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すぐに読める掌編シリーズ

十二時五分。

作者: 長月京子

 腕時計を確かめると、正午を少し過ぎていた。

 彼女はふうっと大きく深呼吸をした。


(とりあえずお弁当を食べよう)


 辺りを見回し、彼女は大木の陰に入る。地表に現れている根が複雑に隆起していて、ちょうど腰掛けるのに具合が良い。


 座ってから、腕に抱えていた弁当の包みに手をかける。バナナ星人という愛嬌のあるキャラクターが不規則にプリントされた大判のナフキン。


 バナナから細い手足がにゅっと生え、足先には小さな靴を履いている。いつ見ても何かを企んでいるような弓形の眼は、瞳が紫色で星形だった。


 バナナ星の王子と言う設定からはじまり、詳細な世界設定のあるシリーズの主人公。

 唇は大きく、尖った歯が強調されているシュールなキャラクターデザイン。

 王子だけが、頭上にチョコンと王冠を被っている。


 職場のデスクの上にも、バナナ星人はたくさん並んでいる。ペンやマウスパッド、卓上カレンダーなど、彼女は同じキャラクターの文房具を愛用していた。


 ナフキンの固結びを解いて広げると、二段になった楕円形の弁当箱が顔を出す。

 中身は彼女の手作りだ。食べることが大好きで、毎朝それなりに時間をかけて作っている。新婚になった同僚の愛妻弁当にはかなわないが、解凍した冷凍食品だけを詰め込むような手抜きでもない。


 少し指先に力をこめて、楕円の弁当箱の留め具を外した。カチッと音がしてプラスチックの蓋が浮く。彼女は右手でパカリと蓋をとった。


 程よく焦げ目のついた卵焼きが二切れ並ぶ。ひき肉をこねて作ったハンバーグ。ソースとケチャップに少量のカレーパウダーと数滴の醤油を垂らした特性ソースは、みじん切りにして飴色になるまで炒めた玉ねぎとあわせてある。香辛料の匂いがふんわりと鼻に届いて、彼女の空腹を刺激した。ソースと玉ねぎはしんなりと馴染んで、ハンバーグの焼き色を隠すようにとろりと光沢を放っている。


 レタスを受け皿のようにして盛りつけたポテトサラダは、休日に大量に作って、弁当用にラップで小分けにして冷凍しておいたものだ。歪なこぶりの球体は、冷凍庫から出した当初はカチコチに固まっていたが、自然解凍でお昼には食べごろのサラダに蘇る。


 弁当用なので、具材も夕食用よりは小さめに刻んであった。マヨネーズであえた柔らかなポテトに埋もれて、キュウリやニンジン、ハムの彩りが顔を出している。


 つるんと艶を放つミニトマトの赤が、弁当箱の中ではひときわ華やかに映る。斜めに切り目をいれたソーセージと並んで、生野菜の瑞々しさをアピールしているのだ。


 彼女が二段になった弁当箱の上段を持ち上げると、下段は一面が炊き込みご飯で埋め尽くされている。キノコと鶏肉とごぼうが、あちこちで出汁色に染められた米の中を泳ぐように一端を見せていた。隅っこで一筋、まるで米の海に紛れる具材を監視するように、柴漬けが存在を主張している。


 ほんのりと出汁色をした米の一部が紫に染められ、小さな弁当箱の中で、一部の米だけが出汁から柴漬けに、反旗を翻した反逆者のように見えた。


「さて」


 膝の上にナフキンを広げるようにして、弁当箱を並べる。

 箸を挟むようにして、彼女は掌を合わせた。


「いただきます」


 一口目は卵焼き。箸でつかみ上げると、きちんと渦を巻くような断面が現れる。一口サイズには大きいので、ぱくりとかぶりついた。ふわりと卵の香りが優しく口内から鼻に抜ける。砂糖の甘味が感じられるが、出汁と醤油も加えてあるので、甘すぎず主食に合うバランスだった。


 つかさず炊き込みご飯に箸先を向けて、掬いあげるようにつかみ取る。口に含むと、冷めてさらに味わい深くなっていた。少し硬めに炊いた米の歯ざわりに、時折ごぼうの繊維質な硬さが触る。ぷりっとした鶏肉の弾力や、キノコの舌触りも追い打ちをかけてくる。


「おいしい」


 彼女は顔を綻ばせる。どんなに上司に怒られて落ち込んでいても、例えば突然異世界に飛ばされたとしても、食欲だけは失わない。ご飯だけは決して粗末にしないと言うのが、彼女の長所だった。


 ハンバーグもポテトサラダもおいしい。今日のお弁当も上出来だ。

 おいしいものを食べると、気持ちも前向きになる。


 お箸で突き刺したウィンナーにかじりつくと、歯が肉をまとめる被膜をキュッと破る。続いて肉質な食感。冷めているので肉汁が零れだすことはないが、十分においしい。口内にほんのり燻製の香りが満ちる。パッケージには桜チップと書いてあったが、木漏れ日の降り注ぐ森林のような心地の良い香りだった。少し価格のするこのウィンナーに奮発して良かったと、心の底から思った。


