今までありがとう(2/2)
「誰が悪いとか、そういう話はやめましょう」
そのまま長い時間が過ぎ、やっと私は落ち着いてきた。立てた膝に顎を埋めながら、力なくラフィエルさんに話しかける。
「不毛なだけだわ。言い合いをしたって、母様が戻ってくるわけじゃないもの」
そう言いながら、私は額に手を当てた。また病気がぶり返してしまったみたいに、体温が上がっている。
「……そうですね。女神の言う通りです」
ラフィエルさんが呟く。でもその声には、自分を責めるような雰囲気がまとわりついていた。
けれど、私はそのことを指摘しない。だって私も内心ではまだ、母様の死は自分のせいだって思っていたから。
「……ラフィエルさん、今までありがとう」
そんな自分の気持ちを押さえ込むように、私はラフィエルさんに礼を言った。
「母様をここに住まわせてくれたこと、感謝してるわ。母様、喜んでいたの。だってたくさん自然に触れ合えたんですもの。きっととても楽しかったと思うわ。私もそんな母様が見られて本当によかった。もうそれだけで十分よ」
「……何だか、これで最後みたいな言い方ですね」
「……最後だもの」
私は静かに返事した。
「私……ここを出て行くわ」
――あなたは強い子。一人でもやっていけるわ。
私は母様の言っていたことを思い出していた。
失ったものがあまりにも大きすぎてつい忘れそうになるけど、母様の言葉はまだ私の中で生きている。ううん、生き続けてもらわないといけない。いなくなってしまった母様の代わりに、その想いだけでも私の中に残しておきたかったから。
そのためには、母様の言ったことを実行に移す必要があった。
「……そうですか」
ラフィエルさんは止めなかった。きっと彼なりに今まで色々と葛藤していたんだろう。
その整った横顔からは、彼の複雑な心の中が透けて見える気がした。ラフィエルさんは苦しんでいた。私を手放したくないと思っている。
でも、そんな自分の心を殺してまで私の考えに賛成してくれたんだ。そのことに気が付いた私はラフィエルさんへの愛情を感じてしまったけど、もうそんなものには溺れないと決めていたから、あえて無感情な顔をするように心がけた。
「今までよくしてくれて、ありがとう」
それでもお礼は言っておいた。少しだけ声が震えてしまう。
「僕の方こそ、ありがとうございました」
ラフィエルさんも私に感謝の言葉を伝えてきた。
「君が現実の世界に現れたあの日のこと。そして、一緒に過ごした日々。全部忘れません、女神。……いえ、もう『女神』ではなく、『ディアーナさん』と呼ぶべきなのでしょうか」
「女神でいいわ」
切り捨てられたように感じて、私は身震いした。自分から別れると言っておいてこんな風に思ってしまうのはおかしいのかもしれないけど、ラフィエルさんがずっと遠くへ行ってしまうような気がしたんだ。
自分の中にまだラフィエルさんと離れたくないと感じている気持ちが残っているのを知ってしまい、私は狼狽えて横を向く。
「……そうですね」
ラフィエルさんはそんな私に気付いているのかいないのか、小さな声を出した。
「君は僕の女神です。これからも、永遠に」
私もラフィエルさんも、きっとまだ一緒にいたいと思っている。
それもそれで一つの幸せの形なのかもしれない。
でも、私たちがさらにその先に進むには、少し離れてみる必要があるんだろう。母様の残してくれた言葉を無駄にしないというだけじゃなくて、私たち自身のためにも、距離を置くのはきっと大切なはずだ。
それから数日後、私はニューゲート城を後にした。小さくなっていく白鳥の館を見ながら、私はこれまでのこと、そして、これからのことをずっと考え続けていた。




