121.デスゲームにおける一輪車と竹馬の使い方。一輪車と竹馬のデスゲームと今までのデスゲームの差異。デスゲーム参加者の共通点をあげるなら?
一輪車の使い道は、乗るのではなく、投げ込むのか。
山の中に不法投棄される一輪車を谷底から見上げている気分だ。
俺は、竹馬をおりて、投げ込まれた一輪車を竹馬で打ち返した。
すると。
ドタドタといくつもの足音が、響いてきた。
床下だから、図上あたりの音はよく響くのだろう。
アパートの上階の部屋の足音を下の部屋の住人が聞いている仕組みと似たようなものか。
床下に続く階段の周りを、参加者が一周するように取り囲む。
取り囲んでいる参加者は、手に手に得物を持っていた。
一輪車だったり、竹馬だったり。
一輪車を持っている人は、サドル部分を持っている。
タイヤは、床についていて、誰も持ち上げていない。
竹馬を持っている人は、二本のうちの一本を持っている。
竹馬の足置台がついている方を、床下にいる俺へ向けて、竹馬を持っている。
蟻地獄から逃げ出そうとしているアリが逃げられないように、上から叩く寸法か。
俺が階段を上って、床下から出てこようとしたら、一輪車を投げたり、竹馬で叩いたりするのだろう。
策を練らないと、一方的にやられるだけだ。
それにしても、竹馬と一輪車で、俺を階段から上らせないだけか?
一輪車が当たったり、竹馬の足置台で殴られたら、怪我は免れない。
だが。
当たりどころが悪くない場合は、致命傷にならないのではないか?
今までのデスゲームに比べたら、命の取り合い度は低い。
死に方を見せ場にしているデスゲームですることか?
デスゲームの外でしたら、通報されるレベルの嫌がらせではあるが。
このデスゲームには、何の意味があるのか?
俺は、床上の顔ぶれを見上げて、共通点を見つけた。
デスゲームに疲れた人達が、そこにいた。
生き延びるために、頑張り続けて、頑張るのに疲れた人達。
このデスゲームの趣旨が、理解できた気がする。
俺が、このデスゲームに放り込まれたのは、頑張れなくなった人達にやる気を出させるため。
簡単に。
お手軽に。
上から下に一輪車を投げ込むだけ。
人を殺す実感を持たせない。
竹馬を持って並ぶ。
全員で取り掛かることで、自分だけではない、自分が殺したとは限らないという逃げを参加者自身の中に用意させる。
このデスゲームに参加している参加者には、無気力になられると困る理由が、デスゲーム運営には、ある。
このデスゲームに参加している参加者が、無気力になった理由は、デスゲームに参加していることにある、と考えていいのか?
モエカと同じ理由なら、佐竹ハヤトのせいで、救いのない毎日を送る羽目になった絶望が原因になるが。
俺は、積極性に害する様子もなく、得物を持って、大人しく佇んでいる人達を見上げる。
共通点というと、全員、俺やモエカの同世代。
俺は、モエカの台詞を思い返す。
『タケハヤプロジェクトは、学生を対象にしたコンテストが元になっている。』
学生のイメージで、大学生を対象にしていた、と思っていたが。
コンテストの開催時期を、モエカは話していなかった。
俺達が、高校生だったときにコンテストがあり、佐竹ハヤトが大学生になって、タケハヤプロジェクトが始まったのではないか?
容姿を判断材料にして、周りを見てみる。
モエカや俺より年下はいない。
十歳以上年上もいない。
参加対象を、高校生から大学生までに絞ったコンテストの可能性が高い。
高校生や大学生を対象にしたコンテストで、意見や提言を募集し、コンペをやって、佐竹ハヤトの名を冠したタケハヤプロジェクトが始まったとする。
コンテストに応募して、コンペにまで進み、優勝した佐竹ハヤトのプロジェクトに、何人かの意見や提言は取り入れられた、ということか。
何の意見や提言を募集するコンテストなら、高校生や大学生の提言を取り入れられるだろうか?
高校生と大学生に対象を絞ったなら、大人とは異なる視点、大人にない発想を求められたはず。
解決できなくてずるずると先送りしてきた課題か。
対策をしてみたものの、不発に終わって、問題の深刻さが変わらない、または、悪化した現状を回復させるために、とか、か?
真剣な意見や提言を求めるなら、現在の課題の解決方法、または、未然に防ぐ方法を募集するか。
賑やかしを欲しがるコンテストだったら、積極的に盛り上げる勢力が話題にする。
真剣な意見を求める方のコンテストだったのではないだろうか。
真剣に考えて、コンテストに応募した高校生や大学生の未来が。
脱出できないデスゲームに強制参加。
デスゲーム人生に疲れて無気力になると、運営から、サービス問題のようなデスゲームに参加させられるのか。
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