無実
彼女は俺をストーカーじゃないかと疑っているのだ。
何故か。
それは見も知らぬ他人である俺が、初対面でいきなり彼女の趣味を言い当てたからだ。
まったく会話をしたことのない人間にいきなり自分の趣味の話をされたら、誰だって訝しむだろう。
不用意だったと思う。
だが俺は彼女を付け回したりして趣味嗜好を探ったりなどしてないし、こないだ初めて会ったのも事実だ。
決してやましい思惑をもって彼女と接したわけではない。
俺「ああ。あれはですね…」
説明とか会話とか、得意な方ではない。
口ごもってしまい、次の言葉に窮した。
世間の中にいろいろ存在する誤解ってやつは、こうやって生じてしまうのかもしれない。
何気ない質問でした、、と適当に言おうとして続けようとした時、彼女の俺を見ている姿に気付いた。
大事なことを聞いてきているような、凛としたものを感じたのだ。
茶化さない方がいい。
俺は素直に答えた。
俺「あれ、格ゲーの、波動コマンドの練習ですよね?」
姫路さん「え?」
訝し気に寄っていた彼女の眉がぴくりと動いた。
俺は左手の指三本を立てた。
俺「左手の指3本置いて、薬指から順番に離してたので。最後、人差し指だけは離さずにおいてたじゃないですか」
話しながら薬指を折って指を2本にし、さらに人差し指1本だけにした。
俺「横方向を入れっぱなしにするの、あれ波動コマンドで大事なんですよね。わざわざゆっくりやっている感じしたから、そうじゃないかなと思って」
姫路さん「…」
波動コマンド。それはTV格闘ゲームにおける基本動作の1つと言っていい行動だった。
一昔前なら左側のレバーと、右側にある6つのボタンで構成されたコントローラー。
それらを組み合わせた行動でゲーム内に存在する複数のキャラクターから1人を選んで操作するのだが、動かすうえで基本的な行動の核となる、いくつかのコマンド入力方法があった。
その1つが波動コマンドだ。
下、右下、右 と、レバー入力なら約90度のエリアをくるっと回すように動かす。
時計の盤面で例えるならレバーを6時から3時まで、円の4分の1をまわす動作になる。
レバーなら至極簡単な動作なのだが、これが最近段々と流行ってきたレバーレスコントローラーで行うと意外と難しかったりするのだ。
俺も昔、ひところゲームに打ち込んだことがあったのでその動作の意外な難しさを知っていた。
そしてその動作をこないだ姫路さんが図書館で行っていた。
最初はピアノか何かの反復練習じゃないかと思ったのだが、何度も見ていると、俺が昔打ち込んだコマンド入力の動作と似ている、と思ったのだ。
そして、見ているうちにこれは似ているのではなくそのものだ、と思った。
それが、思いもかけず学校の自販機前で再会したときに思わず口から出てしまった、ということだった。
姫路さんは横を向いてしばらく沈黙していた。
だが段々と顔を赤らめて、やがて小さな声で言った。「恥ずかしいわね。でも驚いたわ。そんな所に気付く人がいたなんて」
本当に恥ずかし気に彼女は言った。
その物言いに、俺も気づいた。
いま彼女は(そんな所に気付く人がいたなんて)といった。
てことはやっぱり…「やっぱり格ゲーマーですか?」
「そうよ」にこり、と彼女は言った。
その何気ない仕草だけで美しかった。美の女神なの?
