悲しそうな表情をしながら、胸元で弱弱しく握りこぶしを造った。

「私の父は名をモルートと言います。王国の騎士として、立派に戦っておりました」

 その頃戦争の場所は地上から、「門」を通って地下迷宮へと移っていた。モルートも地下へ進行した軍勢の中で戦う者の一人だった。

 モルートは戦争の混乱のさなか、本体から離れてしまった。近くには彼の従者が数人と、配下の兵が数十人いた。そう、モルートの指揮する隊は前進に注力するあまり、全体の情勢を見誤り、敵地の中で味方とはぐれてしまったのだった。

「父は、まずは本隊へ合流しようとしました」

 そうして、モルートは隊を反転させ来た道を戻ろうとする。後方には敵味方を問わず死骸が点々と転がっていて、それを辿れば主戦場へ戻るのはいとも簡単だと、モルートには思われた。周囲には地下の暗闇が渦巻いており、戦場の灯火はどこにも見えなかった。わずかにモルートの近い周囲にだけ、彼の手勢がもつ松明の光が揺れていた。ただ、広い地下ではそれは余りに頼りなく思える。

「しかし父は姫殿下の軍の下へ戻ることができなかった!」

 モルートは予断に反してさ迷う。いかに戦場が広範囲で、戦場となった地下隧道が複雑だとしても、先ほどまで一緒に戦っていた本隊を見失うなどあり得るのだろうか。――あり得る。地下の通路は長大で複雑だ。そんなことが起こっても不思議ではない。

 ……だが、どうしてだろう? もはや周囲には誰の死体も転がっていない。暗闇の向こうには何の明かりも見えない。我々の鳴らす足音と、馬の息遣いしか、周りからは何も聞こえてこない。通路は一本道だったはずだ。地下迷宮自体が複雑でも、我々は単純に来た道を引き返せばいいだけのはずだ。だが現実は戻れない。

 最初は何とも思っていなかったモルートも、行進が一時間、二時間、そして三時間を過ぎた頃になると心中を不安で一杯にした。流石におかしいと気が付く。

 騎乗したモルートの隣を早歩きしている老従者のデンカが声を上げる。

「殿、これは何かおかしいですぞ」

「わかっている……」

 モルートは低い声で言う。デンカは周囲の人間と目配せしあう。

「我々はもしかしたら、魔族の術中にあるのかもしれません」

 しかし、とモルートは馬の上からデンカを見た。それ以上の言葉は言えなかった。実際、隊列は行けども行けども暗闇の中を淡い松明を頼りにさ迷うばかりだ。


 ヘルナスは言いながら、父親の状況を想像しているのだろうか。時折遠いところを見るような眼をする。

 ネルは彼女の言葉を聞きながら、想像し、そして父親に掛けられた呪いを想像した。ヘルナスの話ではまだ父親は呪いを受けていないようだ。これから呪いの元凶と対峙することになるのだろうか。

(……ヘルナスは、呼べるだけの医者は呼んだって言ってた。この人の身なりは立派だし、父親だって一隊を率いて軍に参加しているんだから、騎士の中でもそれなりの地位のある人だ。貴族なのかもしれない。

 そんな人が人を呼んで時間をかけても解決できないなんてことがあるのだろうか。呪いと病は本質的に違う。だから病を本分にする医者が、呪いに対処できないのは辺りまえ。でも、呪いによって蝕まれた体は、病と判別できない。だから医者は自然呪いに対する知識を持つし、名高い医者になればなるほど、その解決の伝手を持つ)

 ネルはそう言った事情を知っている。医者が呪いに知識を持つように、ネルもまた自然と魔法道具が絡む職業の事情を知っている。

(ヘルナスみたいな身分の人が呼んだ医者が、匙を投げるだけなんてことがあるのかな。もしかしたら、医者はもう既に自分の伝手のある魔法使いを紹介したのかもしれない。それで、その人たちにも断られたのかも……)

 ネルは眼をつむる。全ては想像に過ぎない。

「父はそれでも闇の中を進み続けました。父と彼に従う人たちにとって、その道はどれほど恐ろしかったでしょうか」

 やがてモルートの一隊は先に青白い光を見た。揺らめく光は、先で彼らを待ち受けているようだった。

 モルートは汗が頬から首に伝うのに気がついた。いやに暑い。鎧の中の上衣が汗でべたついていた。まるで暑い湿気があたり一帯に満ちているようだった。

 青白い炎は、モルートたちが近づけば、その中にさらなる輪郭を生じ始めた。炎の中に、白い肢体を露わにした女が立っている。

 女は青白い炎の光の中にあって、その目は一層青白い。瞳は渦巻くようにしてこちらを見つめていた。

 従者の一人が叫んだ。

「お前っ、何者だ!」

 その声に弾かれるようにして、兵士たちが剣を抜き、槍を女の方へ向けた。

「殿、あれは恐ろしいものですぞ。わたしにはわかります。殿にはこの空気が、悪寒がわかりませんか」

 デンカが汗みずくになって必死に叫んだ。

 モルートは名のある騎士。若くして認められ、家系にふさわし地位を早々に得た。歴代の家長が目標としてきた地位を手に入れてから、モルートはさらに上を目指し続けた。家の家格を上げるためだ。そして、自分の活躍を自らのすえに伝えていくために。モルートは並々ならぬプライドの持ち主だった。

