変人貴公子の心の支え(3/4)
ラフィエルさんが向かった先は、彼の私室だった。
「どうぞ」
促されて中に入ると、そのまま寝室へと通されていた。何でこんなところに? と訝しんだけど、ラフィエルさんはまったく気にせずに、壁際の本棚から一冊の本を取り出す。
「あっ……」
見覚えのある表紙に、思わず口元を手で覆う。そこに描かれていたのは、長い黒髪の幼い少女だった。白色のローブを着て、ガラスでできた靴を履いている。
本のタイトルは『女神が降り立った夜』。夜の聖女がこの国を作ったときの物語を、子ども向けにアレンジしたものだ。国内では、有名な絵本だった。
「どこかへ長期の滞在をするときは、いつも持ち歩いているんです」
ラフィエルさんが、パラパラとページをめくる。
「父は愛人のところに入り浸り。母は毎日ヒステリックに誰かを怒鳴り続けている。使用人たちは最低限の世話だけしたら、母の目にとまらない内にさっさと引き揚げていってしまう……。そんな環境の中で、僕はよく本を読んで自分の心を慰めていました」
「本……? たくさん読んだの?」
「はい、色々なジャンルのものを。その中でも、この本は特別でした。読んでいると、主人公の夜の聖女――つまり女神が、僕に語りかけてくるような気分になるんです」
ラフィエルさんは表紙にチラリと目をやった。
「きっと、優しい雰囲気で進行していく物語だったからなんでしょうね。その内に、本を読んでいるときだけではなく、僕の夢の中や、日常生活にまで女神が現れるようになったんです。目を閉じて女神の姿を思い浮かべると、彼女がやって来て僕を慰めてくれるんですよ」
そう言えば前に、ラフィエルさんが私に見限られたと思い込んで、ひどくショックを受けていたことがあったっけ。そのときラフィエルさんは言っていた。「君まで僕を見捨てるんですか」って。
あれは、『他の人たちと同じように、君まで僕に辛い思いをさせるんですか』ということだったんだろう。
「女神はいつも優しい言葉をかけてくれます。『大丈夫。私がついているわ。傍にいてあげる。だってあなたは……』」
「……私にとって、大切な人だから」
私が続きを引き取った。それを聞いて、ラフィエルさんが少し驚いたような顔になる。
「ご存じでしたか、このフレーズ。やっぱり有名な本だけありますね」
ラフィエルさんが絵本を閉じた。
「女神が病気の村人を励ますシーンです。お好きですか、この場面」
「……ラフィエルさん」
私はラフィエルさんの質問には答えず、彼の整った顔をじっと見つめた。
やっと分かった。どうして彼が私を『女神』と呼んで、崇拝しているのか。というよりも、どうして私が『女神』なのか。
答えは簡単だ。
「この絵本の挿絵の女神……私がモデルなのよ」