2 ゴブリンども
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広間は四方にそれぞれ通路が開けていた。ゴブリンが案内したのは、二人が入ってきた通路からみて左手の通路だった。
暗い道を、デイビアはゴブリンが持つ照明だけを頼りにして歩いた。先頭をゴブリンが行き、その後ろを二人が行く。ゴブリンは何度も、ちらちらとこちらを窺う素振りをする。
やがて通路の先にはっきりとした明かりが見えてきた。段々と部屋の様子が見えてくる。先では幾本もかがり火がきちんと焚かれているようで、明るい。詳しくは伺えないが、雑多な様子がした。大扉が通路の方へ開け放たれているのが見えた。扉はぴったりと壁にくっつけられて、汚れ切っている。
入口近くまで来ると、足を止めた。
部屋は広間、大小さまざまな下手な家屋が建てられている。中では緑色の肌をしたゴブリンが蠢いていた。
案内人はこちらをちらりとみて、二人が中の様子を窺っているのを確かめると、さっと奥へ走り去った。この裏切りにデイビアは声を上げそうになるが、エステラは平然としていて、すこしも気に止めていないようだった。ゴブリンは走り去るが早いか、大声を出した。それで一斉に、中にいたゴブリンたちがこちらを見た。
二人は大勢のゴブリンの視線を浴びながら、部屋へ足を踏み入れる。
中は汚く雑然としている。家は粗末な木材で立てられていて、屋根は藁のような、燻った色の植物を材料として使っていた。家は小屋という方がいいかもしれない。一つ一つは小さく、形も歪だった。建物の基礎の上下は適当で、小さな小屋が段々と連なっていたり、それらの間にいきなり一段と低く小屋が立てられていたりしている。よく見れば、小屋の基礎部には土が見える。奥の広間の壁が大きく崩れた箇所があって、さらに奥の土が黒々と見えている。どうやら土砂がなだれ込んで、それを適当に堀り整えて、小屋を立てているらしい。
小さく卑しい魔物たちは、こちらを見ている。中には敵意をむき出しに、体格に見合わず大きな口の歯をむき出しにしているもの、下卑た笑いを浮かべているのがある。
(臭い……。それに、凄い数)
デイビアはエステラの力を見ている。魔法の力だ。負けることはない、と思う。エステラの冷たい眼つきには、そう思わせる力強さがあった。それでもこの巣穴にいざ足を踏み入れれば、恐ろしい気持ちも湧いてくる。
エステラは手を伸ばして、デイビアの肩を抱く。どきりとした。――もしかして、気持ちが身体に出ていただろうか。エステラの表情はいつも冷然としていて、何も伺えない。それなのに、今こうして肩を抱いてくれるのが不思議だった。エステラは前を向いたまま、デイビアには眼を向けていない。
「お前たちの首領に会いたい。そうして無礼にこちらを眺めるのも、ひとえに魔王様の御前とは知らぬことだからだろう。今ならまだ間にあうから、さっさと言う通りにせよ」
エステラは堂々と言い放った。
一匹のゴブリンが叫び声を上げた。手にとび口のようなものを持っている。振り上げたそれをぐるぐると回した。小屋の連なる斜面を降ると、デイビアとエステラを見てにやりとした。とび口の先を二人に向けた後、突進してきた。雄たけびを上げている。
エステラはそれに手を翳す。ゴブリンが最後の決と、地面を蹴って飛び上がった瞬間、鋭い悲鳴を上げて不自然な力で以て後ろへ飛ばされた。ゴブリンは赤い血しぶきを上げながら、地面で蹲る。微妙に細動を繰り返すのが悲惨だった。
それを見ていた他のゴブリンたちは、驚いたような、怒ったような声を上げた。彼ら叫び声は人間のそれとは違って、うるさく甲高く、意味がよくわからなかった。しかし、少なくとも全く友好的でなく敵意に満ちていることはわかる。
「さあ!」とエステラは声を上げる。ふ、と息を吐いて、身下げたように「まだやりますか? 一匹にで百匹でも変わらぬことですけど――」
獣が叫ぶような声がした。見ると、一段と図体の大きい魔物が、群れの間から姿を現した。
「あれが首領でしょうか?」
エステラは一人ごちる。
「ねえ、エステラ。あれにも勝てる……?」
そう言うと、その魔物がこちらの眼を見た気がして、ついデイビアはエステラの背後に引っ込んだ。
「ええ、もちろんでございます」
「お前!」言って、首領のゴブリンはいやらしく笑う。「なに、なんだ? おれに用か?」
「ええ――」
エステラの言葉を、ゴブリンは遮る。
「おれはなあ、餌から、聞かない! 泣き声だけ許す! なっ?」
言って、ゴブリンは周囲を見る。周囲のそれが、賛同するように高笑いする。なっ、と周囲を見回しながら再び言った。
「げへ、用はなに?」
「ここにおわすのは新しい魔王さまです。あなたたちには、魔王様の配下に収まってもらいます」
「おっ! 魔王う?」
ゴブリンは本当におかしそうに、でっぷりと前にでた腹を掻きながら笑う。体格は大きいと言っても、 もともとが背の低いゴブリンのことだ。腹は背丈のわりに非常に前に出ている。
「魔王は死んだ! 死んだんだってよお! おれたちは自由だ! な? な?」
言いながらにやにやとする。
エステラはため息をついて、腕に抱えていた本を丁寧にさする。
「やれやれ」
「ぐへっ、いい女だな! 後ろの小僧、肉! すぐにもてこいよお。食ってやらっ」
エステラはゴブリンを見る。手を翳すと、首領のゴブリンは火だるまになった。絶叫が響く。ゴブリンは腕を広げくるくる周りながら、叫ぶ。足元で血だらけになって倒れていた仲間にけつまずいて倒れた。口を広げて黒々とした口内を見せて、炎に巻かれながら仰向けになった。
周囲はざわめいた。こん棒を振るものがあり、叫び声をあげる者がある。デイビアはいつのまにか周囲を観察していた。そっと家の背後に隠れるものも覆い。
エステラは手の平を上へ掲げる。天井にぼうっと、炎の螺旋が大きな円を作った。薄暗かった広間が一気に明るくなった。炎の渦は、全体でさらに円を描きながら、ごうごうと大きな音を立てている。ゴブリンたちは天井を見上げ驚愕していた。デイビアもまた、眼を見開きながら天井を見た。――魔法とは、これほどすごいのだろうか。エステラただ一人が冷静で、視線を下に降ろしていた。
しばらくして炎の渦は段々と細まっていった。それが成す炎の円もとぎれとぎれになって、やがて消えた。さっきまで明るかったから、前の薄暗い広間に戻るとずっと暗く見えた。
「もう一度だけ、聞かせてやりましょうか」
エステラはデイビアを見てから、ゴブリンたちの方へ眼を向けた。普段と同じ声の調子で問いかける。
「さて、お前たちはここにおわす新しい魔王様へひれ伏すか?」
緑色の小柄な魔物たちは怯えきっていて、身体を地面に伏せた。