314.正義が勝たないデスゲームを参加する前の俺に、味方を作る発想はなかったが、戻らない日々と同じにしないために?
味方を作るという行為を俺はしたことがない。
味方を作るという発想が、これまでの俺にはなかった。
俺の足を引っ張らない味方というものが、存在するとは考えもしなかった。
正義が勝たないデスゲームをする前の俺が生きていた世界で俺がしていたことに、絶対的な味方は必要だったか?
振り返ってみると。
俺は、味方を必要とするようなことに手を出してこなかった。
興味があったか、なかったか、というよりも。
興味があったところで、自分だけで完結できないものに手を出した場合の結末を予測できる俺は、最初から手をつけなかった。
成し得ないと分かりきっていることに着手しないのは、成功体験を積み重ねることになる。
失敗を経験することも大事だろうが、成功と同じように失敗を糧にできる土壌がなければ、失敗から何が得られるか?
俺は、同年代よりもずる賢くはなかったが、年相応に無邪気でもなかった。
俺が見ているものと同じものを見て、俺と同じ発想にならない人の数の方が圧倒的に多いと知ってからは、説明することも、理解を求めることも無駄だと割り切ってきた。
実際に、時間と忍耐を無駄にしただけだったから、何も後悔はない。
だが。
正義が勝たないデスゲームに参加する前と同じことを繰り返す日々には、戻らないなら。
俺は、これまでのやり方を変えていく必要がある。
俺がしたいことを成し遂げるには、俺一人で完結しない道を進むことになる。
さて。
味方作りなどしたことがない俺は、何から手をつけるか。
正義が勝たないデスゲームを出た後のことを想像するよりも、今味方を作るためにすることを探す方が有意義だろう。
正義が勝たないデスゲーム内での生活を軸に考えてみるか。
正義が勝たないデスゲームに参加すると、生活がAIに管理される。
正義が勝たないデスゲームの各ゲームをクリア後、個室に帰り、食事、入浴、着替え、睡眠をとるという生活をしてみて、俺は気づいた。
人力に頼らない生活を維持するには、生活する側に一定の能力を必要としている、ということに。
自動販売機でジュースを買えることを知らず、ジュースを買う能力がない人は、自動販売機を見つけても、自力で自動販売機のジュースを飲めない。
自動販売機にジュースやお釣りを補充する仕事の人が、ジュースやお釣り補充していなければ、自動販売機は品切れ、お釣り切れとなり、ジュースを買えない人が出てくる。
自動販売機を利用する人が利用する前に、自動販売機を利用できる状態にされていなければ?
自動販売機に自動でジュースが補充されないなら、自動販売機が品切れになると、ジュースは買えなくなる。
自動販売機で買えなくても、店に行けば、ジュースは買える。
店の棚にジュースを補充する人がいて、レジ打ちする人がいるかセルフレジがあれば、スーパーやコンビニでもジュースは買える。
自動販売機でジュースを販売するのに、レジ打ちの人を雇ったり、セルフレジを導入する必要はないが、自動販売機に補充をする人がいる。
自動販売機と同様に。
正義が勝たないデスゲームには、参加者から姿を隠して仕事をする人がいる。
タケハヤプロジェクト参加者は、姿を隠して正義が勝たないデスゲームの運用を支えている。
モエカは、正義が勝たないデスゲームが全自動運営だと話していた。
正義が勝たないデスゲームの参加者であるモエカには。
正義が勝たないデスゲームの参加者ではない、タケハヤプロジェクトの参加者の仕事が見えていなかったのではないか。
タケハヤプロジェクトの参加者が見せていなかったから、思い至れなかったのかもしれないが。
完全自動化をうたっても、人の手を完全に取り除くと成り立たないのが、人の暮らし、か。
スーパーやコンビニではなく、自動販売機でしか買う選択肢がない状態に、人が慣れた場合。
買い物をするときに、人を介さない状態を維持するためには、買う人に自動販売機を使える能力が必要だ。
自動販売機の使い方を覚えられなければ、自動販売機で買い物ができない。
正義が勝たないデスゲームでの生活は、自動販売機を利用するよりも複雑だが、生活構造の基本は変わらない。
「佐竹ハヤトの始まりは、人の手をかけない人の暮らしを作ることか?」
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