2日目
目論見通り有馬の殿様から夕食をご馳走になり、別所勢を追い出した砦の神社を寝床に一晩気持ちよく泊まれた左衛門、戦場なのも気にせずしっかりと熟睡し、朝を迎えた。
「知らない天井だ」
などとどこかで聞いたことがあるセリフを呟いてみるが、自分で思うにもたいしてカッコよくはなかったのか、何か他の朝のおふざけを考えてみる。
「そうだった、昨日これを拾ったんだった」
槍である。足軽の標準装備の1間槍で、6尺手槍と呼ばれるタイプの素槍である。後に織田信長が開発する3間槍に比べると、菜箸と爪楊枝程の差はあるものだが、播磨勢が標準装備する槍なので、柄も漆塗りで黒光りしており、刃も諸刃の鉄製で鍛造物だ。
刃渡りも手裏剣並みのチャチな作りではなく、肉きり包丁ぐらいの長さはあり、振回せば刃に当たったあたりはすぱりと切れるほどの研ぎ具合である。
「エイ、エイ!」
軽く突きと巻きの動作をしてみたが、室内で振り回すには長いのか、外に出て遊んでみようかなと思い、本堂から外に出ることにした。
本堂を出て境内を見回すと、参道からの入り口のほうが結構広くなっているので、そちらで本格的に振り回してみることにした。
村の訓練の時間に隠岐に教わった基本動作からやってみると、意外と体は覚えているもので、中断に構えて足を開き、腰を落として右手を石突きに添え、左手は槍を水平に掴み、掛け声とともに前方に槍を力いっぱい突き出す。
「エイ!」
数回同じ動作をしてから、神社の石灯籠に向かって顔の位置、両手の位置、中央と、狙いを変えながら突きの動作をすると、今度は木に向かっていき、手前に向かっている枝を敵のやりに見立てて槍で絡めとる巻きの動作を試してみる。右に数回、左に数回、次に大上段に構えてからの突きと巻き、最後に枝の先っぽを横薙に切りつけてみるが、ぶつかった枝はぶるんぶるんと数回揺れるが、なんともなかった。
「どりゃ!」
横薙に斬りつけること数回、やっとのことで枝先の葉っぱが半分に切れたので、精一杯カッコつけたセリフを口にする。
「今日はこのぐらいにしてやるか!」
すると、本堂の方から声がする。
「朝練とは、精が出ますなあ」
確か昨日の軍議のときに有馬の殿様の隣に座っていたおじさんだ、多分結構地位がある人なのだろうと思い、精一杯背伸びをした返答を試みる左衛門。
「体を動かしませんとなまってしまいますからなあ」
「それではひとつお手合わせでもお願いしましょうか?」
(しまった、カッコつけるんじゃなかった)と思いながらも、だからといってすでにやり始めている武将のフリをやめるわけにも行かず、成り行きで対戦稽古をするはめになってしまった。
槍で稽古して当たってしまったら痛いではないかと、何かあまり痛そうでないものが周りにないかと見回すと、河原の方に葦が一杯生えているのが目に入った。
「ここではいささか手狭でしょう、あちらの河原で如何でしょうか?」
「それでは、そちらにいたしましょう」
有馬の武士が先に河原へとあるき始めたのでついていきながら、ちょうど良さそうな葦を2本根本を切って、歩きながら枝葉を払ってとしていると、あっという間に河原についてしまい、武士が槍を振り回す姿が目に入った。
ブン!ブン!という音が聞こえるものすごい速度で、槍をついている武士、あんなものに当たったら今日の朝飯は三途の川の川魚だと一瞬頭に浮かんだ。
「某はは有馬九郎三郎でござります。よろしくお手合わせのほどお願い致しまする。」
「某は星野左衛門でござる、では、怪我などせぬよう、こちらを作ってみたので如何でしょうかな?」
葦の棒っきれを手渡す左衛門、それを受け取った武士は中段で数回、上段から数回と、槍のようにしごいてみる。
「これは結構よくできておりますな、」
対戦しやすそうな間合いに移動する二人、恭しくお互いに頭を下げて礼をすると、槍を中段に構えて相手の穂先と肩の動きに視線を集中する。相手の動きを見切って反撃を入れようとする武士、それを先手必勝と相手の肩口へと穂先を突きこむ左衛門。
「ドリャ!」
掛け声とともに、左衛門の棒を右から左へと巻き、叩き落として顔面に向かって突きを入れる武士、しかしその速度で動かすには葦が弱すぎ、へにょりと曲がってしまい、その隙きにと左衛門が槍を正面に戻すと、クイッと弾性を持った曲がり方で葦が武士の方の辺りをペシッと叩く。
「お見事、これはやられましたなあ」
「九郎三郎殿こそ、見事な槍捌きでございました。」
「昨日の采配はお見事でござったぞ、星野殿は槍術に忍術と、多彩なやり手でござるな」
