どうして恋してるって自覚がないのかしら(1/1)
タニアさんオススメのパン屋さん、『ムーランおばさんのパンの店』は、城下町の一番外れの入り組んだ路地裏にあった。
ちょっと薄暗い場所に建ってるけど、外壁が明るい黄色で塗られていて、屋根には風車のオブジェがついているから、何だか可愛らしい印象を受けるお店だ。
それに、あんまり交通の便がいい場所にあるわけじゃないのに、お昼時っていう時間帯のせいなのか、ショーウィンドウから見える店内にはたくさんお客さんがいた。タニアさんやラフィエルさんがイチオシするだけあって人気店みたいだ。
「いらっしゃい……って、おやまあ、ラフィエル様じゃないかい」
私たち四人組が入店すると、恰幅のいい中年女性が出迎えてくれた。
「今日はえらく大人数で来たもんだねぇ。お友だちかい?」
「うちで働いている人たちと女神です、ムーランさん」
「おや、そうかい。じゃあ好きなパンを選んどくれ」
どうも、この女の人が『ムーランおばさんのパンの店』の店長みたいだ。それに、やっぱり私がラフィエルさんの『女神』なことについて、何の疑問も持っていないらしい。
店内には飲食するスペースもあって、皆、買ったパンをそこで食べていた。どこにも空いている席はなかったけど、ムーランさんがタイミングよくお客さんが捌けた隙を狙って、窓際の机に『予約済み』の札を置く。
どうやらそこで食事して欲しいって言ってるみたいだ。
「女神、どれにしますか」
大きなテーブルや棚の上に色々なパンが並べられたカゴが置いてある。ラフィエルさんに促されて、私は一つ一つじっくり見ていった。
カスタードの詰まったデニッシュ、小さくて固めのプレッツェル、まん丸のマフィン……どれもとっても美味しそう! 目移りしてしまって中々選べない。
「あたし、これにします! ブリオッシュ!」
「では私も」
「やっぱり『ムーランおばさんのパンの店』と言えばこれですよね」
私が迷っている間に、ラフィエルさんたちはすぐに食べたいものを選んでしまった。しかも全員同じものをチョイスしている。円柱みたいな形のパンだ。
「それ、有名なの?」
「はい、このお店の一番人気ですよ」
三人分のブリオッシュが載ったトレイを見ながら尋ねると、ラフィエルさんがうっとりとした顔になる。確かに、他のお客さんもこのパンを手に取っている人が多かった。
「私もそれにするわ」
迷ったときは人気があるものを選ぶに限る。ギヨームさんに頼んで私の分のブリオッシュも取り分けてもらった。
「ラフィエル様ご一行のご案内~」
四人分のブリオッシュが載ったトレイを持って喫茶スペースに行こうとすると、店員さんが高らかに宣言する。その一言で、皆がさっと道を空けた。まるで訓練された軍隊みたいな動きにちょっと面食らってしまう。
でも、ラフィエルさんは全然気にしないで人波が割れた道をすいすいと歩いて行った。こういうの、よくあることみたいだ。
「わーい! いただきまーす!」
席に着くなり、タニアさんがご機嫌な顔でブリオッシュにかぶりつく。そして「相変わらず美味しいです!」と笑顔になった。
その様子をギヨームさんが微笑ましそうに見ている。やっぱりお似合いなのかもしれないわね、この二人。
私もタニアさんに倣って、早速ブリオッシュをいただくことにする。と言っても、かぶりついたりしないで、ちゃんと手で千切ったけどね。
「わぁ……フワフワね!」
まだ食べてないのに触っただけでふんわりした感覚が伝わってきて心が躍った。千切ったパンの断面は、このお店の外壁みたいな黄色い色をしている。
「いただきます」
一口大に切ったブリオッシュを口へ運ぶ。
その途端、ふわっとしたバターの香りが口いっぱいに広がった。それだけじゃなくて、ほんのりと甘みも感じられる。食感も夢のように柔らかくて、まるで雲を食べているみたいな気分だった。
「これが一番人気なの分かるわ。だってとっても……」
はしゃぎながらラフィエルさんの方を向いた私は口をつぐんだ。だってラフィエルさん、さっきギヨームさんがタニアさんを眺めていたのと同じ目で私を見ていたんだもの。
「とっても、何ですか?」
「……とっても美味しいわ」
尋ねられて慌てて返事した。飲み物が入ったグラスを忙しなく傾ける。
ラフィエルさん、こんなにも『好き』が溢れた顔をするのに、どうして私に恋してるって自覚がないのかしら? それとも、ラフィエルさんから感じられる愛情は、恋愛感情とは別の何かなの?
「ラフィエル様、よかったら、これ」
私たちのテーブルにムーランさんが近寄ってくる。そして、大きな紙袋を渡してきた。中を見てみると、お店で売られているパンがたくさん入っている。
「お土産だよ」
「ありがとうございます。女神、君の好きなブリオッシュも入っていますよ。夕食の後にでもまた出してもらいましょう」
「そうね……」
私は頷きかけたけど、すぐにあることを思いつく。
「母様にもここのパン、食べさせてあげたいわ。だからそれは母様に出してあげて」
「おや、またお母様ですか。女神は本当にお母様がお好きですね」
ラフィエルさんはパンが入った袋をギヨームさんに渡して、自分のブリオッシュを千切った。
「でも、僕もあの人は好きですよ。ああいう人がお母様なら、悪くないかもしれませんね」
意外な発言だ。だってラフィエルさん、血の繋がりに何の意味も見出してなかったような人だったのに。
そんな人の考えを変えてしまうなんて、やっぱり母様はすごい。……ああ、そうだ! 私とラフィエルさんのことも母様に相談してみようかしら?
いいことを思いついた私は、その後も満足した気分で食事を続けた。




