変人貴公子は正直者(1/1)
「来ましたね、女神」
ラフィエルさんは馬車のドアを開けた私を、涼しい顔で迎え入れた。
車内にいたギヨームさんと先生には一旦外に出てもらい、二人だけになる。私は単刀直入に切り出した。
「母様は治るの?」
私はラフィエルさんの顔をじっと見つめる。
「もし母様を助ける方法があるなら、教えてちょうだい」
「簡単です。きちんとした医師に定期的に診てもらいながら、もっといい環境で過ごすんです」
ラフィエルさんはもったいぶりせずに、すぐに返事を返した。
「ただ、そうしても完全に治るかどうかは分かりません。なにせ、もう何年も彼女の体は病魔に犯され続けていたのです。今さら何かしても、焼け石かもしれません。まあ、やらないよりはやる方がいいのでしょうが」
「……そう」
話を聞き終わった私は唇を噛んだ。真っ先に無理だと思った。
ちゃんとした先生に診てもらって、環境のいいところで過ごす?
そんなお金がどこにあるって言うんだろう。デュラン家は、私が髪を売ったお金で細々と生活しているんだ。そして余った分は、ナンシー姉様とレイラさんが自分たちの楽しみのために使ってしまう。
だから母様に使えるお金なんて、これっぽっちもなかった。
せめて私が外に働きに出られれば、もう少しお金も入るかもしれない。でも、日々の家事労働や母様の看病を私が一手に引き受けているこの状況じゃ、そんなことはとてもできっこない。
「泣いているんですか、女神」
絶望のあまり目の前が真っ暗になった私に、ラフィエルさんが声をかけてくる。目元を拭うと、手の甲が少し濡れているのが分かった。
「悲しいんですか」
「当たり前じゃない」
私はドレスのスカートを強く握った。呼吸が乱れ、舌がもつれてしまったみたいに、声が出にくくなる。
「私……母様のために何にもしてあげられないのよ。あんなに……あんなに苦しんでいるのに……」
母様の姿を思い浮かべると、また涙が溢れてくる。ついに私は、声を上げて泣き出した。
母様、母様、私の大切な母様。母様がいなくなってしまったら、一体どうしたらいいんだろう?
そんな風に考えると、胸が張り裂けそうだった。上手く息ができなくなり、体を震わせながらしゃくり上げる。
「それなら女神」
ラフィエルさんが私にハンカチを差し出してきた。
「苦しんでいる女神のために、僕が行動を起こしてあげましょう」
「へ……?」
ハンカチで涙を拭きながら、私は呆然とした。
「女神がついてきてくれる、という条件付きで、君のお母様をニューゲート城へ迎え入れてあげます」
「ニューゲート城へ……?」
「少なくとも、ここよりは環境がいいですよ。それに、優秀な医療関係者をずっと傍につけて、何かあってもすぐに対応できるようにします」
思わず涙が引っ込み、私はごくりと喉を動かした。願ってもないようないい話だ。でも、だからこそ裏があるんじゃないかと勘ぐってしまう。
「何が目的?」
私は慎重にラフィエルさんの腹を探る。
「どうしてラフィエルさんが、母様にそこまでのことをしてくれるの?」
「別に君のお母様に興味はありません。僕が欲しいのは、お母様のおまけでついてくる女神です。言ったでしょう。お母様をニューゲート城へ迎え入れるのは、君がついてくるのが条件だ、と」
ラフィエルさんは真面目な顔だ。私が欲しいということ以外は、何の下心もないらしい。
「でも……そんなに色々してもらっても、私、ラフィエルさんに返せるものがないわ」
本当ならすぐにでも飛びつきたい。でも、相手が相手だけに躊躇せずにはいられなかった。
私はラフィエルさんの妄想の中に出てくる女神じゃないんだ。もしラフィエルさんの女神への狂気的な愛情が冷めてしまったら、その瞬間に母様は城から追い出されてしまうかもしれない。
「何も返してくれなくていいです」
でも、ラフィエルさんは澄んだ目で首を横に振った。
「ただ僕の傍にいてください。それだけで結構です」
ああ、やっぱりこの人、純真だ。疑ってしまうのがバカらしくなってくるくらい、ひたむきだ。この狂気の信仰心は、当分冷めそうもないって気がしてくる。
自分を真っ直ぐに好いてくる人をいつまでも嫌っているのは難しかった。もうラフィエルさんとは会いたくないと思っていたけれど、そんな強固な態度をそれ以上続けることはできそうにない。
ラフィエルさんは正直者だ。忖度なんかほとんどしない。その素直さは時に人を助けるけど、逆に誰かを傷つけてしまう場合もあるってことなんだろう。
ショックな知らせを聞いたせいで動揺していた気分が段々と落ち着いてきた私は、そんな風に冷静に考えることができるようになっていた。
結局私は、ラフィエルさんの申し出を受け入れた。こうするのがきっと正解だと思ったからだ。