「これはお褒めに預かり恐縮です。私めの槍術など有馬様に比べればまだまだで御座います」
しばらくお互いを褒めあってから、槍談義を始める二人、中段からの巻きの叩き方、上段からの横払い、下段からの突き上げなど、左衛門の知らない槍の動作を教える有馬、ベタ褒めされているのが気分がいいのか、どんどん新しい技を教えていると、神社の陣地から朝食の用意ができたと知らせが来て、ようやく二人の雑談も終わりになる。
ごぼうの煮付けと水菜の味噌汁、白米のご飯と、領主の戦場の食事と同じものをご馳走になり上機嫌の左衛門、隣に座る九郎三郎に今後の予定を聞いてみる。
「今日はこれから別所の城攻めですか?」
「それは父上のお考え次第であろうな。」
(なるほど、この方は重則様のお子様ということか、座っている場所を見ると序列が一番上だけれど、上の子は普通留守番だから、次男だろうな)
「これより三木の城を攻めようと思うが、皆の意見は如何かな?」
「どこまでもついていきますぞ」
「仕返しはもう致しましたので、三田に帰りましょう」
「安治の息の根を止めてしまいましょう」
意見が全然まとまらず、皆が言いたいことを言い始めてしまう。
「では、九郎三郎、そなたの考えを申してみよ」
「父上、別所は此度吉川の収穫を勝手に徴税していった件での小競り合いにございまする。別所が謝罪をして作物を返して来ると言うなら、賠償金でも取り立てればよいではありませんか」
「よし、儂もそれが良いと思うぞ、それでは使いを立てて、賠償金と作物の返還で手打ちにしようではないか。それでは、誰が使いに行ってくるのが良いか?」
一同静まり返り、誰一人物音も出さなくなってしまう。川の方から鳥のさえずりが聞こえ、ぱしゃんと、水が跳ねる音まで聞こえるほどだ。下手に答えると全然弱ってない敵陣の真っ只中に入っていって、だまし討ちした事を詰られるに決まっている。
「その役目、某にお申し付けくだされ」
誰もが顔をそむけている中、自ら名乗り出た隣領の若い衆に、全員の視線が集まると、目一杯カッコつけ始める左衛門
「今頃あやつらも神社を捨てて城にしっぽを巻いて逃げ帰って来たことを奴らの大殿に叱られていることでしょう」
「そうであろうな、別所就治は若い頃は播磨の名将と名高い男だったからな、さぞ息子が不甲斐ないことだろう」
「であるので、大殿の目の前で若殿の不甲斐なさを言い募れば、普段からの不満でも口に出ましょう、そこをつついて仲違いでもさせてみましょう」
実際には適当なことを言っておいて、また飯でも奢ってもらったら西に逃げて行ってしまおうと思いながらも、思いっきりに口から出任せをする左衛門だった。
朝食が終わってすぐに別所勢の方に出発する左衛門、手には拾った槍を持ち、腰には有馬の荷駄係からもらった煎り米入りの竹筒と水入れの竹筒を下げ、街道を西へと進んで行く。
昼過ぎ頃になると林を抜け、前の景色が開け、三木城が遠くに見えてきた。
真っ直ぐ三木城の城門まで来た左衛門が、槍に象嵌で刻まれている別所の家紋を門番に見せ、物見から帰ってきた別所勢の足軽のふりをして、城の中に入ってしまう。
本丸入り口まで誰にも呼び止められずについてしまった左衛門に、本丸前で馬の番をしている馬廻り係が声をかける。
「おーい、今は軍議の最中だ、用事なら軍議が終わってからにしておけ」
「今南の物見から戻ったところだが、殿に急ぎ報告だ!」
「ああ、お役目ご苦労さま」
「その軍議はどこでやっておるのだ?」
「え?3階の大広間にきまっておろう」
「ああ、そうだったな、ではこれを頼む、お役目ご苦労さま」
門番を騙して槍を預けて素通りする左衛門、初めてきた城なのに勝手知ったようにみえる堂々とした態度で、階段を登り、3階まで登ってしまう。
階段を数段残す程に上がると、軍議をしている広間がよく見えた。
上座には別所安治そっくりな50代の老爺が座っており、その正面に座っている後ろ姿を見ると、神社で怒鳴っていた安治であると、見て取ることができた。
一気に階段を登り、安治の右後ろに跪くと、声を張り上げる。
「伝令にございます!明石方面より三好長慶が率いる三好勢約1000がこちらに向かっております!明朝には有馬勢に加勢し、三木城を東西から包囲することと思われます。」
口から出任せであった。三好の援軍が来るかもしれないということは聞いてはいるが、有馬の話だと精々近隣の領主が100人程貸してくれるという程度だったはずだが、法螺話は大きくするものだと、10倍の兵力はいるものだと欺瞞をしてみたのだ。
階段の側に左衛門を下がらせると、喧々諤々になって言い争いを始める別所勢、答えが出ぬまま陽が傾き始める頃になると、今度は本当に伝令が入ってきた。
