お買い上げされました(1/2)
何が黒髪はお守りだ。何が夜の聖女の色だ。
夕方が迫りかける時刻。道を行く馬車に揺られながら、私は心の中で呪いの言葉を吐いていた。
実の妹に、はした金と引き換えに売られてしまった私。そんな私のどこに、夜の聖女の加護かかかっているっていうんだろう。『呪い』の間違いじゃないのかしら!?
周囲には、檻のように鉄柵が張り巡らされている。私が入れられているのは、家畜を運ぶときに使われる荷馬車だった。
そこには、私の他にも何人か『乗客』が乗っていた。昨日の夜から次の日の昼間にかけて、奴隷商が休みなくあちこち回って集めた『商品』たちだ。
その『商品』たちは、皆ぐったりした顔をしていた。元気なのは私くらいだ。
って言っても、その私もかなり疲れていた。丸一日何も食べさせてもらっていないし、脱出しようとして少し前まで散々暴れていたから。あまりのうるささに耐えかねた奴隷商が私を縄で縛らなかったら、今でも騒いでいたと思う。
「さあて、もうすぐお前たちのご主人様に会えるぞ」
奴隷商の嬉しそうな声がする。目をやると、遠くに大きな建物が見えた。後ろ手に縛られ、床に転がされたまま、私は思わず尋ねる。
「どこよ、あそこ」
「ある貴族のお住まいさ」
奴隷商は上機嫌で答えた。
「今夜、あそこで舞踏会が開かれてるらしいぜ。金持ちたちも、さぞかしたんまり来るに違いない。こんな大もうけの機会を逃すわけにはいかんからな」
ひひひ、と奴隷商は笑う。私は「この悪党」と罵った。
でも、これはチャンスだ。奴隷の受け渡しをするには、私の縄を解いてこの檻を開かないといけない。そのときに、隙を見て逃げ出せばいいんだ。お客さんがたくさんいるのなら、人混みに紛れて奴隷商を撒くなんて、きっと簡単だ。
問題は、私を買ってくれる人がいるのかってことだけど……。それは、今心配しても仕方がないことだった。
それで、逃げた後は……。
また戻る。デュラン家に。意地悪な姉妹とばあや、それに辛い家事労働が待つあの家に。
しょうがない。だって、あそこには母様がいるんだから。病気の母様を放ってどこかに行くなんて、絶対にできない。もし母様が健康だったら、あんな家、とっくに二人で出て行っているに決まっていた。
……大丈夫かな、母様。
私以外に、あの家で母様の面倒を見る人はいない。ちゃんとご飯食べてる? 寝る前に体を拭くのだって、一人でできてるかしら?
考えれば考えるほど不安になってくる。やっぱり早く帰らないといけない、と私は決意を固めた。
館の門が見えてくる。
わあ、すごい大きさ! 同時に馬車が三台くらい余裕で通行できそう。うちの家のボロボロの正門とは大違いだ。
装飾も豪華なものがついている。鳥の羽がモチーフみたいだ。どことなく可愛らしい。
「行ってらっしゃいませ」
奴隷商から賄賂らしいものを握らされた門番が、何食わぬ顔で荷馬車を通した。どうも、この館の住人に許可を取って商売をするわけじゃないらしい。
荷馬車がガタガタ音を立てながら館の中を進行する。すれ違うのは、煌びやかな服装の男女たち。舞踏会の参加者かしら。皆、檻の中の私たちを、物珍しそうに見ていた。
荷馬車が中庭に入る。この庭だけで、私の家の何十倍も広い。鏡のように水面が光る池や、丁寧に剪定された庭木の数々を見ながら、ここの住人はどんな人なんだろうとぼんやり考えた。
「さあ皆さん、お立ち会い! 活きのいい男女が揃ってるよ!」
馬車から降りた奴隷商が声を張り上げる。ここで商売を始めるみたいだ。
「買わなきゃ損だよ! さあさあ、見ていっておくれ!」
威勢のいい声に釣られて、人が集まってくる。彼らは品定めするように、檻の中の『商品』たちを見ていた。
「あの男の子、中々ね。愛玩用に一つ買おうかしら?」
「ふひひ……美人が揃ってるじゃねえか」
「あら? あの子、黒髪じゃない?」
好き勝手なことを言う人々の中から、私に言及する台詞が聞こえてきてドキリとした。顔を上げると、人の良さそうな老婦人と目が合う。
「お願いです! 私を買ってください!」
助かるチャンスだ、と思い、私は必死で声を上げた。しかし、老婦人は眉をひそめる。
「やだ、汚い。まるで野良犬ね。うちが泥だらけになりそうだわ」
老婦人はどこかへ行ってしまった。私は愕然としながら、「待ってください!」と叫び、柵の傍へと近づこうとした。
でも、縛られているせいで上手く身動きが取れず、そのまま無様に転んでしまう。
「うわ、かわいそー」
「ひどい頭ね、どうしたのかしら」
「ゴミ捨て場から拾ってきたみたいな格好だわ」