 彼女はもぐもぐと咀嚼しながら、弁当箱から辺りに目を向ける。


「きれいだな」


 休日の昼下がりの公園のように、辺りは穏やかだった。しかし、家族連れで賑わうような様子は見られない。まるで彼女だけに貸し切られたように、人影が絶えていた。


「平日のお昼から、まるでピクニック気分」


 誰もいないことが、彼女がここで弁当を食べる気持ちを後押しした。誰もいなければ、自分を責めたり咎めたりする人もいない。


 彼女は再び卵焼きを頬ばってから、箸先でハンバーグを一口サイズに割った。いつもよりしっかりと咀嚼して、ゆっくり食べることを心掛ける。


 大木の梢を抜けてくる木漏れ日が、柔らかく揺れる。心地の良い風が優しく頬を撫でた。


「良い気持ち」


 芝生の緑が直射日光を受けて、目を焼きそうなほど鮮やかだった。少し視線を動かすと、石畳の道に沿うように花壇も作られている。赤や紫、黄色と鮮やかな花が咲き乱れている。きちんと手入れされているようで、遠景まで続く花壇は、虹をまっすぐに伸ばしたように花の色合いが整列していた。


 残念ながら彼女には花の名前がわからないが、花壇を意識すると、芝生の青臭い匂いにほんのりと花の甘い芳香が重なる。


「こんなに気持ちの良い場所でお弁当を食べられるなんて、得した気分」


 平日のランチタイム。いつもは社員に開放されている会社の屋上を利用している。設置されたベンチで、外の空気を吸いながら昼食をとるのは悪くなかった。晴れた日は穏やかで明るい場所だ。愛妻弁当を自慢する同僚をからかったり、いつも冷凍食品や菓子パンの同僚を気遣うのも楽しい。


 今日も彼女はそのつもりだった。

 そのいつも通りの予定が狂ったのは、屋上の扉を開けた時だった。


「――……」 


 咀嚼していたハンバーグを飲み込んでから、彼女は再び腕時計で時刻を確かめた。


 十二時五分。


「お弁当は食べ終わっちゃいそうだな」


 ゆっくり食べることを心掛けても、弁当箱の中身は次第に腹へと収まり、少なくなっていく。

 彼女は弁当箱の中で、形を変えずに光沢を放つミニトマトをつまんだ。艶々の表面は鮮やかに赤くて、ぴんと張っている。中途半端にかじると、きっと辺りに汁が飛ぶ。


 服にトマトのシミ汚れができるのは避けたい。

 ちまちまとかじって食べたい気もしたが、彼女は仕方なく丸ごと口に含んだ。

 噛むと、じゅっと口の中がトマトの汁で溢れる。ゆっくり噛みしめたいという彼女の気分とは裏腹に、あふれ出た水分に流されるように、数回の咀嚼ですぐに飲み込んでしまった。


 弁当箱の下段全面を覆いつくしていた炊き込みご飯も、領地を削られたかのように、半分以上減っている。柴漬けに箸をつけてかみしめると、程よい酸味と歯ごたえに思わず身ぶるいした。


「お茶でも飲みたいところだけど……」


 辺りを見回しても、会社の屋上とは違い、自動販売機らしきものはなかった。彼女は今日に限って自分のデスクに水筒を忘れて出たことを悔やむ。


 弁当箱の中身は箸を往復させるごとに、少なくなっていく。空腹も満たされつつあった。最後にとっておいた、もう一切れの卵焼きに箸をつけるのも時間の問題だ。


 弁当箱の底に広がった特製ソースを、最後のハンバーグの一かけで拭い取って、残りわずかになっていたポテトサラダの上に乗せる。サラダの受け皿であるレタスで全体を包み込むように箸先を動かして、彼女は一まとめになったものを一気に口に頬張った。


 ひき肉のしっかりとした噛み応えにポテトサラダが絡んで、コクのあるソースの味が、少しまろやかになっている。シャキシャキとしたレタスの食感も合わさって、最高のおかずミックスだった。


 しっかりと味わってから飲み込むと、炊き込み御飯の最後の一塊を箸ですくい上げる。ほどよく出汁色に染まった米は、かために炊いているおかげで、弁当箱に詰められても、形を保ったままツヤツヤと輝いている。眺めていると、新たに唾液が滲んできた。彼女はパクッと一息に頬張った。


 出汁味に、ほんのりと醤油の香りが含まれている。おかずの邪魔にならない薄めの塩気は飽きない。さらなるおかわりを要求したくなるが、残念ながら最後の一口だった。


「最後……」


 ほぼ空になった弁当箱に、最後まで居座ることが許された卵焼き。最後の一切れを箸で切り分けようかと思ったが、渦を巻くような断面と、ふっくらとした表面についた狐色の焦げ目をたしかめて、考えを改めた。彼女は思い切って一切れを箸で挟むと、ためらいなく口に放り込む。


