3 侍女が黄金宮殿について語る
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「崩れた地下通路の掘削作業は上手く進んでいます」
デイビアの家の裏、以下への入り口近くにある小部屋でエステラは簡単な地図を指さしながら解説している。デイビアとエステラで作った小部屋は、今では様々な調度品が持ち込まれていた。中央にはテーブルと椅子が、何も入っていないが棚も備えてある。地図はエステラの手書きのものだ。端正な字で簡単に場所が記載されている。
「あの小物らも、こうして使うと役に立ちます」
「けど、大丈夫かな?」
エステラが地図から眼を離してエステラを見る。
「ほら、逃げてしまわないかなって。あいつらはエステラが怖いから従うんでしょ? だから、地下通路は広いから、エステラの姿がなくなった途端、逃げてしまわないかなって」
「もちろんその可能性はあります」
(それでも別に、困らないのかな)
「しかし、あの広間にあった彼らの巣をご覧になったでしょう? 彼らにしても、あの巣を移動させるのは困難です。しかも彼らの中で絶大な影響力を持っていた頭領はあっさりとわたしたちに殺されてしまって、采配するものがございません。あたらしくリーダーを決めるにしても、すぐにとはいかないのがああいった卑しい生物の習性でございます」
「なら、巣が人質みたいなもんなんだね」
「まあ、そのようなものですね。ただ彼らにしてもメリットがございます。わたしたちは彼らに隔絶した力を見せつけました。そのような者に支配されるのは、彼らからするとその者に守護されるのと近いものがございますから」
ああ、とデイビアは納得する。
「支配と守護は似たようなもの、なんだ」
「……支配するものによって、それはしばしば変わります。前の魔王様はどちらかというと、徹底した支配を敷いておりました。そこには支配の代わりに受け取るものなどございませんでした」
ふうん、と声を漏らす。
「けど、それよりはぼくたちみたいなやり方の方がよさそうだね」
「場合によりけりでしょうが……。それに、両者には本質的な違いはありません。わたしは先ほど、ゴブリンには支配の代わりに守護を与えているようなものだ、と申しました。しかしこれは、彼らがそう感じているにすぎません。実際に彼らが攻撃されれば、わたしたちは作業が中断されてこまります。ですから、彼らを助けましょう。しかし、それはわたしたちの目的が邪魔されないようにするためにほかならず、決して彼ら一人一人の生命も守っているわけではないのです。現に、別に作業の途中に何匹しんだところで気にも留めません。
結局守護されている、というのは結果論です。結果として支配される側が、支配にメリットを感じたというだけです。それは支配する側が意図する必要のない事柄です。
――わたしたちはゴブリンたちを力で制圧し、支配しました。そこに彼らに何の不都合があろうとなかろうと、結局彼らは従うしかないのです。逃げ出せば追いかけてしまえばよい。それが面倒なら逃がしても構わない。それは全てわたしたちの匙加減です」
しばらくエステラは地図を差しながら地下の説明をしていた。デイビアは頷きながらその話を聞く。
二人の差し当っての目標は、先の魔王が崩御した後に、崩壊する帝国から離散した魔族たちを出来る限り集めて、帝国を復興の力を蓄えることだった。
とはいえそれはエステラの意見で、特に意見のないデイビアが頷くことによって、なし崩し的に目標として掲げられているに過ぎない。
そのためのゴブリンによる地下迷宮の通路の整備である。
エステラの説明がひと段落した。彼女は立ったまま何も話さない。彼女はいつもこうだった。用が無い時は冷ややかな視線を部屋の片隅に投げかけながら、静かに立ち尽くす。
デイビアはエステラを横目に見ながら、椅子の背に靠れた。
(ぼくはここで何をしたいんだろう……)
何かがあると思った。退屈とは言わないが、漠然とした先が見える日常、そこから抜け出したいと思っただけだった。自分の歩む道は、父親のそれと同じではないかという気持ちが、漠然とある。
「土くれを集めてスライムを作りましょう。それらを這わせて、雑務に充てるのです」
エステラの唐突な言葉が、デイビアを思考から覚ました。
「わかった。お願いします」
言って、デイビアは軽く拝むようにする。隣に立つエステラは、その様子を見下ろしながら、
「主様もついて来てもらわなければ困りますよ」
「ぼくが必要?」
「ええ、もちろん。わたしはあくまでも、主様の命によって本から魔力を引き出すのです。ですから、主様が近くにいなければ、わたしには本を扱うことができません」
初めて知った。エステラは一人では魔王の秘儀を使用できないのか。
エステラが手書きした地図には、地下迷宮の大まかな全容が描かれている。地下深く、迷宮は網目のように続いている。それは地中を潜る木の根にも似ていた。中心部は主軸となる大きめの通路がいくつもに枝分かれしながら螺旋形を描きながら下へ降りていく。主軸となる通路と、それを取り巻くように複雑に入組んだ横道。通路には節目で部屋、広間が設けられている。それは単に交差点の為の部屋だったり、帝国の拠点だったりする。
そのような中心部から外れると、迷宮は一気に通路の密度を減らす。横に一本の通路が伸びると、そこから少なく枝分かれして、細道が地下へ横へと続く。そのような形状の通路が幾本も横方向へ伸びていた。
(木の根というより、蟻の巣かもしれないな)
地下迷宮の中心部の下の方には、大部屋がいくつもある。非常に沢山の部屋があって、互いに密接して連結していたり、短い通路で連結されていたりする。
デイビアはそのあたりを指さした。
「ねえ、ここらへん、すごく部屋が多いよね。何があったの?」
「そこは魔王軍の中枢です。魔族が種族ごとに本拠地を設け、そこに住んでいました。このひと際目立つ広間は、先の魔王の宮殿です。ここでは一つのボックスとして簡単に描いていますが、実際にはこの中には階層があり、いくつもの部屋がありました」
「魔王の、宮殿」
「わたしは先の魔王が肉体を失う直前に、本の中に命ごと吹き込まれた悪魔、人造の魔族ですから、この宮殿のことは知識以上にはしりません。しかし絢爛豪華、魔族の華奢が発揮された黄金宮殿だったと知っています」
「黄金で飾ってたの?」
「いいえ」と、エステラは言う。「実際には高等な石材で建物を造作し、高価な調度品を設えておりました。ですから、人間の宮殿と同じです。もっとも、規模も豪華さも魔族の方が上ですが。
しかし、魔族はその本質で力と支配を好みます。この宮殿はそれを大いに示しました。天井は地下にありながら高く、それは白塗りの列柱が支えていました。その広間を抜けて、召見の間に入りますと、中央に高台があり、その上に実際の黄金の玉座があります。台から下までは段が設けられていました。人間は、この宮殿の威容と豪華さを指して、ここを黄金宮殿と呼んだのです」
デイビアはその光景を想像したが、玉座に座る魔王の姿だけはまったく思いつかなかった。恐ろしい魔族を統べる王は、どのような風貌だろうか……。
ゴブリンたちから、西の地面の切れめから天使が地下迷宮に降りた、と聞いたのはそれから一週間後の事だった。