100.人を殺す覚悟を決めたはずなのに。足が動かない。鎌を持ちたくない。逃げ出したくてたまらない。逃げ出す先は、人を殺した先にしかないのに。
北白川サナに視線を向けると、北白川サナは、俺の成長ぶりを見守っていたようだ。
「初めてなので、失敗しても、諦めない心を持って、大目に見るです。」
と北白川サナ。
諦めないで、と俺を励ますのではなく。
早々に見切りをつけることはしないようにする、という北白川サナ。
デスゲーム運営が送り込んだ北白川サナに、こいつはダメなやつ判定をされたら?
俺の寿命が縮む。
寿命がのびたのは、ありがたい。
久しぶりに、試験会場にいる気分だ。
指導教官、野村レオ。
試験官、北白川サナ。
試験科目は、殺人の実技。
失敗したら、成功するまで何度も頑張れよ、という意味だろう。
失敗するまで、何度でも、鎌で。
やりたくない。
やりたくないが。
やらないと。
一歩踏み出さないと、と思えば、思うほど。
俺の表情筋が強張っていく。
足が動かない。
足が重い。
前に進まないと、思うのに、足が持ち上がらない。
俺の鎌を持つ手は、手汗でびっしょりだ。
手汗で鎌を落とすことは、しない。
俺の指は、しっかりと柄を握り込んでいる。
練習のときに、動けたのは。
練習だと思っていたから。
まだ、殺さないと分かっていたから。
俺は、本当は、人を殺したくない。
人殺しになんて、なりたくない。
自分が生きていくために、人を殺さないといけない場所になんか、一生来たくなかった。
俺は、どこで間違えたのだろう?
コメントを入れていたデスゲームが、ゲームではなく、本物の死を売り物にしていると知ったとき。
俺は、胸糞悪い仕事を辞める決心をした。
結果的に、コメントを入れる仕事は、辞められた。
俺は、デスゲームの参加者になっている。
デスゲームが、本物の死を売り物にしていると知っても、そういうものだと飲み込んで、コメントを入れ続けていれば良かったのか。
俺の行動の正解は、何だったのか?
人の死を売り物にするような仕事をしたくないという気持ちがきっかけにだったのに。
俺は、自分が生きるためだけに、人を殺そうとしている。
殺人の傍観者でいること。
人殺しになること。
どちらが、より胸糞悪い?
傍観者でい続けたら、人殺しをしないで済んだ?
いや、人が殺されるところを見続けておきながら、何もしないなら。
それは、人殺しの共犯にならないか?
気づかなければ。
本物の死だと気づかなければ、俺は、今もコメントを入れ続けていただろう。
気づいてしまったから、戻れなくなった。
そうだ、俺は、もう戻れない。
何も知らなかった頃の俺では、デスゲームの中を生きていけない。
人殺しになる覚悟を決めた、と思っていた。
思っていた、だけ、だった。
俺の決心は、簡単にグラついて、瓦解しそうになっている。
練習を重ねた俺だが、人を殺したくない気持ちに変わりはない。
覚悟だなんだ、と本心を誤魔化してみても。
人を殺したくなんか、ない。
まして、練習に付き合わせて、話すようになった野村レオを憎む感情など、俺には欠片もない。
殺したくなんか、ないんだ。
殺すしか、選択肢が用意されていないと分かっていても。
俺の葛藤を見ていた野村レオは言った。
「人の殺し方を指導して、人を殺せという日が来るとは、刑事になる前は思わなかった。
ここが、外なら。
ツバメの葛藤を褒めて、凶器を手放すことを進めていた。
人を殺すなら、息をするな、と怒鳴りつけていた。」
と野村レオ。
「刑事が、人殺しを推奨することはないだろう。」
「そうだ。
だが。
俺もツバメも、外にはいない。
師匠からの実になるアドバイスだ。
やりたくないからと、浅い傷を何度も何度も負わせるくらいなら、一思いに殺しにこい。
ツバメが頑張って、致命傷を負わせる方が、痛みも苦しみも長引かなくていい。
ツバメは、仕損じることを心配しなくてもいい。サナが介錯する。」
と野村レオ。
「介錯人がいたか。
俺には、誰かを傷付けて喜ぶ嗜虐趣味はない。
できる限り、苦しみが長引かないように、する。」
俺は、今、何もしていない。
ただ立って、喋っているだけなのに、勝手に呼吸が浅くなっていく。
「ツバメ。鉄砲玉とヒットマンの違いが分かるか?
