3日目
結構な広さがある慈眼寺の本堂は、酒臭い寝息をあげる100人程の人達で一杯になっていた。
あちこちで鼾をたてる音が入り混じり、既に目が覚めている左衛門が再び寝付く事を難しくしていた。
他の足軽たちを踏まないように気をつけながら、ふらふらと外に出ると、八雲神社の神官たちが掃除をしていた。
框の拭き掃除をしていた神官の青年が頭を下げるので、思わず合掌で返し、
「南無阿弥陀仏」
と声をかけてしまう。
すると、神官が微笑みながら挨拶の言葉を返してきた。
「おはようございます」
神官は挨拶を返すと、掃除に戻っていってしまった。
(そういえばお経を取りに行かないと行けないんだった)
タダ飯狙いで面白楽しく数日を過ごしていたが、先を急がなければならないことを思い出した左衛門であった。
朝になり朝食の時間になると、有馬勢が持ち込んだ小麦を使って神社の神官たちが粥を作ってくれたので、全員が2列に食堂へと並んで、順番に粥を頂くことになった。 足軽たちは全員が椀と箸を持って、神官が大鍋から入れてくれる粥を受け取ろうと、整然と並んでいた。
有馬重則は九郎三郎と明石の部将と共に既に座席に座っていおり、並んでいる左衛門を見ると手招きをしながら声を掛けた。
「星野殿、こちらへお座りくだされ、こちら三好から援軍に来られた明石祐行殿にござる」
「星野左衛門にございます」
席に着くと、重則の側使えが粥を持ってきたので、つゆの一滴残らず素早く平らげる。
「おかわりを頂けますかな?有馬様、明石様、三木の別所勢は三好の大殿が大軍を率いて参戦すると信じておりますので、今日の和議で素早く決着をつければ良いと思われます。降参を受け入れる側ですので、心変わりされる前に別所の姫でも人質に頂いて連れ帰えればよいかと存じます。」
「それは良いですな、では朝餉が片付いたら早速和議の場に行きましょう」
おかわりの粥を食べ終わった左衛門は、重則に向き直って姿勢を正す。
「殿、戦も終わったことですし、某はこのまま我が殿の使いを果たしに出立しようと存じ上げます」
「そうであるか、星野殿、此度の助太刀、誠にかたじけなかったでござる。」
「それでは有馬様、ご健勝を祈ります」
食事を終えた有馬勢が慈眼寺へと移動する頃には、すでに左衛門は三木を超えて、加古川方面へと歩き始めていたのだった。
昼頃に加古川までついた左衛門は、山陽道の渡しのある高砂の方へと進み、渡し船の桟橋まで何事もなく進んで行けた、桟橋前の見張りの兵士たちに停まるようにと声をかけられた。
槍の家紋をみた兵士が、渡し船の方へと案内しながら声をかける。
「ご苦労様です、御用船があちらにおりますので、それでお渡りください」
播州兵のフリをしてただで渡し船を使う左衛門、船を降りると”西国街道 往還”と書いてある道標のある大通りの方へと進んでいく。
道なりに沿って街道をまっすぐ進むと、御着城の側を通り、日が暮れる頃には姫路の宿場街に到着した。
とりあえず飯にするか、宿を決めるかと辺りを見回していると、既に半分ほどの宿が暖簾を下げているのが見えたので、なるべく先の方にあるまだ客の呼び込みをしている宿屋を見つけ、宿を決めて、夕食を食べることにする。
鯖の塩焼きと大根の糠漬け、もずくの酢の物と豆腐の味噌汁、豆と米のご飯と、普段家で食べている食事よりもずっと豪華な献立に喜びながら、ゆっくりと食べていると、女中さんがお酒を勧めてきたが、宿屋で自腹でお酒を飲むほどお金に余裕はないので湯冷ましをもらい、番所に財布と武器をあずけると、宿の手ぬぐいと下駄を借りて宿場の銭湯に入りに行く。
「ああ、いい湯だ」
有馬温泉に行ったときに比べると非常に快適な宿泊で、これなら里にいる間よりもずっといい目を見ている気がして、出発するときの淀んだ気分はもうすっかり晴れて、これからの旅路もずっと楽しいだろうと思う左衛門であった。
「そちらさんは旅の方ですかな?どちらまでお越しになられるんで?」
湯船に肩まで浸かった老爺が話しかけてきた。
「ああ、私は殿の使いで”いえるされむ”という里まで行くんっすよ」
「はて、初めて聞く里ですな、それはまたどのような里なので?」
「河童の里っす、ウチの殿様がバテレンの河童に化かされて、河童のお経を取りに行くんっす」
「河童とはまたすごいですな、備中行ったら虎はおりますし備後に行ったら狐も出ますが、西国の獣は畿内と違ってあんまり化けて出てきたりはしませんね」
「今どきの堺の街は、河童だらけっす、道を歩けば河童がおりますっす」
「百鬼夜行じゃあるまいに、道を河童が歩いているとは、世も末ですなあ」
「そちらさんはどちらからおいでっすか?」
「安芸から京に行く所です」
「安芸っすか、そちらは今どんな感じっすか?」
「安芸は毛利の若殿が大変頑張ってますな、山陰の尼子と周防の大内とがいつも安芸を狙ってますな、摂津の方はどのような感じですかな?」
「摂津は三好の殿様が今の所一番強いっす、先日三木城の別所も三好に降ったばかりっす。加古川から先は京まで三好の殿様の配下っすから、ここから先は戦もなくて旅がしやすいと思うっす」
「これは良いことを聞きました。明日は明石か須磨の辺りまで行こうと思っておったんです」
風呂から上がる老爺、意外と筋肉質で全身刀傷だらけで、どう見ても歴戦の猛者という感じの体つきだった。一緒に風呂から上がり、手ぬぐいで体をぬぐい、服を着る。
宿屋に戻ろうと下駄に足を入れて道を行こうとすると、老爺も同じ方面に向かっており、同じ宿屋の暖簾をくぐる。
「爺様も同じ宿屋っすか、これもなにかのご縁っす、某は摂津高山飛騨守の配下で、星野左衛門と申します。お見知りおきを」
「これはこちらこそ、某は毛利安芸守の配下、国司元相と申すものじゃ、こちらこそよろしくのう」
お互いに挨拶を交わし、自分の部屋へと帰っていくのだった。