クスクスと周りから嘲笑が漏れる。私は床にうずくまりながら唇を噛んだ。
悪口なんて、デュラン家で毎日のように聞かされているから慣れていた。でも、今耳に入ってくる嘲りの言葉は、確実に私の心を深くえぐっていた。
デュラン家のいじわるな住人だけじゃなくて、外の人から見ても私はみすぼらしいんだという現実を突きつけられた気分だった。
町へ買い物に行くことはあるけど、そのときはフードのついたケープを着て、自分の姿をよく見えないようにしていた。でも今、私を隠してくれるものは何もない。
ぼろ切れみたいな服も、ガサガサになった肌も、丸刈りの頭も丸見えだ。とてもじゃないけど、胸を張って人前に出られる見た目じゃない。
「……私を買ってください」
それでも、私は顔を上げた。
「私を買ってください!」
大声を出すことで、自分の気持ちを奮い立たせる。心に思い浮かべるのは、母様の顔だ。
いつだってそうしてきたんだ。妹に意地悪されたときも、姉様にバカにされたときも、ばあやに白い目で見られたときも、私はいつも心の中で母様のことを考えながら、ずっと耐えてきた。
私は母様のところへ行かないといけない。母様を助けないといけないんだ。
「私を買ってください!」
私の大声に、皆は怯んだみたいだ。しん、と沈黙が流れる。
「何をしているんです」
それを破ったのは、少しハスキーな男性の声だった。
海が二つに割れるように、人々が脇に退く。そこからやって来た人を見て、私は息を呑んだ。
とても綺麗な男の人だ。
歳は、二十歳前後くらいかしら。すらりとした体つき、透けるようなプラチナブロンドの長い髪、深い色合いの青い目……。険しい表情をしてはいるけれど、そんな顔でさえも美しかった。どことなく中性的な容姿だ。
「これは坊ちゃん、お一つお買い上げになりませんか?」
従者らしい二十代前半くらいの男性を後ろに従え、高価な夜会服に身を包んだその姿は、どこからどう見てもいいところのご令息だ。奴隷商は舌なめずりしながら、この貴公子に商談を持ちかける。
「今日は、特別な商品も入荷しているんですよ。なんと、夜の……」
「あなた、誰に向かって話しかけているんですか」
貴公子は、冷たい声で奴隷商の言葉を遮った。
「僕はこのニューゲート家の当主ですよ。その当主に許可も取らず、人の家の庭で勝手に商売をするとは、いい度胸がおありですね」
ニューゲート家の当主!?
まさかの発言に、私は口をポカンと開けた。ナンシー姉様やレイラさんが舞踏会に誘われた! ってはしゃいでた、あのニューゲート家!? じゃあ今開催されてる舞踏会って、姉様たちが参加してる宴だったの!?
――ニューゲート家のご当主は、かなり女癖が悪いらしいわ。
母様の発言を思い出した私は、青年の姿を盗み見る。……この人が? そんな風には思えないけど……。どっちかって言うと、潔癖そうな人柄に見える。
「ご、ご当主様でしたか!」
奴隷商は、あからさまに狼狽えた。
「これはこれは、ご機嫌麗しゅう……」
「つまらない挨拶はいいです。早くその商品と一緒に、僕の目の前から消えてください。でないと……」
檻を一瞥した青年と私の目が合い、不意に彼は言葉を切った。「……夜の聖女?」と呟くのが聞こえてきた気がする。
青年は、何だかとても驚いた顔をしていた。やっぱり黒髪は珍しいから……なのかしら?
「で、では、本日はこの辺で……」
奴隷商は顔を引きつらせながら、そそくさと退散しようとした。それを青年が遮る。
「待ちなさい。彼女をどこで見つけたんです」
青年が手のひらで示したのは、私だった。
「デュラン家ですが……」
突然の質問に当惑したように奴隷商が答える。
「デュラン家の二番目のご令嬢です」
「……彼女は置いていきなさい」
この発言には、奴隷商だけではなく、私も驚いた。奴隷商は目を白黒させながら答える。
「ですが、この娘も私の大切な商品ですので……」
「では、僕が買います。いくらですか? そちらの望むだけ、お出ししましょう」
「ま、まいどあり!」
困惑しつつも、奴隷商は早速、商品受け渡しの準備を始めた。
でも、私はそんな風にすっぱりとは思い切れない。
青年は、私のことをじっと見つめていた。とても熱心な目つきだ。まるで、教会で神様に祈りを捧げている敬虔な信者のような。
あんなに助かりたいと思っていたのに、実際にその機会が訪れてみると、とても不安になってくる。どうしてこの人は、私をこんな目で見るんだろう?
それでもトントン拍子で話は進んでいき、私はこの謎の青年に買われることになってしまったんだ。