今までありがとう(1/2)
私の嫌な予感は現実になった。それから二日後、母様は眠るようにひっそりと息を引き取った。
母様はニューゲート城の城下町近くにある墓地に埋葬された。お葬式が終わりコマドリの館へ帰った私は、ぐったりしながら自室の椅子にもたれかかる。
母様は病気になって何日間か寝込むことになってしまった私を休まずに介抱していたらしい。
先生からも無理をするのはよくないと忠告されていたみたいだったけど、母様はそれを無視した。「私の子どもなんですから、私が面倒を見ます」と言って聞かなかったそうだ。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
タニアさんがクローゼットを開けながら尋ねてくる。喪服のままだった私に着替えを出そうとしたらしかった。
「……うん」
返事はしたけど、本当に大丈夫なのかは疑問だった。
それだけじゃない。悲しいのか、苦しいのか、不安なのか、自分の気持ちが何も分からなかった。まるで私の中から心が消え去ってしまったみたいに何も感じない。感じたくもない。
「……少し外の空気を吸ってきます」
淀んだ声でそう告げると、タニアさんは「分かりました」と言ってクローゼットを閉める。心配そうな顔だ。
「あたしも一緒に行きましょうか?」
「ううん。一人で平気です」
私はタニアさんの提案を拒否して椅子から立ち上がった。一人になりたかったのかしら? とふと思ってしまったけど、よく分からなかった。そんなことさえ理解できなくなっているみたいだった。
コマドリの館を出る。今日は曇りだ。厚い雲が空一面に広がる光景を見ながら、今の私の顔もこんな風にどんよりしているのかもしれない、とぼんやりと考えた。
それでも冷たい秋風を浴びている内に私の頭は冴えてきた。足は自然と前に母様と散歩したコースを辿っている。
……最近の母様、とても生き生きとしてたのに。
時々元気だった頃に戻ったみたいに見える瞬間だってあった。そんな場面に出くわす度、いつも思ったんだ。もしかしたら母様、よくなるんじゃないのかしら、って。
でも、そんな奇跡は起きなかった。お医者さんたちが言っていた通り、母様は長くは持たなかったんだ。
……持たなかった? ううん、そうじゃない。
母様の具合が悪くなったのは無理して私の看病をしたからだ。そうじゃなかったら、きっと今でも生きていられたのに。病気が治った私とお話ししたりまたお散歩に行ったりできたはずなのに。
母様の命を縮めてしまったのは私だ。私が母様を死に追いやったんだ。
そんな最悪の結論に達してしまった私はその場に立ち竦む。手足の先が段々と冷たくなっていくような感覚がした。
私が殺した。大切な母様を私が……。
ふと、サアアァ……と水が流れる音が聞こえてくるのに気が付いた。うつむいていた私は顔を上げる。いつの間にか、母様が舟遊びをした池まで来ていた。
暗闇に引きずり込まれそうな心地になっていた私は、その清らかな水音に少し心が解きほぐされるのを感じた。そして、池の側にラフィエルさんが座り込んでいるのを認める。
「ラフィエルさん?」
声をかけると、喪服姿のラフィエルさんが振り向いた。その頬が濡れている。もしかして泣いていたの?
そう思った途端に、閉ざされていた心が揺れ動くのを感じた。目から涙がこぼれ落ちる。次の瞬間には、私は叫ぶような嗚咽を漏らしていた。
悲しくて、苦しくて、不安でたまらない。さっきまで空っぽだったはずの私の心の中は、今では爆発しそうなくらいに色々な感情で溢れかえっていた。
その衝撃に耐えられずに、私は走り出す。ラフィエルさんの傍まで駆け寄って、その隣にへたり込んだ。
「悲しいんですね、女神」
ラフィエルさんが掠れた声で話しかけてくる。
「僕もです」
ラフィエルさんは肩を震わせていた。けれど、私みたいに泣き叫んだりしない。
私はずっとラフィエルさんのことを意識して平静に振る舞っているんだと思っていた。でも、本当は違ったのかもしれない。ラフィエルさんはきっと、怒鳴ったり泣き喚いたりできない人なんだろう。
それでもラフィエルさんが抱えている悲しみは、私の感じている辛さと何も変わらないはずだ。悲壮な気持ちが、この寒空の下の池みたいに深く冷え冷えと彼の心を侵食しているに違いなかった。
「私の……私のせいだわ」
私はしゃくり上げながら首を振った。
「私が病気になんかなったから……。そのせいで母様が……」
「……悪いのは僕です」
ラフィエルさんが私の話を遮って、虚ろな顔で水面を見る。
「本当に愚かでした。女神があんなことになってしまったのは、僕が投げた瓶を拾いに行って雨に打たれたからです。その結果、僕は二人の女性を不幸にしてしまいました。君と君のお母様です」
ラフィエルさんのせい?
違うわ、そうじゃない。悪いのは私よ。
そう言いたかったけど、息が詰まって声が出なかった。私は胸元をぎゅっと掴みながら、体をこわばらせる。
そんな私にラフィエルさんは何もしなかった。慰めの言葉もかけず、肩を抱きもしない。ただ隣にいただけだ。
でも、それでよかった。そうじゃなかったら私、きっと今以上に暗い気持ちになっていたはずだ。
優しくしてくれるラフィエルさんを私は頼ってしまうに決まってる。そうなったら、一人じゃ悲しむことさえできないんだって感じてしまうに違いなかった。




