第二話 事の発端
それは、いつものように子どもたちを堪能……、いや、子どもたちと庭で遊んでいたある昼下がりのことだった。
ロベルト、エルディス、カーリンは少し離れたところでベテラン騎士から剣の稽古をつけてもらっていた。カーンカーンと木剣を打ち合う音が耳に気持ちが良い。
芝に広げた布の上で「ぷすーぷすー」と寝息を立てているラーシュの横でアーネが絵本を読んでいた。ラーシュは立ち上がって歩けるようになった途端に走ることを覚え、まだ頭が重くてよく転がってしまうため本当に一秒も目が離せない。いつも兄姉の誰かが側にいてくれる愛され末っ子だ。
エーミルは草を渡る虫たちの動きをキラキラした目でずっと追っていたが、ふと、アーネの横にいる私の膝に座っておもむろに聞いてきた。
「ねえ、ははうぇ、ベルツのおじさま、こないね?」
エーミルの何気ない問いに、私はありのままに答えた。
「そうね。しばらく山賊退治のお仕事があるって言っていたから、落ち着くまでは来られないかしら」
前回お兄様が来たのは半年より前のこと。四歳のエーミルはこの領から出たことがないので、お兄様の土産話をとても楽しみにしているのだ。
虫の行列を見てなんでお兄様を思い出したのかは謎だが、追求しないでおこう。
ベルツの隣領から山賊討伐依頼が来たのはおよそ一年前。もともと小さな集団がいくつか山に巣くっていたのが合流し、被害も無視出来ないレベルになってきたらしい。町の治安維持のために領軍全てを投入するわけにはいかずに、傭兵への依頼となったようだ。お兄様は「得意分野で大きな仕事が来た!」と喜んでいたわね。……山狩りとか、じりじり追い詰めてあぶり出すの、好きだものね。
「さんぞく……おじさま、あぶなくない?」
心配そうに首を傾げて上目で見てくるエーミル。その全方位に完璧な角度と表情は一体どこで習得してくるのだろうか。本能か? 本能なのか? かわゆ。ほっぺにちゅしとこ。
「あぶないお仕事だけれども、ベルツの傭兵たちはとても強いの。しかも出来ない仕事は受けないわ。だからきっと大丈夫よ」
「よーへー……つおい?」
強い。やべ、鼻血出そう。
「ええ、とっても」
「おじさま、つおい?」
うーん、正直、お兄様自身はそんなに強くないなあ。身体も割とひょろいし、お兄様は実働部隊というよりも作戦と交渉と引き際の見極めが秀逸なのよね。金勘定はあまり得意じゃなかったから、私がその辺をカバーしていたけど。金利計算も一割とか簡単なものなら理解できるけど、一割五分二厘とかになるともう魂飛ばしているからね。
「そうねぇ。おじさまはそんなに強い人じゃないかもしれないけれど、傭兵団の皆が強いわね。だから皆で仕事してれば大丈夫よ」
「ちちうぇと、どっちがつおい?」
おっと。エーミルが目をキラキラさせてるわ。
ヘンリック対ベルツ傭兵団かぁ。ヘンリックの強さはアレはもう列外よ。いくら傭兵団の猛者どもでもまるで歯が立たないわね。対面で囲んでしまえば数で押せる、ぐらいの可能性か。ここは父親がぶっちぎりだと言ってやりたいけれど、嘘はダメね。
「父上はとても強いけれど、囲まれてしまえば数で負けるわ。戦い方が大事よ。父上は、一人二人……十人? くらいじゃ蹴散らしちゃうくらい強いけれどね」
この間、模擬戦で騎士たちが十人くらいヘンリックに一斉にかかっていたけど『ぺい』してたわね。あらやだ、私の夫、マジ人外なんじゃないかしら。
私がちょっと遠い目をしていたら、エーミルは「ちちうぇすごーい! つおーい!」と、はしゃぎながら爆弾を落とした。
「じゃあ、きしだんとよーへーだんはどっちがつおいの?」
メルネス領軍対ベルツ傭兵団。
む。
むむ?
どっちだ?
