邂逅
出会いは唐突だった。
あの女性の気を惹きたい。
あの女性が気になる世界を知りたい。
俺は沢山剛毅、高校生男子。
生まれた時、親が剛毅一直に育ってほしいとの思いでつけられた名前だ。
なんとも期待値の高い名前だが、今のところ親の期待通りに育っている自信はあまりない。
兄貴と弟がいて、俺は男3兄弟の真ん中に位置する。俺も含めて3人どれもどれも至って普通の男子学生だ。
兄貴も弟も、親が付けた名前に対しての共通の感想は「もっとシンプルな名前にして欲しかった」である。
テストや何やで名前を書くとき、時間がかかってしょうがない。
たとえば「一」みたいにシンプルな名前の奴と比べると、今までの人生で名前を書いた時間の総合計を比較するとすでに何十時間かロスしているんじゃないか?
まあこんなのは一般家庭によくあるガキたちの戯言だと自覚している。
クソガキ3匹を育ててくれている親には感謝してる。
俺はというと、これまた平凡を絵に描いたような男子学生。
趣味らしい趣味というのもあまりなく、全身全霊で打ち込んだようなものはない。
小学生の頃ハマってたものといえば、歴代のカリスマサッカー選手情報集め、そこから影響を受けてフットサルを何年かやったが、キーパーをやってた時に左手首を骨折してしまってからは次第にクラブからは足が遠のき、そのまま幽霊部員となって辞めてしまった。
折れたのが利き腕じゃない方だったのが不幸中の幸いだ。
他にも漫画やゲーム、三国志とかの歴史など、年頃の男子がハマっているものはあらかた好きでそれなりにハマったが、どれも寝食を忘れて入れ込むというほどのものではなかった。
その他運動も勉強もいたって人並み。
適度な受験生活を経て入った高校も、偏差値「中の上」あたりの至って平凡な日本男子である。
おそらくはまた適度な受験期間をへて適当な大学か専門学校なんかに行き、或いは行かずとも適当な就職先を得て、適当な社会人になる…
高校に入って早々、人生に対してそんなイメージをもっていた高校1年生春、長い休み明けの頃だった。
友人のアツシと中間試験の勉強をしようと放課後に図書室に行った時のことだ。
静かな図書室の一角に女性が座ってた。
物静かな女性。
それも、よく見ると目を見張るような美女だった。
ロングの髪の毛に整った顔立ちの細身の女性。
座った姿だが、姿勢の良さとそのたたずまいから、すらりとしたスタイルの良さも想像に難くない。
そんな女性が、数学の教科書を開いて自習に勤しんでいた。
同学年か、先輩かわからない。時どき左手の指何本かで、リズミカルにタタタン、タタタンと音なく机を叩いている。
『おお、、、 クイーンが自習中のようだ』アツシがひっそりと呟いた
『クイーン?』周囲に聞こえないよう、俺も抑えた声で聞き返す。
『知らんのか。ミス吾妻橋東の女王様さ』
『そんなのあったのか?』
『ネット上にな』
アツシはこの手の裏垢というかネット系の話に詳しかった。
聞けば、この女性・姫路さんはこの学校の男子学生のみで構成されている、(おそらく裏アカウント揃いであろう)スレッドで行われた、この学校の非公式コンテストの最上位なのだという。
なんじゃそりゃ…と思いつつ、改めてちらりと姫路さんの方を見てみると、それも頷けた。
全体的に清楚な感じと、穏やかで夏日の木陰のような落ち着いた感じ。
なおかつ純粋に美しい女性のオーラを全身にたたえ、なんと言うか、それが決して鼻についてない。
おそらく隠れ男子ファンも多かろう。
『へえ・・・知らなかった』
『美人だろう?』嬉しそうにアツシが言う。
『ああ。。 知り合いなの?』
『んな訳ないじゃん! 知り合いてえよ』自嘲したようにいうアツシ。
