◇カメレオンの強靭な精神力と魔物の正体
第二の手記を読み解いて行くことにするが、本当に魔物と出くわしたのか第三者の目からすれば、疑問符が着くのは避けられないだろう。しかし、これを実体験だとして少し考察してみたい。すると、カメレオンの強靭な精神力がうかがえる。
手記の言葉を拝借すれば、脳裏に焼きついた姿が目前の闇に浮かんだとたん、背筋に悪寒が走る程ブルっちまったのだから、それ相応の恐怖心を煽られたということだろう。にも拘らず、怖気づかない。常人であれば、身は竦み絶望感に苛まれるはず。やはり数多の修羅場を潜り抜けてきた賜物なのか、死をも厭わない性格が見えてくる。カメレオンの冷静沈着さは尋常ではない。「物事をこなす時は、いつも冷静沈着っていった感じ。無表情で冷徹さを保ってたかなあ、怖いほど」高校の同級生の証言が思い起こされる。
だが、袋のネズミとなって、生まれて初めて死の予感──死への恐怖ではない──を味わう。と、末尾で、『死出の道行に臨み、穏やかな心境』で自殺願望じみた弱音を吐露している。強靭な精神力を備えたカメレオンの心境変化がうかがえる。魔物が、それ程の強敵と悟ったわけだ。
この魔物とは、一体ナニモノだろうか?
カメレオンは執拗に赤い光に追いかけられる。逃げおおせたかと思えば、靄から姿を現し、巨体が行く手に立ちはだかる。常に先回りされるのだ。
そんな巨大生物が、この森に生息するとも思えない。熊と見ることもできよう。それが妥当な線だ。しかし、現在の九州には棲息していない。既に絶滅が確認されている。
他に考えられる巨大生物といえば、猪か黒牛。可能性としては、この説が一番しっくりくる。だが、この得体の知れぬ生き物は、時速100キロメートルを超える速度で移動するという。足の速い猪でも時速50キロメートル弱、牛はせいぜい時速24キロメートルが限度だから、どう考えても単独では無理だ。複数の個体が、少なくとも二頭が西口と東口で待ち伏せていると仮定すれば、辻褄は合う気もする。が、手記には『長く鋭い鉤爪がガリガリと音を立てる』とある。猪も牛も鯨偶蹄目で鉤爪ではないことからすると、この説は却下せざるを得ない。
そしたら、あとはどう解釈すればいいのか。この現象は、カメレオン自らが作り上げた妄想の類なのか。罪の意識に苛まれた結果、垣間見えてしまった幻覚に過ぎないのか。果たして実体のあるものなのだろうか、という疑問が湧く。だが、確かにバイクのシートには爪で引っ掻いた幾筋もの痕跡が深く刻まれていた。これは紛れもない事実だ。死闘を繰り広げた証……鉤爪を持った何らかの種に遭遇していたのは間違いないのかもしれない。そう考えれば、やはり熊説が有力な気がする。九州で確認されていないだけで、絶滅には至らず僅かな個体が生き延びて現在に至った。または、関門海峡を泳いだか、関門橋や関門トンネル伝いに山口県下関から門司へ渡ったとの推測が、この時点では妥当かと思う。