個人的な能力ならば間違いなく騎士たちの方が強い。
だけど、戦場では傭兵たちの方に軍配が上がるだろう。なんせ、依頼達成のためならば、彼らはどんな手段も厭わない。彼らの目的は相手を制圧することではなく、依頼を達成して報酬をもらうことだ。騎士たちからしたら卑怯なことも当たり前にやってのける。
でもまあ、戦場じゃなければ統率された領軍には敵わないか。
元から勝つつもりはなく、ベルツの皆は上手い負け所を見つけて撤退しそうだ。もらうものをもらって、別に負けても死なないし、罰金もないし、どうやって負ける? ってオモシロおかしく会議しそうだな、あいつら。
一瞬でもそう考えたのがいけなかった。
にこやかに「そりゃあうちよ~」って答えておけば良かったのだ。
うーんうーんと色んな状況を考えている間、ロベルトもエルディスもカーリンも騎士たちもアーネまでもが絵本を置いて、即答せずに悩む私を見ていたことになど気が付かず、ましてや背後から忍び寄る影にも気が付くはずもなく。
「……メルネス、だわね」
「ほう?」
とても低い声だった。
やべ、と思ったけれどもう遅かった。
「あ、ちちうぇ! おかえりなさい!」
エーミルが無邪気に私の膝から降りて父親へと走っていった。
私は「ギギギ」と音がしそうな首と身体を後ろに向けたが、そこには逆光で表情がよく見えないのに紫の眼が光るヘンリックがエーミルを抱き上げているところだった。
逆光なのに眼が光ってるって、どういうことなの?
「……おかえりなさい、ヘンリック」
立ち上がって、町の会議から帰ったヘンリックの頬にキスをしてみる。これで誤魔化されてくれないかな。
ヘンリックは「ただいま」と私の頬にキスを返して、それはもう腰が砕けそうなくらい良い声で言った。
「で、愛しの奥様の頭の中で、うちの騎士たちはベルツ傭兵団にどんな苦戦を強いられていたのかな? もちろん教えてくれるだろう?」
誤魔化されてくれなかったや。ちくしょうめ。
そこからは根掘り葉掘り、こういう状況だと傭兵団が有利で騎士たちは不利という状況を喋らされ、気が付けばヘンリックと騎士どもが議事録を取って軍議を始め、「よし、実戦してみよう」と一致団結してしまったというわけなのである。脳筋どもめ。
かくして、無事に山賊退治の仕事が終わったベルツの面々は、休暇を兼ねて馬車だと十日ほどかかるメルネスの地へ五日でやって来た。「早く着いたらその分長く遊べるだろう?」って、こいつらも大概だった。旅費と滞在費がメルネス持ちだからって、はしゃぎすぎだろうよ、筋肉だるまたちは。
ザッ!!
整列していたメルネス領軍が敬礼した。
いや、壮観壮観……って、ルーが見えたから走り出してしまったけど、わあ……私、皆の前でルーに抱き付いちゃったのか。あちゃー。まあ、ルーだし、いっか。
騎士たちの目には『うちの奥様なのに』という嫉妬の炎がメラメラと揺らいでいた。
あ、良くなかった。めちゃくちゃ良くなかったヤツだ。
一方のベルツの面々は面白そうに『好きに言えば? うちのお嬢だし?』って、煽りに煽って挑発している。
こんなモテ方嬉しくないわ。
「さあ、旅装を解いてゆるりと過ごされよ。今日の夜はささやかではあるが宴席を設けさせていただいた。明日からは事前の打ち合わせのとおりに」
ヘンリックの一言でこの場は解散となった。
お父様とお兄様以外は騎士たちが筋肉だるまたちを宿舎で面倒見てくれる手筈だ。
「おじぃさまとおじさまだぁ!」
エーミルがトコトコとやってきて笑顔を振りまいた。
ああ、なんてかわいい子。
お父様の顔の筋肉が溶融しているわ。
エーミルの後ろから他の子たちも皆やってきて、一気に変な空気が吹き飛んでしまった。子どもたち、ナイス。
だから、ねえ、もう降ろしてくれないかな、ヘンリックさんや。
私はヘンリックに抱っこされたまま「ぷぷぷ」笑いしているルーたちに手を振って別れたのだった。