「伝令申し上げます、三田方面より来ている有馬の軍勢に、先程三好の旗が数本混じり始めたとのことでございます。有馬は美嚢川を渡り、八雲神社まで陣を移しておりまする。」
別所就治が苦虫を噛んだ表情で一声唸ると、全員に向かって声を放った。
「有馬に使いを出せ、停戦じゃ、三好の本陣がこちらに着く前に有馬を帰途に就かせるのだ。下手に三好長慶と当たりでもしたら、こちらが大怪我をしてしまうわい、使いには誰が行ってくれる?」
流石に昨晩までお互いに貶し合っていた間柄なだけあって、主力はほぼ全員が行きたくなさそうな顔で就治から見えないように顔をそむけている。
「その役目、ぜひこの星野左衛門にお命じください」
「おお、そなたは明石方面の物見ではないか、よくぞ言ってくれた!此度の戦で城を守り通せたらそなたの手柄であるぞ!では星野と申したな、有馬への手土産を持っていくが良い、すぐに手配をさせよう、就治、何を持たせようぞ?」
「殿!差し出がましいことを申し上げますが、有馬には吉川の年貢の返還と銀10貫文も出せば、兵を引くものと思われます!」
「なぜそう思うのじゃ?西吉川の領地を寄越せとか言われるとは思わんか?」
「播磨勢と摂津勢の境は美嚢川にございます、川向うの領地を寄越せとは軽々と言えませぬ」
「では年貢の返還を約束し、そなたは銀銭10貫文を有馬に届け、停戦の約束を取って参れ、よろしいな?頼んだぞ!」
「では、明朝昼前に慈眼寺当たりで和議を行うということで如何でしょうか?」
「はは、それでは、夕餉を取り次第出立いたします!」
「では、下に行って先に夕餉にするが良い。誰か!」
本丸の地下に行くと、井戸と台所があり、料理人たちがちょうど夕飯の仕上げをしていたところだった。
そこに顔を出した左衛門は框に腰をかけると、領主一家の御膳を用意してあったものをさっさと食べてしまう。
「あ!お前、それは大殿の御膳だぞ、なんで勝手に食っている!」
しかしそこを堂々とさも当たり前のようにドヤ顔で返す左衛門
「大殿が先に食って良いとおっしゃったのだ、これから有馬勢の真っ只中に使いに出されるんだ、最後にいいものを食って行けと思われたのだろう、食って良いと言われたから食ったのだ!」
ちょうどその時、上の階から武士が紐に縛ったお金の束をもって降りてきた。
「赤松様、大殿がこやつに食って良いなどと申されたとの事ですが、それはまことですか?」
「ああ、そんな事をおっしゃってたな、星野とやら、これを持っていくが良い。」
書状とお金の束を受け取り、お金をたすきがけに肩に掛けて、服の中にしまうと、懐に書状を入れ、本丸から出ていく左衛門、入り口の番所によって、書状を持ち上げて門番の馬廻りに見せながら声をかける。
「新しい役目を仰せつかった、気に入った武器を一つ持って行けとお許しを頂いたぞ」
「そうか、お役目ご苦労さま、こちらについて来られよ」
本丸脇の武器庫に案内された左衛門、中を見ると大太刀、脇差、弓矢、十文字槍と、色々と武器があるのが目についた。
いくつか見ると、鎖鎌をはめ込む仕掛けの鎌槍が目についたので、それを手に取り、脇差も一本腰に指す。奥の方には苦無もあるので、帯に5本ずつで用意されているものを4つで20本程撒き菱も一袋を腰帯につけ、ランドセルの形の行李を取ると、馬廻りに礼を行って、外へと出ていく。
その後ろ姿を見て、つぶやく馬廻り
「なんだ、あいつ有馬を暗殺に行かされるのか、可哀相なこった」
日が暮れる直前、八雲神社の有馬の陣に着くと、明石から来た使者と重則が会談をしている最中だった。
「では、三好長慶様は播磨を攻めるかどうかまだ決めかねているということですね」
「何か名分ときっかけがあればお攻めになるとは思うのじゃがのう」
「伝令でございます!只今使いから帰りました!こちら書状にございます!」
左衛門が提出した書状は、いつの間にか賠償金十貫文の文字が五貫文に上書きされてあった。何食わぬ顔でそれを提出すると、懐から銀銭を5貫文分を取り出し、重則へと手渡した。
「これは別所の降参での和議を願い出ではないか、お見事であったぞ」
「ご約束の賠償金でございます。取り立てた年貢は吉川に戻す旨を約束しました。」
「そうか、星野殿、此度の助太刀に感謝申し上げる、今日はゆっくりお休みくだされ、九郎三郎、星野殿をご案内せよ」
「では星野殿、こちらへ、今日は一杯如何ですかな?」
その後、せっかくのただ酒にありつけたのだからと、目一杯飲み、いつ眠りに落ちたのかも分からない星野左衛門であった。