あなたは一人でもやっていける(1/1)
「……ってことがあったのよ」
デートが終わりニューゲート城へ帰った私は、早速母様に今日の出来事を報告した。
「ラフィエルさん、多分私のこと好きなのよ。でも、本人がそれに気がついてないの。どうすれば自分の気持ちを自覚してくれるのかしら?」
「そうねえ……」
母様はベッドから身を起こした状態で、考え深げに両手の指を組み合わせた。
「もっと積極的にアプローチしてみれば? 押して、押して、押して……」
「どこまで押したらいいの?」
私は困惑する。母様が笑い声を立てた。
「もちろん、ずっと押しっぱなしじゃないわ。ここぞっていうときに引くのよ。甘えて、おねだりして、拗ねて……相手の注意を十分に引きつけてから、少ししおらしくしてみるの。上手くいけば、これでイチコロよ」
「母様もそうやって父様のこと夢中にさせたの?」
「そんなわけないでしょう。これは母様が働いていたお店の娼婦さんたちから聞いたお話よ」
なるほど、プロから教わったテクニックなのね。それなら信用できるかもしれない。
でも、『甘えて、おねだりして、拗ねて』なんて言われてもね……。そんなこと、私に上手くできるかしら?
「ねえ、ディアーナ」
考え込んでいると、母様が不意に真剣な声を出した。
「あなた、母様が死んだらどうするつもりなの?」
突然不穏な質問をされて、心臓を掴み上げられたような感覚がした。私は顔をこわばらせながら、母様の痩せた手を取る。
「いきなり何言ってるの。母様はまだ……」
「ディアーナ、ダメよ。近い内に必ず起ることから目を背けちゃ」
母様の瞳が強く光る。その静かだけど強烈な輝きから、私は目をそらせなくなってしまった。
「ディアーナ、思い出して。ラフィエル様があなたをここへ置いておくのは、名目上は母様の養生のためなのよ。って言うことは、母様がいなくなったらあなたはここにいる理由がなくなるわ」
「あっ……」
私は口を両手で覆う。そんなこと、今まで考えたこともなかった。
「ディアーナは母様が死んだらここを出て行かないといけない。そうじゃないかしら?」
「で、でも、ラフィエルさんがそんなこと許すはずないわ」
私は胸元をさすりながら言った。動悸が激しくなっていくのが分かる。
「だって私、ラフィエルさんの女神なのよ。そんな人をラフィエルさんは手放したりしないわ、絶対に」
この考えはきっと間違っていないはずだ。私は大きく息を吐いた。『女神』なんて自分の立場を現わすのに不適当な言葉だと思っていたけど、ここではそのことは一旦忘れることにしよう。
「それに……」
私は母様の目を見て続ける。
「私だってラフィエルさんと離れたくないもの。だから一緒にいるわ」
「……そう」
母様はふっと表情を和らげると、私の頭を撫でた。
「ディアーナはそうしたいのね。だったら自分の心に従いなさい」
母様の温もりが痩せた手のひらから伝わってくる。この温かさがもうすぐ失われてしまうと思うと、何だか涙が出そうだった。
私は肩を震わせながらうつむく。
「でもね、ディアーナ。これだけは覚えておいて」
そんな私を優しく抱きしめながら母様が囁いた。
「あなたは強い子。一人でもやっていけるわ」
私は涙を堪えながら頷く。何故か母様のその言葉は、白い服に落ちた黒インクの汚れのように、私の頭の奥底に染みついて離れなかった。




