2 導師
2
「ネル! それこっちに持ってきてくんない?」
店の中に若い女の声が響く。ネルの働く「ミバモス魔法店」の店主、ミバモスの声だった。
「はーい」言いながら、ネルは木箱に雑多なものを入れて店の奥から出てきた。肘で机の上の邪魔なものをどかしてから、そこに箱を置く。「どれですか?」
ミバモスは口に、先に一枚の葉だけ残った細い茎を咥えながら顔を上げる。
「今さあ、俊足のポーション作ってる。材料の青葉がそこの戸棚にあるだろう?」
はい、と言って、ネルは物でごちゃごちゃしている店内を、物の間をすり抜けるように移動する。戸棚の前で上を見上げる。近くに置いてあったネル用の台座を足で持ってきて、それを使って青葉が満載の箱を取った。
「どこに置きますか? なんか、置き場が……」
「ああ」と言って、ミバモスは辺りを見回す。
ミバモスは店の会計台と作業台を兼ねた机の上で作業をしている。このカウンターは横に長く、ミバモスの前のポーション関連の物が置かれた空間と、横の色々な帳面類を積み上げた空間に分かれていた。ミバモスは帳面の山を下からごそっと持ち上げると、後ろのこれまたくしゃくしゃの紙の山々の中に置いた。
ネルはそこへ箱を置く。箱が地に着く際に青葉が揺れ、すっと鼻を勢いよく通り過ぎるような、そんな清涼感のある匂いがした。
ネルは店のこの雰囲気が好きだった。色々な薬草の臭い、完成したポーション瓶の中で揺れる鮮やかな色彩、雑多な道具が己の場所をそれなりに定めつつ、乱雑に置かれている感じ。混沌としているようで調和があって、調和があるようで混沌としている、そんな感じ。
ミバモスはネルの師匠であり、ここ神聖王国でも指折りの魔法道具のプロフェッショナルだ。彼女は誇りであり、憧れだ。
「けど、こんなに俊足のポーションなんて作って、どうするんですか? そんなに注文が入ったんですか?」
「いや、青葉の在庫処理っていうか――。戦争が終わってポーシュンの類も需要が落ち込んだから、別に売り手がそれほどあるわけじゃなんだけど。そうは言っても、その葉をただ置きっぱにして腐らせるわけにもいかないからなあ」
魔法道具の材料となる薬草類は、時がたてば腐る。大抵そういう葉は、普通のそれよりも劣化が遅いといわれている。ただそれでも、何か月も置いておいて良いというものではない。一度ポーションにしてしまえば、腐るということはない。
理解して、ネルは頷く。
「なるほど」
それに、とミバモスは顔を上げて店内を見渡す。
「色々と片付けないとなあ」
ミバモスの声は、普段見ないような殊勝な響きを含んでいた。ネルは彼女の傍で、ついくすりと笑う。
「ああ?」ミバモスは怪訝そうに言う。「なにかおかしなことでもあったかい?」
まだ二十代後半の女は、額に皺を作ってネルを見る。
「店長がそんな真面目なことを言うなんて、予想外でした」
ネルはまだおかしくて、微笑していた。
「あのなあ――」
ミバモスが言いかけた時、店の入り口に付けられたドアベルが、ちりんとなった。
二人とも前を見る。二人のカウンターは、入口の横にある。
「どうも……」
抑えたような声で言ったのは、髪の長い鎧姿の女だった。ネルは風貌から騎士で間違いないと思う。彼女の腰には剣が佩びられていた。女はまだ若い。
女は店に足を踏み入れて立ち止まる。店の余りの散らかりように、顔には出さないが、戸惑っているように見えた。店内はいくつもの長テーブルを配置してあり、その上に魔法道具を陳列している。しかしそういった商品の間に、商品でないもの、例えば書類や材料が置かれていて、それらは多くがテーブル上の空間をはみ出て通路を疎外していた。鎧姿では、ものを避けながら通路を通り抜けようとするのは至難だろう。
女は少しの間そうやって店内を見ていた。二人の方を向く。
「……ここは王国随一の魔法店と聞きました」
少女はおもむろに口を開いた。ミバモスはそれを鼻で笑う。
「そんなことを誰が言ってるのか知らないけどね。まあ、ここが大陸随一の魔法店なのは疑いがないねえ」
ネルは作り笑いを浮かべながら、内心で、
(店長……それはいくらなんでも言い過ぎなのでは……)
「そうですか、なら良かった」
「で、御用件は?」
「その――」
少女はいい淀む。ミバモスは肩眉を上げた。
「わたしの父が病で……。その薬が欲しいのです」
「わたしたちは医者じゃないよ」
「しかし人を治せる薬をつくれるでしょう?」
「まあねえ」ミバモスは言って、椅子の背に深く靠れて、足を組む。「けど、主に毒の方が作ってくれってお客が多い店だね。――けどま、薬を作れないこともない。だけど言っておくけど、ポーションで治せる病っていうのは、魔法で掛けられた病なんだ。普通の病気治すのなら、医者に見せた方がはやいよ」
少女は顔を軽く伏せる。その眼には悲し気な色が浮かんでいた。
「……はい。何人もの医者に見せました。しかしどの医者も匙を投げてしまって……。医者が言ったんです。これは呪いの類だ、と。そうであればわたしには処置のしようがない、どこかの魔法道具に長けた人に見てもらいなさい……。そう、言われました」
ミバモスは相変わらず興味なさげに聞いていた。ふうん、と呟く。その態度は冷たくも見える。だがネルは知っている。彼女は別に冷たい人間ではないのだ。ただひねくれた気質があるだけだ。
突然の来客の話は意外と重かった。魔法店には様々な人が来る。人を呪いたいが、それを隠しながら店に来て、白々しい態度の人。単純に身体の強化をポーションでしようという人。魔法書も取り扱っているから、それを目当てにくる魔法使い。……呪いの対処でやってくる人も稀にいる。このように。
ネルは場の空気が重たくなったから、明るい声を出す。
「でもっ、大丈夫! 安心してください。店長は魔法道具に関しては王国一ですから。どんな呪いの対処も、全然平気です」
「祈祷師じゃだめなのかい?」
ミバモスが言って、ネルははっとした。
祈祷師は呪いの対処を専門にした人間たちだ。彼らは祈りで呪いを癒すことを生業にしている。呪いへの対処は、魔法使いが製作したポーションによるか、祈祷師の祈りによるかで大方二分される。ただ呪いを打ち消すだけなら祈祷師に頼るのが一般的だった。
「祈祷師にはもう見せました。その人が言うには、祈りで癒すには、呪いはあまりにも肉体を蝕みすぎた、と」
「なるほどねえ」
「なにか……」少女は言いよどむ。口を開いた。「……ありませんでしょうか」
「ま、とりあえず詳しい話を聞いてからだね。それから店の中のもの見繕ってあげるよ」
ありがとうございます、と少女は明るい顔をした。