第十一話 奇跡
いた。
頭に皿を着けても精悍なんて、うちの子が格好良すぎてツラい。
岩と茂みの影に隠れるように陣取っていたロベルトの姿を見つけて、目でルーに合図した。この辺に潜むとしたらこの岩付近になると当たりをつけて、気配を消して風下から近付いてきた。
さあ行こうとした時、紫の眼と視線が合った。
小さな声で「ははうえ」と縋り付いてきたあの子が、そんな眼も出来るようになったの……と感傷に浸っている暇はない。
待ち構えられていた?
それでも。
押し切る!!
カンッカンッ!!
奇襲の初手を難なく止められ、一旦離れる。
あら、強いこと。
朝も昼も夜も領地経営の勉強とともにフーゴと鍛錬していたものね。
母はあなたの成長を嬉しく思うわ。
でもね。
あなたの母はがらっぱちでね。
「がめつくて負けず嫌い」
ロベルトの回りの騎士たちの皿を割っていたルーが笑いながら言った。
「ルーに言われるとなんか悪口」
「はは、今更。さ、回りは任せて親子対決を楽しみな」
そう言うやいなや、ルーは何もない虚空を木刀でなぎ払った。
カンッ!!
もう一対の紫の眼がそこにあった。
「え? ヘンリック!?」
いつのまにこんなに近くに!?
「母上、お覚悟」
こっちはこっちで!!
三打、四打と躱しながら打ち返す。既に力負けしそう。
強くなったなぁ。
嫁いでからずっと鍛錬の様子を見ていたけど、本当に筋が良い。しなやかな鞭のように攻撃し、隙が無い防御をする。魔王のように圧倒的な力で君臨するタイプではないけれど、強い辺境伯になるだろう。
あっと言う間に、騎士たちはルーに皿を割られ、筋肉だるまたちはヘンリックに皿を割られ、この場に立つのは四人になった。
お兄様もいつの間にか離脱していた。苦笑いしながら手を振っている。
いくらルーが強くても、ヘンリックに見つかったら終わりじゃん。
とりあえず足掻くか。
「シーヴ」
ヘンリックが真顔で私を呼ぶ。
だから、眼が光って怖いんだってば!!
「まあ、もうちょっと遊んでよ、メルネス卿?」
ルーがヘンリックと打ち合う。
その間にロベルトに向き合おうとした瞬間、声がした。
「にに!」
風に乗って、近くはないけれど遠くもない。「まぁま」「ぱぁぱ」「にに」「ねね」「ふご」と指さしおしゃべりするようになった、ここにいないはずの末っ子の声が確かに耳に届いた。
「え、ラーシュ? え!? なんで? どこ?」
ヘンリックたちにも聞こえたのか、木刀を降ろして辺りを見回している。
参戦していない子どもたちはお父様と一緒に丘の上にいるはず。声が届くはずがないのに、聞こえたということは……。
「ラーシュ!!」
最初に見つけたのはロベルトだった。その視線の先にラーシュはいた。丘がなだらかに下がる途中で、月明かりに照らされたラーシュは、こちらを指差して走り出そうとしていた。その先は切り立っていて地面はない。
ひとり? なんで? ダメ!! 落ちる!!
声にならない悲鳴を上げて駆け寄ろうとするが足に力が入らず、つんのめって転がってしまった。
だめ、間に合わないっ……!!
視界の端でルーが杖を振った。
丘の下の木々がにょきにょきと枝を伸ばし、走って真っ逆さまに落ちたラーシュの身体を受け止めては折れ、受け止めては折れ、切り立った中腹の出っ張りに、ラーシュをコロンと運んだ。
その拍子にラーシュが「やぁぁああああっ!!」と泣き出した。
生きてる。
大丈夫、まだ生きてる。
「奇跡……」
ロベルトが呟いた。
「ごめん、この辺の魔素を使っちゃってるから、コレが限界。あとは人力で」
ルーが申し訳なさそうに言ったが、ルーがいなければとっくに地面に衝突している。
「感謝する、賢者殿」
そう言うとヘンリックは木刀を放り出して走り出し、あっと言う間に丘下に到着すると素手で登り始めた。
迂回して丘の斜面を登るよりも遥かに早い。早いんだけど、え、あの人、ほとんど直角の壁を登ってるよ……。本当に人間じゃない疑惑……。
なんでもいい!! ラーシュを助けて!!
そんな見当違いのことを思っていると、お兄様に腕を引っ張られた。
「シーヴ、ロベルト、お前たちは姿を隠せ。ラーシュが動くと危ない」
母や兄を見つけたら手を伸ばしてまた走り出してしまう。奇跡に『次』はない。
言われるままに二人で岩に身を隠した。
ヘンリックはあっと言う間にラーシュのいるところまで登り、ラーシュを抱き上げた。
それを見て力が抜けた。
良かった。……良かった!!
とりあえず、これでラーシュがまた落ちることはない。
座り込んでえぐえぐ泣いている時よりも、ヘンリックに抱き上げられている今の方がギャン泣きしているのは、いつものことなので無視する。
「父上……」
ロベルトや、そんなキラキラした眼で見なくても……辺境伯に必要なスキルに壁登りはないはずだよ。明日から変な鍛錬を増やさないと良いけど。