1-5 ✦ 薄闇をまとう者
錆の悲鳴が鼓膜を掻きむしる。
開かれた鉄扉の向こう、廊下に人影が佇んでいる――言葉どおりの〈影〉そのものが。
辺りのわずかな光さえ呑み込んだ薄闇色の幻影は一言も発さず、色彩の欠けた両腕をこちらに伸ばした。
間髪おかず発された銃声に、背後でジルが悲鳴を上げる。
本来、魔法小銃は警告なしに発砲してはならないが、今は緊急事態だ。そう判断したリオに躊躇いはなかった。
今は補助を装けていないので、弾丸は無属性の単純な破壊魔法だ。
弾はまっすぐ〈影〉の眉間を貫く。着弾に続いて橙色の光が弾け、幻影はよろめいた。
粉を吹いたようにざらりと崩れたその下に人影がちらつく。防護魔法の類か。
「動くな。今度は鎧が全部剥げるまで撃ち込む。怪我したくなけりゃ大人しく両手を――」
リオが言い終わるのを待たず、そいつは再び無言で歩み寄った。
すかさず撃てば影の鎧は砕けるが、すぐ元に戻る。中に負傷が入った形跡は見られない。
よって宣言どおり、再生できなくなるまで銃弾をくれてやることにした。
そうして何発ぶち込んだか、非魔法式と違って弾を装填する手間がないので数えちゃいないが、代わりに肉体的な負担はある。
だがリオが撃つのを止めたのは、魔力が尽きたからではなかった。
「……な、んで……?」
震えた声でジルが呻く。
剥げた鎧の下から現れたのは、ふわふわの銀髪に濃紺の瞳――虚ろな表情で佇む襲撃者は、紛れもなくメイベルだった。
呆然としながら駆け寄ろうとするジルを、リオは片腕で制する。
まだベル本人と決まったわけじゃない。擬態魔術で化けているか、幻覚の可能性もある。ようすもおかしい。
しかしこれでリオも迂闊には撃てなくなった。仮に偽者でも、妹の前で姉を傷つけるわけにはいかない。
……そんなことのために警察になったわけじゃない。
「ベルなの? どうして……まさか、魔法具泥棒もお姉ちゃんじゃないよね!?」
リオの腕に縋りついて涙声で叫ぶジルに、ベルの顔をした誰かは、初めて表情を変えた。
嗤ったのだ。にたり、と口角だけをひどく歪ませて。紺の双眸は虚ろなまま。
三日月形にねじれた口から発されたのは、……ベルの声だった。
「……わた、しは。〈書庫番〉……を、たすけ、たい」
その瞬間、砕けていたはずの影の鎧が再び収束した。いや、逆で、部屋全体に広がった?
曖昧なのは、そこでリオの記憶が途切れたからだ。
まだ気絶するほど撃ってはいない。なのに、ちょうど魔力を切らしたような鈍重な疲労感が襲ってきて、眼を開けていられない。
薄れゆく意識の中でジルが叫んでいる。
うまく聞き取れなかったけれど、何度か己の名前を呼ばれた気がした。
――くそ! なんで、こんなはずじゃ……俺は……俺だって、……ジルを……、……。
「さあ、記憶の扉を、開けて」
姉の顔をした襲撃者は笑う。
へたり込んでいる〈書庫番〉の手に、〈追憶鏡〉を握らせながら。
✦続く✦