2-2 ✦ これはデートではない
〈追憶鏡〉に遺された寄贈者の記憶は二百年前のもの。街の景観も今とは違う。
だから図書館の古地図で現在のヘレディタス市と照らし合わせるのだ。
犯人にもジルの見たものが伺えたなら、同じように調べた可能性はある。
そう思い、警察の権限を使って古地図の貸出記録を開示させたが、何の痕跡もなかった。
他に手段があったのか、あるいは。
地図はジルに任せ、リオは周囲を警戒した。犯人が尾けている可能性は低くない。
脳裏に浮かぶのは昨日の襲撃時、ベルの口を借りて奴が言った言葉。
『私は〈書庫番〉を助けたい』
理由はわからないが、奴はジルに執着している。
〈追憶鏡〉を盗んでから襲撃まで時間が空いたのは、恐らく彼女が引き籠もっていて、家族とすら会っていなかったからではないか?
それまで魔導書庫を訪ねていたのはリオくらいだ。さすがに警察官を操るのは容易ではないと判断して、一般人の姉を巻き込んだか。
大方最初の盗みも他人にやらせたのだろう。雑な偽装工作のせいで犯人はあまり賢くない印象だったが、そう思わせて油断を誘う策かもしれない。
「リオ、移動しよう」
「天球儀の在処はわかったか?」
「うん……それが、わりとそのままだったの。予想はしてたけど拍子抜け」
その一言で、リオにも察しがつく。
「天象館か」
…✦…
天文台は旧市街の端にある。天文学は魔導との結びつきが強かったので〈大散逸〉と呼ばれる暗黒期に廃れてしまい、併設されたプラネタリウムは現在ややお堅めの遊び場になっているらしい。
こちらの動向を仲間に定時報告し、中へ。
建物の外観は地味だが、裏腹に内装は思いのほか華やかだ。手入れの行き届いた玄関には天体模型や星図盤が飾られているが、いずれも装飾性の高い優美な意匠で、まるで美術品のよう。
明らかに女性客を意識している。研究機関としての矜持より商売を選んだのが見て取れるが、ここまで開き直っているといっそ清々しい。
現に隣のジルはこの光景にちょっと気分が揚がったらしく、紺色の眼を輝かせている。
「昔来たときより綺麗になってる! 改装したんだ、知らなかった」
「そりゃ引き籠ってるからだ、……って言いたいとこだが、俺も知らなかった。とりあえずそのへんの模型は例のナントカ天球儀じゃねえよな?」
「アーミラリ、ね。もう。
でも……仕事で来たのが勿体ないくらい。次は普通に遊びに来たいな」
「確かに」
リオの相槌が意外だったのか、ジルはちょっと戸惑いを浮かべて彼を見上げる。昔はほとんど背が変わらなかったのに、もうこんなに差があるのかと、そこで改めて気づいた。
大人になっても自分たちの距離は変わっていない。良くも悪くも。
「相手、いるの?」
だから今更、その問いに期待していいのかもわからない。
「別に……おまえを連れ出すのにちょうどいいと思っただけだよ。これなら断わらねえだろ」
「何それ。誘い文句としては零点」
「採点できる立場か?」
「失礼な、私だってねぇ……、ッまあ、リオに彼女ができるまでは、仕方ないから付き合ってあげてもいいよっ」
ふいっと逸らされた顔が色づいて見えたのは、気のせいではない、と思いたいけれど。
今は保留だ。あらゆる意味で。
受付に警察章を提示しつつ、ざっと事情を伝えて協力を促す。ややこしい話は省略して「盗品の隠し場所にされた可能性があるため調べたい」という具合だ。
応対した中年女性は珍しいものを見る目をしつつも責任者の許可を取ってくれた。ただし彼女を同伴すること、という条件付きになったが。
「ずいぶん若い刑事さんね。 お嬢さんも警察?」
「いえ、私は――」
「協力者です。ほら行くぞ」
「え、ちょ……わわっ」
話しているのを遮ってリオが腕を引いたものだから、ジルはよろけてしまった。そのまま綺麗にすっぽり彼の胸に収まってしまい、思わぬ事態に二人して固まったのを、後ろでおばさんが「あらまぁ」と感嘆している。
腕の中の柔らかな感触にはっとしたときには、濃紺の瞳に精一杯睨まれていた。今度は取り違えようもなく赤らんだ頬がはっきり見える。
「何すんの、もうっ」
「悪い。……〈書庫番〉だってことはあんま言いふらすな」
「え?」
小声で嗜めるとジルはきょとんとしたが、リオはそれ以上は何も言わずに彼女を解放した。離れていく体温を少し惜しく思いながら、けれども今の自分には、このくすぐったい時間を味わう余裕も権利もありはしない。
……だいたい他人が見ている前だ。
それよりジルはもう少し危機感を持ってほしい。昨日襲われたのをもう忘れたのか?
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