 口内が幸せな味でいっぱいになった。甘いけれど、出汁と醤油がきちんと味覚に訴えかけてくる。応えるように唾液が溢れて踊りだす。一息に頬張って正解だったと、目尻が下がった。


 しばらく幸せを噛み締めてから、名残惜しさを感じつつ飲み込む。

 全て食べ終わってしまった。


「ごちそうさまでした」


 食べる前と同じように、箸を挟んで両手を合わせる。

 コトリと弁当箱の上下段を重ね、蓋をしてカチリと留め具をした。バナナ星人がプリントされた派手なナフキンで元どおりに包む。


 大木の梢が風に揺れて、さわさわと心地の良い葉擦れの音を奏でた。あたりは変わらず明るく、芝の緑が鮮やかだった。


 彼女は弁当箱を隆起した木の根の上に置いて、再び腕時計を見た。

 十二時五分。


「時計の電池が切れたのかな」


 それとも、夢だろうか。

 夢ならとてもお得な内容である。素敵な場所で美味しいお弁当を食べる夢。

 進まなくなった腕時計の針。

 いつから進まなくなったのだろうか。


 十二時五分。


 きっと屋上の扉を開けた時だ。

 職場のお昼休憩は十二時から。「お昼だ」とはしゃいだ気持ちで、お弁当を手に屋上へたどり着くのは十二時五分、そのくらいの時刻だ。


「ん?」


 ふっとどこかで嗅いだことのある甘い香りが鼻腔をくすぐる。石畳の道に沿う、夢のように美しい花壇の影に動きがあった。色とりどりの花に負けない鮮やかな黄色が、道の向こうに現れた。気づいた次の瞬間には、ざわざわと不穏な喧騒が広がっている。

 言葉を聞き分けることはできない。


 ざわざわ。ざわざわ。


 向こうから何かがやってくる。甘い香りがさらに濃度を高めた。花壇を飾る花弁の鮮やかに負けない黄色が、ぞろぞろと溢れ出すように、数を増やして石畳の道をやってくる。


「いたぞ、王子の運命の乙女!」


「あのお方か? あのお方が、王子に愛を誓った乙女か?」


 言葉を聞き分けると同時に、彼女は立ち上がっていた。ゾッと肌が泡立つ。


 バナナから細い手足がにゅっと生え、足先には小さな靴を履いている。何かを企んでいるような弓形の眼は、瞳が紫色で星形だった。

 唇は大きく、尖った歯が白く光る。


「バナナ星人!?」


 濃厚な甘い香りを振りまきながら、大群がわんさかとやってくる。逃げ出そうかと思ったが、足が動かない。

 完全に夢だと決めてかかって、彼女は深呼吸をする。木の根の上においた弁当箱に目を向けた。

 シュールなキャラクターデザイン。


「夢、だよね」


 ぞろぞろと石畳を埋め尽くすように、黄色い大群が迫ってくる。


「乙女! 約束の乙女!」


 甲高い声を聞きながら、彼女は記憶を巻きもどす。


 お昼休憩を満喫するために向かった屋上。席を離れる時に、パソコンの壁紙に向けて彼女は思った。壁紙。お気に入りの画像。バナナ星の王子をうつすディスプレイ。


(王子を見ていると悩むのがバカバカしくなるな。午後からもがんばろ。ほんと、この王子のお嫁さんになったら悩みもなくなりそう)


 そう考えたことに、もちろん深い意味はない。いつもの現実逃避だ。愛嬌のあるキャラクターへの皮肉をこめた呑気な感想だった。


 けれど。


 かくして、異世界への扉が開かれてしまった。

 バナナ星の王子の、運命の乙女。


 十二時五分。


 お昼休憩の時刻を迎え、彼女はパソコンの壁紙の中にいるバナナ星人を視野の外に追いだした。鼻歌を歌いながらいそいそと屋上へ向かい、いつもの扉を開くと、そこは異世界だった。

 芝の緑が鮮やかな庭。いどろり豊かな花が咲きこぼれる花壇。

 長く続く石畳の道。


 十二時五分。


 時計の針は止まっている。

 屋上だと思った扉の向こう側に広がった、予想外の光景。どういうこと?と叫んで、彼女は美しい庭をいったりきたりした。


 十二時五分。


 どれほど石畳の道を往復しただろうか。彼女が弁当を食べる冷静さを取り戻すまでにも、かなりの時間がかかった。

 にも関わらず。


 十二時五分。


 時計の針は止まっている。弁当をゆっくりと堪能したあとも、変わらない時計の盤面。

 微動だにしない秒針。


「約束の乙女!」


 歓声が聞こえる。

 世界を覆いつくすような勢いで、甘い香りが充満していた。

 ぞろぞろと現れた黄色い影。


「約束の乙女! 王子の(めい)を受け、お迎えに上がりました!」


 ひときわ立派なバナナ星人が、細い脚を折り曲げて膝まづく。


 十二時五分。


 彼女はバナナ星の王子の運命の乙女として、迎えられた。


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