苦笑した。知り合いたいなら話しかけてみればいいのに…
と一瞬思いつつ、それも厳しいか、と思った。
こんな美人を前にしたら、自分に自信がある男子でもなければ、大体臆してしまうだろう。
俺も実際そんな場面になったら、正直何を話していいかわからない。
数学の幾何学定理についてとかなら話題になるか?しかしそこまで学力に自信もない。
俺は昼休みはたまに図書室に来ていたが、放課後に来たのは初めてだ。彼女は放課後しか来ない派なのかもしれない。見かけたのは初めてだった。
それにしても…
彼女の左手、相変わらず静かに机を叩き続けている。
ああ、机になりたい。…じゃなくて。あれは、叩くというより…
アツシ『あっち空いてる。行こうか』
『おお』
不意にアツシに促され、俺たちは本来の予定であった試験勉強に入るべく、その場を離れた。
まあこんなところに来ても、大抵本来の予定の何割も勉強できなかったりするのだが。
帰り際。
アツシに先に自転車置き場に行ってもらい、1F下駄箱脇の自販機でウーロン茶を買おうと寄ったところ、一人の女性がちょうど何か飲み物を買っていたところに遭遇した。
彼女も、お釣りを小銭入れに入れながら曲がり角を曲がったところで俺と鉢あったので、双方驚いてしまう。
彼女は軽く声をあげて小銭入れを落とし、派手にお金をぶちまけてしまった。
「すみません!」
「ううん。こちらこそごめんね」
他に生徒や教師の姿もなく、夕暮れの日差しが差し込んでいる自販機フロアに散らばった小銭を2人で拾いつづけた。
ほどなく、そこいらに散らばった小銭は全部集められた。
「すみません。俺の不注意で」
「いいのよ。拾ってくれてありがとね」
にこり、と笑顔を向けられた。天使のような笑み。
なんと、それは先ほど図書室で見かけた姫路さんだった。
別に後をつけていたわけでもなく、偶然の遭遇だ。
…。
沈黙が訪れた。
まさに、天使の沈黙だ。
いや、女神か?
何か話したい。
話してみたい。
俺も普通の男の子だ。こんな美人がいたら話してみたいと思う。
日頃まず接点のない、高嶺の花と話す機会。
突然訪れたこんなタイミングに俺の脳は無駄に高速回転したが、何を話していいかわからない。
微笑をたたえた姫路さんは、左手に今買ったばかりのレモン水のペットボトルを持っていた。
やがて小銭はすべて回収され、彼女の手に戻される。
「ありがと!」お礼の言葉とささやかな笑みが俺に向けられた。
笑顔を返しつつ、俺の方はうまい言葉が出てこない。神の遭遇タイムが終わってしまう。
こういう神のタイミングというのは不意に訪れ、そしてほどなく去っていくものなのだろう。
「じゃあね」言い残し、ゆっくりとその場を離れて帰路につこうとする姫路さん。
「格ゲー、好きなんですか」
ふとした言葉が自分の口から出ていた。
「え?」脇を通り過ぎようとして立ち止まる姫路さん。
何を言われたのか分からない、というようなぽかんとした表情をしていた。
だがほどなく、彼女の表情に怪訝な色が出始めたのを俺は感じていた。
「あ」不審がらせてしまった。何を言ってるんだ、俺は。「すみません。変なこと聞いちゃいました」
「……」
やがて、特に何も言わず彼女は去って行った。
うわあ。きっと心証悪いよな今の…
絶対変な奴と思われたよな。
突然訪れたこの出会い。
途中までは良かったが、俺の何気ない一言により彼女の印象はラスト「悪」で終わってしまった。
自販機のところで出会ったヘンな男子の後輩、というのが俺の印象だろう。
今後学生人生において、すれ違った際に俺に挨拶を返してくれることなどなく。
また社会人になった後も、俺を思い出すことなどあるまい。。。
