第九話 母は強し
その後、補給を諦めたのか陣を張らずに罠に嵌まらなくなった騎士たちを第二の悲劇が襲う。
ぱりんぱりんという音と共に、殿から一人ずつ消えていくのだ。
ベルツは岩場の視界の悪さをいかし、根気強く一人一人騎士たちの皿を割っていった。
ちょっとしたホラー体験である。
騎士だって弱くない。むしろ私から根掘り葉掘り聞き出した傭兵との戦い方を研究して実戦に生かすべく交流会に臨んでいるのに、それが全く戦いになっていない。
騎士とまともに対峙すればベルツはあっと言う間に数を減らすだろう。
だから、徹底して対峙しない。
騎士たちからしたら力を発揮する前に皿を割られて退場させられてしまうのだ。今までに無い戦い方だろう。
いつどこから出没してくるか分からず、ベルツは少数の騎士の皿を割った後、応戦しようとする騎士たちを尻目にとっとといなくなるのだ。
頭から湯気を出して、「この野郎!」と追い掛けてくる騎士も、筋肉だるまたちに寄って集って皿を割られるだけ。
騎士は弱くない。でも、筋肉だるまたちも弱くない。
ヘンリックを徹底して避け(犠牲になった斥候は二十人……)、気が付けば陽は傾き、メルネスは百を切っていた。
「ふむ。良い頃合いか。そろそろ本隊を叩きに行くか」
圧倒的戦力がここまで落とされると、いくら訓練を積んだ騎士でも戦意を保つのは難しい。そこに勝機があると、そう、お兄様とルーは考えたんだろうけど。
甘い。
静かに鬨の声もなく、それは襲いかかってきた。
「うわあっ!?」
野太い声を上げて筋肉だるまたち数人が尻餅をついた。その皿は二枚とも割られていた。
ぱりん、ぱりん、と、辺りに皿が割れる音が響いた。
騎士たちが急襲してきたのである。
泥を被り草をつけ、匂いと存在を周囲に馴染ませながら、ただ静かに獲物である私たちが油断するのを待っていたのだろう。
無表情に皿を割って回るのはヘンリックじゃない。
フーゴだ。
え、誰って? いつも側にいるベテラン騎士だよ!
目だけで「奥様お覚悟」と言いながら、滑るように私に迫ってくるフーゴ。嫁いだ最初の頃は「奥方様」と馬鹿丁寧に呼んでいたのに、いつの間にかライトな「奥様」呼びになって……って、今そんなことはどうでもいいわ。
それ、主を見る目じゃないから!! 狩る気満々じゃないのよ!!
ベルツが崩されるとしたら、ヘンリックになぎ倒されるか、このフーゴだと思った。
騎士たちは組織が大きい分身動きが遅い。軍隊は圧倒的な量の圧力で場を支配するものだが、どんなに統率が取れていても傭兵のスピード感には敵わない。
だが、どんな組織でも例外はいる。
フーゴの後ろ左右からは泥だらけのエルディスとカーリンも無言で走り、木刀を振って筋肉だるまたちの皿を割っていく。
か。
格好良い……っ!!
「うちの子たちが格好良すぎやしないかい……!!」
カンッ!!
うっとりと二人を見る私の前にルーが入り、フーゴの木刀をはじいた。
やべ、うっとりしている場合じゃなかったわ。
ルーがフーゴに向き合っている隙に、エルディスが横から私の皿めがけて振りかぶった。
わあ、容赦ないわぁ。さすがフーゴがちゃんと仕込んでいるだけある。
いつか子は親を越えて行くものだけれども、……ヘンリックはちょっと人外だから例外として、エルディスもカーリンも遠くない未来に私を越えて行くんだけど。
でも。
それは、今じゃないのよ?
カカン、カン。
「え……?」
エルディスとカーリンが割られて地に落ちた皿を呆然と見つめていた。
何が起きたか理解出来ずに隙を見せた騎士たちの皿をルーが割っていく。
フーゴさんや、そんなすごい目で私を見ないでくれるかな。
えい、えい、とフーゴの皿も割っておく。
「は、ははうえ?」
腰が抜けたのか尻餅をついたエルディスが涙目で困惑している。これはぎゅうとちゅうを強請っているのだな?
「奥様は……戦われるのでしたか」
両手に短めの木刀を構えた私を見て、フーゴが溜め息を吐いて割られた皿を拾って呟いた。
ふふふ、なんかフーゴたちを出し抜いたみたいで気持ち良いわね。嫁いで六年、メルネスは強いから、私が戦ったり逃げたりする場面が無かったものね。
「双剣……え、お母様、カッコいい……」
カーリンが呆然と呟いた。こっちは夜寝る時にむぎゅうして欲しいってお強請りだな?
「ふふ。私はちゃんと、『ルーは強い』、『ルーは私の師』だと言ったわよ? 情報は正確につなぎ合わせて把握してこそ武器になるのよ?」
私は腕力が無いから長剣は持てない。ナイフよりは少し長い獲物を両手で扱う双剣で、主に防御しながら撤退するのだ。メルネスでは妊娠と出産を繰り返して鍛錬する時間も無かったけれど、領主夫人は体力勝負なところがあるから、日常生活の中で負荷をかけながら体力が落ちないように心がけていた。
え? 他の領の夫人は体力勝負じゃない? いや、体力無いと無理でしょうよ。
尻餅をついたままのエルディスの旋毛にキスを落とし、手を貸して立たせてやる。
まあドヤッたけれど、こちらがフーゴたちの奇襲を防ぐことが出来たのは、正直、運もある。
でも、物事において流れが来ている勢いはとても重要だ。
「行くよ、ルー」
「そうだな。メルネス卿の動きが不明なのが気にかかるが、ヴゥの溺愛する坊ちゃんを叩きに行くか」
ある時からヘンリックと数名の騎士の姿が完全に消えてしまった。斥候が潰されているわけではなく、存在を見つけられないのだ。いくら運が良くてもヘンリックがいきなり襲ってきたら、……無理無理無理。向こうが何かする前に勢いに乗るのが良い。
薄暮の空に輝くのは満月。日が暮れても月明かりで松明をたかずにある程度行動が出来る。
こちらの陣営は十五人。メルネスはおよそ八十人。ヘンリックが動く前に叩ければこちらの勝ち。ヘンリックが早ければ、あちらの勝ち。
それよりも。
「エルディスとカーリンがこんなに格好良いんだから、是非ともロベルトも間近で見なくちゃ!!」
フーゴの肩が震えてる。なんで笑うの? 親として当然の願いじゃないか。
「お前は本当にブレないねぇ。……じゃあ行こうか」
お兄様まで苦笑いして、緊張感ってものがないのよね、まったく。
さ、ヘンリックに追いかけられる前にロベルトの雄姿を愛でてから、意地の張り合いでしかない交流会をサッサと締めくくって、皆でおいしいご飯を食べて子どもたちと寝ましょう。