悔しいの?(2/2)
「誰なの!?」
自分を鼓舞するように大声を出したけれど、すぐに立ち尽くしてしまった。だって部屋の中がひどく荒らされていたから。奥に見慣れない小さな子どもがいる。
「だ、誰よ、あなた!?」
私は固く拳を握り、その怪しい人物に向かって怒声を飛ばした。
その子は汚い身なりで、体中泥や土埃で汚れていた。服はぼろ切れみたいなものを身にまとっているだけだったし、靴も履いていない。
顔を私とは反対側に向けているからはっきりとは分からなかったけど、多分女の子だろう。歳は十三歳くらいかしら。
私が大声を出してもその子はまったく怯んだような気配がなかった。床に膝をつけて何かをビリビリと裂いている。さっき私が聞いた不審な物音はこれだったらしい。
「ちょっと、人を呼ぶ……」
焦れた私はひっくり返された机や中身が出てしまっている枕を踏まないように気をつけて部屋の中に入った。しかし、言葉がそれ以上続かない。
少女が切り裂いていたのはラフィエルさんが私に送ってくれた白いローブだった。しかもその横には粉々になった透き通る破片も散らばっている。近くにヒールだけになったガラスの靴が転がっていた。
それを見た瞬間、いっぺんに血の気が引いていくのを感じずにはいられなかった。
「あなた、何てことを……!」
絶望のあまり声が掠れるのが分かる。そのとき初めて少女が私の方を向いた。彼女の顔を見た私は息が止まりそうになる。
「悔しいの? ディアーナ」
少女の汚れきった顔には憎しみと喜びが浮かんでいた。
私はよろよろと後ずさった。頭の中にデュラン家での生活が蘇ってくる。
いつも私に家事を押しつけていた少女。お喋りが好きでワガママな腹違いの妹。
浮浪者みたいな身なりをしてラフィエルさんからの贈り物をめちゃくちゃにしてしまったこの侵入者は、レイラさんだった。
私は混乱しながら口元を手で覆う。
「何で……どうして……?」
デュラン家の人たちはラフィエルさんの罠に嵌まって皆牢獄行きになったはずだ。
未成年のレイラさんだけは監獄じゃなくて施設に送られることになったと聞いていたけど、こんな形で再会するなんて夢にも思っていなかった。
「あたしね、逃げてきたの」
レイラさんがゆっくりと立ち上がる。少し見ない内に背が伸びたかもしれない。それでもまだ私よりは小さかったけど、ひどい格好をしていることもあって、まるで知らない人と話しているような気分になってしまう。
「あたし、先月誕生日を迎えて十四歳になったんだよ。そしたらね、施設の長官が『ここは未成年を入れておく場所だからお前には別のところに移ってもらう』って言い出したの」
レイラさんは顔を歪めた。
「あんな施設、全然楽しいところじゃなかったから、それは別によかったんだけどさ。でも、その送り先って言うのがろくでもないところばっかり! だからね、逃げたの」
レイラさんは高い声でケタケタと笑った。狂気すらも感じさせるその姿に私は鳥肌を立てる。
「でもさあ、逃亡生活って案外大変なんだよねえ。ご飯はないし、雨が降ったら寒いし。だけど、あたしは挫けなかった。絶対にディアーナに会うんだって決めてたから」
「わ、私に……?」
予想外の言葉に声が震えた。レイラさんはニタニタと笑っている。
「会って仕返ししようって思ってたんだよ。だって不公平じゃん。あたしがこんなに辛い思いしてんのに、ディアーナだけお金持ちの綺麗な男の人に愛されてるなんてさあ」
レイラさんの目的は復讐だった。レイラさんが入れられた施設からニューゲート城まではかなり離れているはずなのに、私を憎む気持ちだけで彼女はその距離を飛び越えてしまったんだ。
あまりのことに目眩がする。足に力が入らなくなりそうだ。
「それで何とかこの町に忍び込んだら、皆が噂してんのを聞いちゃったの。『ラフィエル様の女神様がパン屋で住み込みのお仕事をしてる』って。それだけじゃなくて、『女神様は白いローブとガラスの靴を身につけて今夜の舞踏会でラフィエル様とダンスするらしい』なんて言ってる人もいたんだよ」
レイラさんは辺りに散らばっている服と靴の残骸を汚い足の裏で踏みつけた。
「そんなことさせるわけにはいかないじゃん? だから舞踏会に行けなくしてやったの。いい気味だよ。ざまあみろって感じ。でも……これだけじゃ、まだ足りないかなあ……」
レイラさんが私に近寄ってくる。唖然としていた私は我に返った。
「どうせなら服と靴だけじゃなくて、ディアーナの顔もめちゃくちゃにしちゃうのも悪くないと思わない? ディアーナって元からブスだけど、それ以上ひどい見た目になったらニューゲート家のご当主様だってきっとあんたに見向きもしなくなるからさあ!」
レイラさんが飛びかかってくる。私はすんでのところでそれをよけた。レイラさんの手が掴んだのは、私が頭に被っていたスカーフだった。
「……っ!」
顎の下で布の端同士を結んでいたから首が絞まりかけたけど、私は必死でその結び目を解き、部屋の外へと這い出た。