彼女は言った「スト6やってるの。知ってる?」
俺「名前だけは。僕もウル4はやってました」
姫路さん「あら。ウル4やってて6はやってないのね」
6だの4だのと数字が出てくるが、簡単に言えば、世界的に有名なストリートファイターという格闘ゲームの出た順番だ。
おなじ4の中でも、4としてのゲーム性を保持したまま続編や改良版、追加版などが出たりして、それが名称変更したウルトラストリートファイター4、通称ウル4(フォー)だった。そして彼女はその格闘ゲームの最新のタイトルである6をやっているのだという。
俺「スト5もやってません。左手をケガしたってのもあるんですけど、才能ないの感じちゃったんで」
姫路さん「そう。でもレバーレス入力は見抜いたのね」
そうなのだ。
左手のケガをしてから、もともと下手だったレバーの入力に痛みを伴うようになり、レバーコントローラーで遊ぶことがほぼできなくなってしまった。
シューティングやベルトスクロールアクションのような、瞬発的な動きを必要としないゲームであればまだ遊ぶことはできるが、
対戦格闘のような1フレーム60分の1秒単位で構成されているものは不可能だ。
なんとかキャラクターの操作はできても、全身全霊で挑んできている相手や、隅々まで知り尽くしているような熟練者を相手に勝てるような俊敏な動きはとてもできない。
動かそうとすると著しく左手首に痛みが走り、きつい。
段々と、ウル4からも足が遠のいてしまった。
そんな中、レバーの動きをボタンに見立てて作られたというコントローラーが発売され、うちでもそれを1つ買ってみた。
兄貴も弟もずっとレバーに慣れてて、ちょっとしたらレバーレスは触らなくなっていったが、俺だけはその後もずっと使っていた。
左手首の痛みが気にならずに触れるのだ。
パッドだと指の動きがもどかしくて格ゲーやる気になれなかったが、レバーレスで少し触っているうちに、簡単な前後ジャンプしゃがみ、果ては前ダッシュ、後ろダッシュのレバー2回入れの動作もちょっとだけ慣れた。
だが、少し使えるようになったというだけで、中級者・上級者と戦えるレベルに達したわけではない。
初心者とだって怪しいもんだ。
だが、さんざん繰り返したリュウの波動拳のコマンドだけは身体に染みついていた。
その既視感が、姫路さんの卓上トレーニングを見抜いたのだ。
姫路さん「ウル4はどれくらいやってたの?」
俺「そんなにですよ。リュウでPP2000前後くらいです」
リュウというのは歴代シリーズで登場するキャラで、初代スト1からいる、無骨を絵に描いたような中年のおっさん… お兄さんの格闘家だ。体に白い胴着を着込み、頭に赤いハチマキをしめたその姿はこのシリーズの顔の一人だった。
PPというのはプレーヤーポイントの略で、他の色んなキャラを使っても共有される、そのプレイヤーの根本的な強さを表す数値みたいなものだ。
ざっくりだが1000以下は初心者、1001~2000くらいで中級者、3000くらいまでで上級者、それ以上で猛者レベルと考えていい。
俺はまあ中級者レベルだった、ということだ。たまに上級者に勝つこともあったが、平均するとはるかに負け越しているのでそのクラスには達してない。
そうしているうちにだんだん格ゲーから足が遠のき、今に至るというわけだ。
スト6が出る、というのもネットとか「呟き」で見た気がするが、買ったりやったりしているわけではなく、あくまで知識として知っているだけだった。
「ふうん。2000かあ」
PP2000、という言葉に違和感を感じているふうもなく彼女は呟いた。
ここから、彼女もウル4をそれなりにやってたということがうかがえた。
俺「ところで姫路さん、たぶん、俺をストーカーじゃないかと疑いましたよね?」
姫路さん「え!?!?」
突如話が切り替わり、うろたえる彼女。「ううう疑ってないよ?」
何言ってんの?とばかりの勢いで彼女は言ったが、その赤面具合から答えは明らかだ。
人は図星を指されるとそれを隠すことはなかなか出来ないものだが、しかし彼女の反応はあまりにもコミカルで反射的すぎた。
壊れた自動人形のようなハチャメチャな動きを始めている。が美人だとどんな動きでも様になるから不思議だ。
俺「……」
じっと彼女を見つめた。
赤面の度合いを強める姫路さん。まさか今日この人を、このアングルから、こんな赤い顔を見ることになるとは思いもしなかった。
姫路さん「うん、ごめんなさい。疑いました」
約十秒後、こっちを見たりあっちをみたりしながらの末、彼女は白状した。「ストーカーじゃないかと思ったのよ。ほとんど話したことない趣味のこと知ってたから。でも誤解だってわかった。ごめんなさい」
直球で白状し、その足で直球で謝った。なんとも素直な人のようだ。
俺は苦笑した。
俺の中で生じかけてたわだかりのようなものは、その謝罪を聞いたら氷解した。