プロローグ
「へへぇ、、、今日も可愛いなぁメアリーちゃんは」
木陰から彼女を見守るのが俺の日課だ。
日課といっても、この習慣は一年ほど前から始めたわけだが。
一年ほど前に少女がこの村に越してきた。
名前はメアリー。
彼女は元気で素直、それにとても働き者だ。
そしてなんといっても、笑顔がかわいい。
そんな彼女に俺は惚れた。お嫁さんにしたい。
そんなことを考えて、今日も彼女を見守る。
「どういうことだ!?」
「ふざけるな!」
何やら村の奴らが騒いでる。
一体どうしたのだろうか、こんな朝っぱらから。
騒ぎを聞いた彼女は心配そうな表情で駆け出す。
俺も彼女に続いて駆け出す。
彼女の甘い花のような香りが鼻を抜ける。
普段から運動もしない俺が追いつけるはずもなく、あっという間に彼女は見えなくなった。
「はぁ、、、はぁ、、、し、死ぬ、、、」
肺が焼けるように熱い。
こんな全力疾走は何年振りだろうか。
全くもって情けない。
「いったいいつになったら働くんだい!?」そんなことを言っていた母も数年前に病で死んだ。
久しぶりの運動を終え、言い表せないほどの虚無感が襲ってきた。
─そもそも、なぜ自分は走っていたのだろうか。
酸素を失い、回らなくなった頭で考えたが、次第にそんなことはどうでもよくなった。
「帰るか、、、」
早く帰って本でも読もう。
現実から逃げるために。
「きゃあああああああああ」
彼女の悲鳴だ!
惚れた少女の声を間違うはずはない。
悲鳴が聞こえた刹那、俺の足は悲鳴のもとへ向けて動き始めていた。
彼女の身に何かあったのではないか。
全身の痛みを忘れて走った。
ぼやける視界の中、彼女が見えた。
手錠をかけられ、鎧を着た大男に連れてかれていく彼女が。
「ぁ、て、、、ま、、、てよ、、、」
掠れて潰れた俺の声は遠くの大男に届くはずもなく、木々の揺れる音に遮られ、消えていった。
まだ猶予はある。
下に落ちていた小石と砂を握りしめ、息を整
えてもう一度走り出した。
「─まて!」
大男がこちらに振り向くと同時に、手に握っていた物を大男の顔目掛けて投げつける。
「っ!?」
砂が目に入り、彼女を掴む大男の手が少し緩んだ。
村人を鎮圧していた騎士たちが動き出す前に、彼女の手を引いて再び走り出す。
「まて!そいつは─」
大男が叫んでいるが、そんな声ももう聞こえない。
ついさっきまで感じていた疲れがない。
まるで物語の主人公になった気分だ。
村と隣接している森に逃げ込めばすぐには追ってこれないだろう。
この森は進んでも景色が一向に変わらないため、初めて入る人なら、まず間違いなく迷子になる。
しばらく無言で走った。
追っ手がないことを確認して立ち止まり、彼女の方を見る。
どうしよう。
いきなり手を引いて走って来てしまった。
すると─
彼女が息を切らしながら話かけてきた。
「どなたか存じませんが、ありがとうございました。もしかして、旅をされている冒険者の方ですか?」
ん?
ああ、そうか。
一方的に見ていただけの俺が、彼女に認知されているはずがない。
「ああ。」
嘘をついた。
冒険者などではない。
そもそも働いていない。
「やはりそうでしたか!─お名前をお聞きしてもいいですか?」
息が整い始めた彼女が俺の手を握り、無垢な笑顔で問いかけてくる。
可愛い。
「俺の名前は─」
あれ?
自分の名前が思い出せない。
それに彼女の手錠はどこにいったのだろう。手錠なんてしていただろうか。
思考を巡らせるがなにも思い出せない。
「ばいばい」
─ふと耳元で誰かに囁かれた。
とても可愛らしい少女の声だった。
一体誰の声だったのだろう。
それに
─なぜ自分は一人で知らない森の中にいるのだろう。