鉄砲玉は、勢いだ。
命も背負っている何もかも、全てを失う勢いで突き進む。
ヒットマンは、狙撃手だ。
人を殺すために、冷静に照準を絞る。
目的を達したら、速やかに現場を離脱。
ヒットマンは、狙撃手としての腕もあるが、標的の命をとる前後の冷静さも必要だ。」
と野村レオ。
野村レオからヒットマンについて語られているのは、なぜだ?
「鉄砲玉は、その名の通り。
ヒットマンは、成功すれば組織が生かす。
正確に標的を殺せる腕がある狙撃手をむざむざ死なせはしない。
人を殺すことでしか、道がひらけないなら、俺が師匠として道をひらいてやる。
俺の命を使って生き延びるのだから、鉄砲玉にはなってくれるな。
殺すのが惜しい存在に成長してから、供養してくれ。」
と野村レオ。
俺は、今から俺に殺される野村レオに、励まされた。
人を殺して生き延びる俺が、殺される命を背負わなくてどうする?
俺は、浅い呼吸を意識して深い呼吸に切り替えていく。
「野村レオ、待たせた。今から、殺しにいく。思い残すことはないか?」
「思い残すこと、か。
俺が探していた重要参考人の逃走に手を貸したと目されている坂本フウタは、この部屋に入ってきたときに、俺の手で始末をつけた。
だいぶくたびれていたが、坂本フウタ本人だった。」
と野村レオ。
野村レオに、この部屋で射殺されたふーくんが、野村レオの担当していた事件で、重要参考人と共に姿を消した人物だというなら。
「心残りは、重要参考人の木田タツキにあと一歩及ばなかったことだ。」
と野村レオ。
俺は、タツキとふーくんの関係を思い返してみる。
「ふーくんの仲良しのタツキというふーくんと同年代の男で間違いなければ。
何時間か前に、タツキという男は、この建物内で死んでいる。
フルネームが、木田タツキかは不明だが。」
「そうか。今日は、それで、良しとする。」
と野村レオは、満足そうに歯を見せて笑った。
野村レオには、今日しかない。
明日はこない。
俺も野村レオも分かっている。
野村レオは、今日、追い続けてきた事件の捜査を終わらせることにしたのか。
担当した事件の重要参考人の死亡報告と。
重要参考人の逃走を助けたとされている人をその手で葬ったことで。
野村レオは、刑事としての自分にけりをつけた。
次は、俺の番だ。
俺は、まだ汚れていない鎌の刃を見た。
シミ一つない、キラッと光る刃。
迷いも、逃げ出したい気持ちもなくなってはいない。
だが。
逃げ腰で、人を殺したら、殺される人に失礼だ。
俺は、鎌を構えた。
「いい面構えになった。来い。」
野村レオは、にやりと笑って、彼女さんの名前と、菩提寺を告げてきた。
これが、野村レオとの最後の会話になる。
俺は、膝に力を入れて、ダッシュした。
野村レオは、にやりと笑ったまま、頸動脈が俺に見えるように、体の角度を変えた。
「頸動脈はここだ。ここを狙え。」
野村レオは、頸動脈を自分の持っている鎌の刃先で、ツンとつついた。
俺は、野村レオの頸動脈だけを見ることにした。
「俺は、デスゲームで死なない。必ず生き延びて、野村レオと彼女さんの供養をする。」
俺は、野村レオの頸動脈を切断するように、鎌の刃を当てて、動かした。
野村レオは、されるがままだ。
「ぐはっ。」
と野村レオの顔が歪むのが見えた。
切断した頸動脈から、鮮血が溢れる。
人が温かいのは、人の血が温かいからか?
俺は、野村レオの血を浴びた。
俺の視界は、目から湧いて出る水滴でぼやけているのに、血の赤さだけが薄くならない。
北白川サナが、俺の横に来て、勢いよく、野村レオの首に鎌の刃を引っ掛けた。
「上出来です。」
と北白川サナ。
「そうか。ありがとう。」
俺は、血に染まった鎌を下ろす。
泣いたらいいのか、笑ったらいいのか。
「ありがとう、野村レオ、北白川サナ。二人の助けを俺は無駄にしない。」
分からないから、礼を言った。
野村レオの体がかしぐ。
血を流しながら床に倒れる野村レオ。
北白川サナは、任された通りに、野村レオの介錯をした。
俺は、野村レオに致命傷を負わせて、北白川サナがトドメをさすことを良しとした。
俺は、もう、デスゲームに参加したばかりの俺ではない。
今、俺は、人に刃を向けて、傷つけた。
無抵抗な野村レオに。
ベートーベンの第九が流れてきた。
俺は、何かを失い、何かを得た。
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