 だからこそ、彼は自分の肌を圧迫するような湿り気のある空気も、流れつづける汗も感じがら、「寒い」という感情を覚えてしまったことを問題にしなかった。そういうものだと思ってしまった。モルートの自尊心は目の前の女を苦戦しながらも結局は取るに足りない程度の魔族と捉えた。……もしここで名のある自分に敵わぬ敵など来てしまえば、自分は一体どうやって地上に戻れるだろう。それどころか、命すらありえないかもしれない。そんなことは彼の思考にはなかった。彼の自尊心が、それを抑え込んだ。

 女は炎と共に消えた。

「馬鹿なっ」モルートは叫ぶ。気が付けば手を腰の剣にかけていた。「探せ――いや、まて、離れるな!」

 一行はまたもや歩き出す。しかし、モルートは気が付いた。人が一人、また一人と消えている。

 もうどれほど歩いただろう。周囲の松明はぽつぽつと消えていき、今や数本が掲げられるばかり。傍の従者はデンカだけが残る。兵士たちは十人を数えるばかりとなった。

 消えた者は、闇の中にさらわれてしまったのだと思う。

 モルートの馬が鼻息を荒くすることはもうない。うだるような暑さの中で馬は疲弊し、首を深く垂れていた。その上に乗るモルートも、気分が酷く悪い。汗が垂れて鎧の内側をべたべたにしていた。

 ――そしてまた一つ松明が闇に飲まれた。モルートは限界だった。自分がここで死ぬはずがない。ならば、苦境に立たされているように見えるのは何故か。一見して先が見えないこの窮状はどうしたことだろう。彼の自尊心は怒りを沸き立たせた。

「デンカっ、もはや一刻の猶予もない! 全員で駆けて上を目指すぞ」

 モルートは眼を見開いて剣を振り掲げた。すると、賛同する声が一つもないことに気が付いた。ただ、静寂である。モルートは剣を振り上げたまま、周囲を見る。馬の足元に松明が一本、落ちていた。心許ない炎を、木の燃える細かな音を立てながら、揺らめかせている。

 は、とモルートの声が漏れる。浅い呼吸がとめどなく漏れる。周囲には誰もいない。声を掛ける気すらなかった。それに返すものは誰一人いないだろう、と理解していた。

 モルートは馬を降りる。松明を手に持った。疲れ果てた馬が一度嘶くと、闇の中へ走り去った。

 闇の中を照明を頼りに歩くと、少しして横道が見えた。モルートは息を顰めながらそちらへ入る。

 青い池が光を放っていた。水は透明で青い。近づけば、奥底は青が濃くなって見えないが、かなり底の方まで見えるほど綺麗な水だった。

 モルートは照明を放り出し、池のほとりに突っ伏すと、顔を水の中へ入れた。がむしゃらに水を飲んだ。

「それが良くなかったのです。父はそれ以降のことを上手く語りません。語れないのです……」

 モルートは結局、自らが完全に包囲されたことに気が付いた。後ろを振り返ってみても来た道はどこにも見えない。それどころか、先ほど放り出した松明さえないのだ。

 ヘルナスは、聞き取った要領を得ない父親の言葉を要約して、二人に聞かせた。

 父親が言うには、やはりその池は何か魔族の罠だった、という。

 モルートは自分が深い闇の中に包まれていることに気が付いた。壁さえない。モルートは自分が罠にかかったことに気が付いた。絶叫する。ただ湖だけがある。湖の淡い光だけが、明かりの全てだった。

「誰かっ! おれに挑戦するものは誰かっ!」

 言いながら、モルートは剣を振るう。何もない空間に憎しみをぶつける。息せき切りながら、ただがむしゃらに空気を切り、土を抉る。

 モルートは倒れ込んだ。しばらくそのままでいると、涙がどっと溢れてきた。全てを失った自分が苦しい。

 冷たいものが首筋に触れた。水気のある、どろっとしたものだった。モルートはもはや振り返ることをしなかった。全身が震える。

 やがて、自分の首を掴もうとしているものが、数本の幹に分かれたことを感じて、これが手だと気が付いた。滑りけのあるものに包まれた、人の手だ。

 モルートは絶望の中、せめてもと思い、自分の眼下に落としていた剣を見た。地面に突き立てていた手を、ゆっくりと剣の柄に動かす。その間も、何かの手はモルートの首を撫で、鎧の下の胴にまで入り込もうとしていた。背中に何かが乗っかっている。

 モルートは徐に剣を掴むと、勢いよく振り向いた。モルートは背後の何かを認める前に、勢いそれに剣を突き刺したのだ。

 それは短い悲鳴を上げて、後ろへひっくり返った。

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