黙って立ち去る彼女を見送る。やがて彼女は靴に履き替え、校舎から出て行ったようだ。
彼女の気配が俺の五感の範囲から完全になくなったところで、ようやく俺はため息をついた。
はあ、何やってんだろ俺は。
(なあアツシ。<こんにちは、そしてさようなら>を経験したよ)
この話をアツシにするべきか迷った。
が、やはりやめとこうとの結論に至った。
あいつ、さっきの話を聞いてて、どこか姫路さん親衛隊のようなものを感じる。下手に今のことを話したら、ディスられて、最悪怒らせてしまう可能性もあるかもしれない。
数分後、自転車置き場で合流したアツシに俺はさっきの遭遇の件を伝えなかった。
「わり、遅くなった。忘れ物取りに行ってさ」
「いいってことよ。そのおかげでさっき、姫が自転車で帰るとこ見れたからな」笑顔で返すアツシ。
苦笑いする俺。
姫というのは姫路さんのことか。
たしかに、ちょうどな名前だし、みんなからそう呼ばれてるのかもしれない。
俺は今日の出会いを、人生のささやかな経験の一部として記憶し、そしてほどなく忘れていくものだと思った。
3日後。
休みが明けて月曜日、俺はまた図書室に足を運んだ。
昼休みということもあり、アツシは呼ばず俺ひとりだ。アツシはモンハン仲間と狩りに興じている。
俺の目的は、本だった。試験勉強もさることながら、図書室においてある本が面白いのだ。
歴史にそこまで詳しい訳ではないが、司馬遼太郎や宮城谷昌光の中国の歴史の本、また山路愛山の本なんかが古風でちょっと好きだったりする。昼はたいてい一人で、その読書を楽しんでいた。
文庫本のコーナーに行く際、先日と同じ席に座っている姫路さんを見かけた。
一瞬声を掛けようか… と思ったが、先週の別れ際の件がある。変な後輩に挨拶されたと思われるのも迷惑かもしれない。
図書室に入った際、一瞬俺の方を見たような気もしたが、たぶん気のせいだろう。
思えばあれほどの美人だ。あの手この手で声を掛けられるなどしょっちゅうある話に違いない。
俺と話をしたことなんかも、きっとその有象無象の1つ。
金曜日の放課後のことなど、もう彼女の中では記憶が薄れかけていることだろう。
記憶ファイルを気味悪いフォルダに入れ、ほどなくごみ箱 →消去の流れにきっと乗っている。それを掘り返すこともあるまい。
少し迂回して、文庫本のコーナーに行くことにした。
文庫本の一角に来て目的の棚の前に立った時、俺のテンションは少しだけ落ちた。
目的だった「項羽と劉邦」の上巻が、誰かに借りられていたからだ。
しまった… こんなんだったら金曜日に借りておくんだった。
でも金曜日は学生証を家に忘れてきてたしなぁ…
己の不手際を呪った。
仕方ない、ハードカバー版をさがすか。先ほどから誰かが呼びかけてる声が聞こえるような気がしたが、気のせいか?
そう思いながら角を曲がった時、予想以上に近くに人がいたことにようやく俺は気づいた。
「わっ」思わず当たりそうになり謝った。「すみません」
このシチュエーション、なんか最近遭ったような。
ふと見ると、見覚えのある長身のすらりとした女生徒だった。
だがこのアングルから見るのは初めてだった。
美顔。
「あ」ようやく、相手が誰であるか気づいた。
「ねえ。さっきから声かけてたのよ」
俺が呼ばれてたのか。アツシのいない図書室で、まさか誰かから声がかかるなど思ってなかったからスルーしてしまっていた。
「自分に、ですか」
アツシがいたらどんな顔をするだろう。
俺に用があるという女性。
そこにいた美女は、3日前に悪印象で別れたと思われた高嶺の花・姫路さんその人だった。
もう縁などないと思っていたその人との再会。
彼女は何故、追ってきたのか