第十話 ベルツ男爵
一方、丘の上。
そこでは元々見学の騎士や皿を割られて退場した騎士と傭兵が和気藹々と戦況を見ていた。悔しいが退場となってはもう出来ることはない。
町の者たちも大勢見学に来ており、人が集まれば食い物屋が店を出し、焼きたての肉の匂いにまた人が集まり、食べると呑み、呑むと歌って踊り出し、丘の下とは打って変わって、やいのやいのとお祭り騒ぎになっていた。
ベルツ男爵は、孫のために香ばしい肉串を食べやすい大きさに解してやりながら、親鳥のように食べさせて、はふはふと頬張るアーネとエーミルに相好を崩しっぱなしだった。
膝に乗せたラーシュには肉塊はまだ早いので、芋をふかして串に通して揚げ、塩と砂糖をまぶした芋串を解して食べさせていた。
本来、食事の世話は乳母や侍女の役目だが、滅多に会えない孫との時間を楽しむ男爵に任せて一歩引いて控え、表情には出さずに心の中で悶えていた。
爺と幼児、ナニコレ尊い、と。
ベルツ男爵はその名をパルヴロといい、ベルツ風に『ヴ』がちゃんと入っているのだが、名前の真ん中はノーカウントなのか、誰からも言われたことがなかった。少し存在感が薄いのが彼の密かな悩みである。
仕事も出来なくはないが、金勘定に疎く、結局借金のカタに嫁がせた娘に対して今も申し訳なく思っており、幸せそうな姿をいくら見たとしても一生消えてくれない思いだと覚悟している。
というのも、長男であるクライヴがようやく結婚し、生まれた孫娘のシュステナが可愛くて可愛くて仕方が無く、そう思えば思うほど、シーヴのことで忸怩たる思いが募っていたのだった。
先祖代々、ベルツはいつもカツカツだった。いつもギリギリのところで何とか生活できている土地で、ベルツ史書には本来なら生物が住める土地ではなかったとまで記述があるくらいだ。
そんな土地がそこそこの町になっているのは、ひとえに放浪の賢者の加護のおかげだとベルツは知っている。
鉱山が見つかり、先祖は傭兵業から鉱山業へと舵を切ったが、大きな鉱脈ではなくパルヴロの代で閉山し、また傭兵業に戻った。
これまでも放浪の賢者は、気が向いた時にふらりとベルツを訪れ、短くて数日、長くて数ヶ月滞在していたが、こんなにも長い間ベルツにいたことはなかった。荒くれどもを取りまとめ、的確な助言をしてくれる存在のおかげで、混乱しながらもベルツは非常にスムーズに鉱山を閉じて傭兵業をスタートさせた。
だが、冷害があって借金がかさみ、どうにも首が回らなくなった。
放浪の賢者は俗世とは切り離されており、有り体に言えば、金も権力もない。そういった手助けを期待してはいけないのだ。
当主として、パルヴロはメルネスからの申し出を断ることが出来なかった。メルネスの申し出を断れば、一家全員借金取りに売られていたことだろう。そうなれば、領主を失った領民の生活は間違いなく破綻する。娘ひとりを嫁に出せば、ベルツ領は生き残る。
ひとり彷徨うあの人の拠り所でもあるこの地を守ることが出来る。
パルヴロは正直にシーヴに事情を話した。
シーヴは静かに話を聞き、精力的に婚活を始めた。
メルネスは遠く、嫁げばそうそう帰省など出来ない。それはルーヴに会えないことを意味し、シーヴにとっては避けたいことでもあった。ベルツからそう離れずに、また、ベルツ領に支援してくれる家の令息を探し、アルテーン侯爵家のダーヴィットと縁を繋いだが、その縁は実らず、借金も返せず、シーヴは声を失いながらもメルネスに嫁いだ。
メルネスとベルツは物理的に距離が遠く、気軽には会えない。国中の貴族が集まる王都での社交も、結婚してから定期的に妊娠して子育てをしてるシーヴは参加したことがない。
今回、パルヴロがシーヴや孫たちと会ったのも、ラーシュが生まれてから行われた凱旋パレードの時以来である。
上三人はシーヴの産んだ子ではないので血の繋がりはないが、ベルツ男爵は三人も孫としてとても可愛く思っていた。
自分の手から食べ物を頬張る下三人は言わずもがなである。
目を輝かせ、笑顔が出る子どもたちを見れば、パルヴロはシーヴがこの地で大切に守られて幸せなことを実感出来た。不幸な母親の元で子どもが笑えるはずがない。
自分の領地経営のまずさは正当化出来ないが、結果として、大切な娘が幸せであることがパルヴロの救いの一つだった。
アレが食べたいコレが食べたいとわがままを言うアーネとエーミルの希望を何でも叶え、ラーシュが行きたがるところにどこまでも付き合い、滞在中すっかりと孫の奴隷と化して顔の筋肉が溶融しているパルヴロである。
「あっちのほうに行きたい~!」
夜の帳が落ち、そろそろ館に帰ろうとしたが、もう少し遊びたいアーネとエーミルに手を引かれながら、パルヴロは屋台で賑わう人をかき分けあっちに行きこっちに行き……。
「あれ? ラーシュは?」
アーネがふと気が付いた時には、手を引いていたはずの末っ子の姿はどこにも見えなくなっていた。