舞踏会、間近(1/1)
「ねえ、女神ちゃんは『夜の聖女の降誕祭』、どうやって過ごすの?」
私が床を磨いていると、同じく掃除をしていた『ムーランおばさんのパンの店』の同僚の女の子が話しかけてきた。
『夜の聖女の降誕祭』は、女神の化身である夜の聖女がこの国に降り立った日を祝う祭だ。当日は貴族も平民もあちこちで開かれているお祭りや舞踏会に参加するのが普通だった。
「どうって、別にいつも通りよ」
私はブラシで床を擦りながら返事する。
「いつも通りこのお店で働いて、それが終わったらベッドへ行くわ」
「夢がないなぁ」
同僚は頬を膨らませる。
「私ね、その日はお休みをもらったんだよ。ニューゲート城で開かれる舞踏会に行くんだぁ。 領民なら身分に関係なく参加できるって言うからさ。ちょっとずつ貯めたお給料で、服や靴も新調したんだよ!」
「ニューゲート城で……?」
私は呆ける。そして、思い出した。前にギャラリーで踊ったときにラフィエルさんが、『降誕祭当日はここで舞踏会を開く』って話してくれたことを。
それだけじゃない。ラフィエルさんは、「その舞踏会で君には僕と踊ってもらいます」とも言っていた。
「私、てっきり女神ちゃんも舞踏会に行くのかと思ってたんだけど……」
「わ、私は……」
昔のことを思い出した私の中で甘い感情が頭をもたげる。またあのときみたいにラフィエルさんと踊れたらどんなに素敵だろう。
「行かないわ」
でも、私は首を振った。
「舞踏会に着ていくドレスなんか持ってないもの。こんな薄汚れた作業着と灰まみれの姿で出席するわけにはいかないでしょう?」
私は自分の格好を同僚に見せるように大きく手を広げた。
今の私は掃除の際に出た汚れで、頭に巻いているスカーフから手足に至るまで黒や灰色で汚れている。
「そんなの洗えばいいじゃん。この後、お店の制服に着替えるときみたいにさ」
同僚は首を傾げる。
「それに私、どんな格好でもラフィエル様なら気にしないと思うな。だって女神ちゃんはラフィエル様の『女神』なんだもん。ラフィエル様、女神ちゃんが舞踏会に来てくれるだけで嬉しいと思うけど」
私がラフィエルさんの女神だっていうことは、いつの間にかこの城下町に住んでいる人皆の知るところとなっていた。
でも、彼らはその『女神』が考えあってラフィエルさんから離れているとは思っていないようだ。薄々何かを察している人はいるみたいだったけど、気を使っているのか何か聞いてくることはない。
それはムーランさんも同じで、私がここで働かせて欲しいと頼んだときも根掘り葉掘り質問されたりはしなかった。
「ラフィエル様、女神ちゃんが来なかったら悲しむんじゃないの?」
「……どうかしら」
私は水が入った桶にブラシを投げ入れて、逃げるようにその場から退散した。
それでも、頭の中は同僚との会話でいっぱいになっている。
ラフィエルさん、あのときの約束をまだ覚えていて、私と踊る気でいるのかしら。私が行かなかったらガッカリするかしら。
そうだったらいいなと思う反面、真逆の可能性のことも考えずにはいられない。私のことを完全に忘れてしまって、今では踊りたいなんてこれっぽっちも感じていない……。
「この服、とっても綺麗!」
「こっちの髪飾りも素敵ねえ」
入り口の掃き掃除をするために外に出ると、向かいの古着屋さんから黄色い声が聞こえてくる。
若い女性二人組のお客さんだ。彼女たちの応対をするために、店員さんが奥からやって来た。
「さすがお目が高い! その服も髪飾りも昨日入荷したばかりなんですよ。もしかして舞踏会に着ていくんですか?」
「ええ、そうよ!」
「きっと素敵な出会いがあるはずだもの! 行かない手はないでしょう?」
二人はきゃあきゃあ言い合って笑っている。
「ところでこれ、おいくら?」
女の子からの質問に店員が答える。古着としては妥当な金額だ。
……でも、私が今まで貯めてきたお金じゃ、足りないわね。ムーランさんに頼めば前借りできるかもしれないけど……。
いつの間にかそんなことを考えている自分に気が付いてハッとなる。私、無意識の内に舞踏会に行くことを考えてたの? ラフィエルさんにとっては招かれざる客かもしれないのに……。
「よし、買うわ!」
「あたしも!」
女の子たちは服と髪飾りを持ってお店を後にした。店員が「まいどありー!」と元気に礼を言っている。
……残念、先を越されちゃった。
やっぱり私、舞踏会には行けないんだわ。
魔法使いみたいに、あっという間に高価な服やアクセサリーをたくさん用意できるラフィエルさんとは違うんだもの。パン屋さんで住み込みのお仕事を始めたばかりの私には、お金なんて全然ないんだから。
それでも、やっぱり諦めきれない自分がいる。
そんな気持ちを持て余すようにぼんやりとした気分で過ごしている内に、その日はあっという間に閉店時間を迎えることになってしまった。




